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日本語教師とルンバとアンラーニングと

こんにちは。
日本語教師のはやしえみです。

最近のnoteは私が初級教材を「みんなの日本語」から、「できる日本語」へかえる過程で教師仲間から言われたり、聞かれたりすることへのお返事を書いています。

今日もまた私が言われたことがあること、
そして、直接は言われないけれど、私がある言葉を発したときのお相手の顔に書いてあること・・・へのお返事です。

ベテラン日本語教師の皆さん!!
このnoteのタイトルを見て、こう思いませんでしたか?

「アンラーニングって必要なの?」
「なんで捨てなきゃいけないの?上書きでいいんじゃない?」

Unlearningは日本語で「学習棄却」と訳されることもあるので、これまでの知識ややり方を全て捨てて、0から新しいことを学ぶことだと誤解されている方が多いです。

「これまでの知識や経験を捨てる」と捉えると、そりゃ抵抗もしたくなります。

今日は私たち日本語教師にとってのアンラーニングについて、考えてみたいと思います。

アンラーニングは「知識を捨てる」ことではない

「アンラーニング」

なんとなく聞いたことはありましたが、私自身がこの言葉をはっきりと知ったのはキャリアの勉強をしていた時のことでした。

先生がこうおっしゃいました。

変化の激しい時代です。キャリアを考える時、環境変化への適応は欠かせません。
そして、組織も個人もこの激しい環境変化に適応しながら、さらに成長し続けるにはラーニングとアンラーニングの一見相反する学びを続けていかなければなりません。

私はそれまで、学びは「蓄積していくもの」、「積み上げていくもの」だと思っていました。

アンラーニング=学習棄却・・・つまり、学んだことを捨てる

それが成長につながる???

全く理解できず、ただ疑問だけ残りました。

そのとき、目に止まったこのサイト。

こちらのサイトが私の理解が深まるきっかけの1つになりました。

こちらの記事にははっきりとこう書いてあります。

アンラーニングはこれまでに学習してきたことを忘れることではない

安心してください。

あなたの知識。そのまま持っててかいませんよ。

あなたの蓄積、無駄じゃありません!!

ここからはアンラーニング について自分の言葉で私なりの解説を書いてみます。具体的に何をすればいいのかに言及しています。もし、間違っていたら、教えてください。

アンラーニングの第1歩は気づき

私のキャリコン師匠の話によると、組織や個人の変化への適応を考える時、対応できずに問題になるのは知識そのものよりも価値観なのだそうです。

そのことを知ってから私は学習棄却とは古い知識を捨てることではなく、変化に対応するための新しい価値観を選ぶことだと解釈しています。


古いものを捨てるのではなく、古いもの新しいもの両方を知った上でより環境に適したものを選択すること。

でも、「選ぶ」ってとても難しいんです。

なぜなら、価値観・・・ビリーフと言い換えてもいいでしょうか?
それは「自分にはこういうビリーフがある」と自覚しないことには、選択肢に上がってこないからです。

たとえて言えば、大学で地元を離れたときのこと。

それまでは地元の人としか話したことがなかったので、私は自分が方言を使っていることに気づいていませんでした。関西や九州の友達ができて、自分の言葉が通じなかったとき、もしくは相手の言葉を誤解してしまったときに初めて自分の方言を意識するようになりました。

気づいた後は、家族や地元の友達と話すときは方言、正式な場面ではできるだけ標準語・・・のような選択ができるようになりました。

例えば外国人と付き合ったり、外国に住んだ時も同じです。

私は日本でちょっとものを借りるときに「ごめん、ちょっと貸して。」というような感覚で、中国語でも「対不起」を使っていました。

ある日、なにげなく現地の友達に「対不起」と言ったとき、彼女に「私のことを友達だと思っていないのか?なぜそんなによそよそしいのか?」と怒られたんです。このことで私(日本人?)が「すぐ謝る」こと、中国語では「対不起」が気軽にいう言葉ではないことに気がつきました。

気づいた後は、言わないことを選択しています。

方言もふるまいも自分1人では気づけない。
他者(新しいもの)との出会いによって、初めて自分の中にあるものに気がつけます。

私たちの「当たり前」はただ過ごしているだけでは気がつけないのです。

私たちの持っている「当たり前」の価値観、ビリーフも新しい価値観に触れてみないことには気がつけないのではないでしょうか?

教え方に関する自分のビリーフも新しい教え方に触れてみないと気がつけないもの・・・私はそう思います。

成功体験が邪魔をする

アンラーニングの難しさは自分の価値観には気づきにくいからだと書きました。だから、新しいことを認識することが必要です。

そして、もう1つの難しさ。それが「これまでの経験」です。

「成功体験」と言ったほうが適切かもしれません。

私たちは新しいものに触れると、どうしても自分の知っているものと比べてしまいます。そして、時にはその比較が新しいものを見る目を曇らせます。

ちょっと違う例え話・・・というか突拍子もない話になってしまうかもしれませんが、私がルンバを買うまでの話を聞いてください。

皆さん、ルンバはお使いですか?

