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世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?(読書感想)

書籍の情報

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?
経営における「アート」と「サイエンス」

山口 周
光文社新書
2017年7月20日 第1刷発行

書籍の目次

第1章 論理的・理性的な情報処理スキルの限界
第2章 巨大な「自己実現欲求の市場」の登場
第3章 システムの変化が早すぎる世界
第4章 脳科学と美意識
第5章 受験エリートと美意識
第6章 美のモノサシ
第7章 どう「美意識」を鍛えるか?

感想

自分の仕事をひとつの作品と考えてみる。
その時に「これクールでしょ」と社会に対して主張できる作品がつくれているか?
noteの文章も含めて、自分が美しいと思える作品をつくりたいと思いました。

参考になった箇所の引用

29ページ
多くの人たちは、音楽や絵画等の創作という表現行為と、自分たちが日々関わっている社会的行為を、全く関連のないものとして捉えているでしょう。しかし私は、今後の社会をより良いものにしていくためには、ごく日常的な日々の営みに対しても「作品を作っている」という構えで接することが必要なのではないかと思っています。(中略)
ビジネスパーソンであれば、自分が関わるプロジェクトをアーティストとしての自分の作品だと考えてみる。あるいは経営者であれば、自分の作品を、アーティストとしての自分の作品だと考えてみる。そのような態度で仕事に接する時、私たちは全員が社会彫刻に集合的に参加するアーティストということになり、であればアーティストとしてふさわしいだけの美意識を身につける必要があるということになります。

39ページ
決して「論理や理性をないがしろにして良い」ということではなく、「論理や理性を最大限に用いても、はっきりしない問題については、意思決定のモードを使い分ける必要がある」ということです。

51ページ
まず「論理と理性」に軸足をおいて経営をすれば、必ず他者と同じ結論に至ることになり、必然的にレッドオーシャンで戦うことにならざるを得ない。かつての日本企業は、このレッドオーシャンを、「スピード」と「コスト」の2つを武器にすることで勝者となった。しかし、昨今では、この2つの強みは失われつつあり、日本企業は、歴史上初めて、本当の意味での差別化を求められる時期に来ているということです。

78ページ
私は「デザイン」と「経営」には、本質的な共通点があると思っています。(中略)
では、両者に共通する「本質」とは何か?一言で言えば「エッセンスをすくいとって、後は切り捨てる」ということです。そのエッセンスを視覚的に表現すればデザインになり、そのエッセンスを文章で表現すればコピーになり、そのエッセンスを経営の文脈で表現すれば、ビジョンや戦略ということになります。(中略)
この「本質の共通性」をちゃんと把握するためには、経営という営みの本質が「選択と捨象」であることを、しっかりと理解することが必要です。

104ページ
現代社会における消費というのは、最終的に自己実現的消費に行き着かざるを得ないということであり、それはつまりすべての消費されるものやサービスは、ファッション的側面で競争せざるを得ないということです。(中略)
このような社会において、論理と理性に軸足を置いたサイエンス主導経営は、競争力をやがて喪失していくことになるでしょう。求められるのは、「何がクールなのか?」ということを外側に探していくような知的態度ではなく、むしろ「これがクールなのだ」ということを提案していくような創造的態度での経営ということになります。

120ページ
イノベーションが重要だという指摘は、イノベーションの後に発生する「パクリ合戦」における、デザインとテクノロジーの陳腐化という問題を見落としていることが多い。一方で、ストーリーや世界観はコピーできません。ストーリーや世界観というのは、その企業の美意識がもろに反映するわけですから、これはサイエンスではどうしようもない。そして、繰り返せば、Appleの本質的な強みは、テクノロジーでもデザインでもなく、Appleという抽象的なイメージに付随する世界観とストーリーなのだということです。ここが、イノベーションが継続的な経済価値を生み出すものになるかならないのかの分水嶺であり、いうまでもなく、世界観とストーリーの形成には高い水準の美意識が求められることになります。

世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか?


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