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伊勢神宮で、アートと霊性について思うこと。

昨日から、アート関連で、伊勢神宮の近くに来ている。

素晴らしい時間だった。伊勢神宮へのお参りはもちろん、魅力的すぎるアーティストの皆さんとの出会いと対話が素晴らしすぎた。

伊勢という土地、そしてアーティストの皆さんとの対話を経て、久々に、僕自身もアーティストモードに入っていた。うまく表現できないけれど、アーティストモードとは、思考が消えていき、霊的な感覚が芽生えている状態といったらいいだろうか。

僕には、異なる2つの立場がある。一つは、物理学を学び、実存の究極に霊性など存在しないし、霊性は、人間の意識が生み出してしまっている幻想に過ぎない、という感覚だ。もう一つは、見えない世界や存在にこの世界は包まれているし、祈りを大切に、日々導かれるように生きているという感覚もある。

共存するというより、それぞれの感覚を行き来しているといったほうがいいかもしれない。

僕がアーティストモードとよんでいる状態は、例えるならば、玉ねぎの皮を一枚ずつむいていく感覚に近い。一枚むくごとに、硬い皮に隠された、水々しく、柔らかな自分に出会っていく。

しかし、玉ねぎの皮をむき続け、何に出会うかというと、何もないことに出会という感覚に近い。そう、種や実のようなものがあると想像するけれど、その先には「何もない」感覚なのである。自分という意識も、少しずつ消えてなくなっていく感じとも表現できるかもしれない。

この感覚を想い出させてくれた、今回の旅は本当に素晴らしい時間だった。これから、もっと旅に出たい。人と出会い、土地と出会い、想像もつかないことと出会っていきたい、そんなことを思った、伊勢神宮での朝だった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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