お掃除ロボットのルンバが出てきたとき、自動で掃除してくれるなんてステキ!!と思いつつも、「隅々までは掃除できない」、「段差に弱いらしい」なんて聞くと、普通の掃除機で問題なく掃除ができていた身としてはそんなリスクに目をつぶってまで、今ある道具を捨て、高い掃除ロボットを購入する理由がありませんでした。

これから家電一式を揃える社会人1年生や新婚さんならいざ知らず、うちにある使い慣れた掃除機を捨ててしまってから、後で段差でうまく掃除ができず、結局ホウキを使う羽目になったらどうしよう???

目に見える大きな問題があればそれを解決しようと試みますが、逼迫した問題もないのです。それどころか、今ある掃除機に満足していて、買い換える理由がありません。

その体験が強固であればあるほど、新しいものに手を出すのにはそれなりのリスクも伴います。

逆に旧式の掃除機でもあまり掃除をしていなかったり、掃除の手法にこだわりがないほうがポーンとルンバに乗り換えられそうです。

そこで、私は古い掃除機を捨てないで、とりあえずレンタルでルンバを使ってみました。

古いものを脇に置いて、新しいものを使ってみたのです。もちろんその時、古い掃除機は家に置いたままです。

そしたら、なんとなんと!!

これがなぜこんなに評価されているのか理解できました。そして、値段に見合うだけの価値があると判断できました。

めちゃめちゃ批判されそうで怖いですが、爆弾発言・・・。実は定期的に起こる教科書論争ってこういうことじゃないかとも思います。

今までの教科書で特に問題ない先生方、成功体験を積んできた先生方にとっては「うちはこの掃除機で十分掃除できてますよ」って話。

ちょっと失礼なことを言いますが、ポーンと変えられる先生はよっぽど新しいもの好きか、既存の教科書で成功体験をあまり積んでいない先生ではないかとさえ思います・・・ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。本当に申し訳ありません!

でも、これまで成功体験をたくさん積んできて、ルンバがなくても掃除ができるという先生方も実は小さな問題や不満は抱えていませんか?ただ、それを仕方がないと受け入れているだけ・・・もしかしたら、当たり前すぎて「しかたがない」とも思っていないかも・・・。

そんな先生方にはぜひ新しいものをレンタルしてみてはどうでしょう?とお伝えしたいです。

新しいものに触れてみないことには自分の「当たり前」に気づくことはで気ないのですから。

古いものを脇に置いて、ちょっと新しいことをやってみる・・・これがアンラーニングの第1歩になるんじゃないかと思います。

アンラーニングには批判的内省が必要

さらにもう1つ。

私がアンラーニングについて、「なるほど!」と膝を打った説明がこちらです。 

アンラーニングに必要なのは批判的な内省。それは「この仕事が正しく行えたか」ではなく、「自分は正しいことを行っているのか」を批判的にふりかえること

自分の行いを批判的にふりかえる。
念のため言っておきますが、「批判的に」とは「古い」「悪い」と粗探しをして責めるという意味ではありません。

「本当に正しいのか」という視点を持つことです。流行りの(?)クリティカル・シンキングってやつです。

確かにそれまでの私は自分の価値観やふるまい、教え方を「正しく行えたか」と考えていました。

ずっと文型積み上げの教科書を使っていたので、

正しくドリルが行えたか
正しくコミュニケーションの練習ができたか

と内省していました。すると、「みん日」の枠組みの中では私は私なりに正しい授業をしているとしか思えませんでした。

でも、自分は「正しいことを行っているか」と考えたとき、「正しい」という感覚が揺らぐのを感じました。

それは自分のやっていることの枠組みを外から見る作業でもあります。

そもそもドリルをすることがが正しいのか?
そもそもこのコミュニケーションの練習でいいのか?
そもそもこの教科書でいいのか?

そう考えていて、だんだんと教科書を変えなければという思考に至ったのは先のnoteに書いたとおりです。 


アンラーニングはそれまでの自分のビリーフに気づき、認識すること。そして、自分がやっていることを批判的に内省すること。これをやってみると、自分の中に新しい価値観を入れるスペースができると思います。

まとめ

アンラーニングはこれまでの知識を捨てることではありません。

自分の古い価値観を認識すること。

そして、これまでの知識の蓄積・・・というより、その知識を使って得た成功体験を脇に置いて、新しいものに触れてみること。

触れた上で、これまでの自分を批判的に見てみること。

そうやって新しいものを受け入れるスペースを作るのがアンラーニングなんじゃないかと思います。

偉そうなこと言ってますが、私はまだまだ道半ば・・・。
新しいものを使ってみて、新しい価値観に触れ、自分の当たり前に気づいたところもあります。

自分なりに新しい方を選択したいと思っています。

それでも、なお昔の「クセ」が抜けません・・・。

しかし、マザーテレサも言っているじゃないですか!

思考は言葉になり、言葉は行動になり、行動は習慣になる

こうやって、新しい考え方に気づき、選択していれば、いつか行動になり習慣になるはず。

そう信じて、やっていくしかないと思います。

ベテラン日本語教師の皆さんぜひ、ルンバをレンタルしてみてください!!!(←違う?)

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