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仕事をしなさい、と屋久島で言われて。

昨年末から、作品制作で屋久島からご縁をいただいている。ずっと憧れだった場所で、本当に光栄なことだ。

その流れで、今年のGW前に屋久島を訪問した。到着早々、地元の温泉に連れて行ったもらった。おっそろく暑い温泉で、身体が焼けるようだった。そのお風呂で身を熱し、清めた後、温泉の横にあった神社が目に入った。

僕は祈りをとても大切にしている。いつも神社では、「お導きください」と祈っていて、この神社でも同じように祈った。そうしたら、ふと声が聞こえてきた気がした。

それは、「仕事をしなさい。」という声だった。

はじめは、屋久島に作品制作をしにきているので、そういう意味かと思った。ただ、なぜかこの訪問では、その後大雨になったり、ご一緒している方が体調が絶不調になったりと、そういう流れにならなかった。

結果的に、僕らがご一緒しているクリエイターの方の深いところのビジョンを伺う時間になった。僕が、visioning と呼んでいる営みで、存在する現実に耳を澄ませ、そこであらわれている構造に気づきながら、改めてどの方向に進みたがっているのかについて捉え直す時間だった。

異常に喜ばれる時間だった。僕も、たくさんの発見があって本当に楽しく、幸せな時間だった。

僕は、「仕事をしなさい」の一つの意味は、「何かを創り出したい人(≒クリエイター)をサポートしなさい」という意味かもしれないと思った。そして、「この人をサポートしたい(その人の先に生まれるものを体験してみたい)」と願う人を10人キュレーションし、半年間のコミュニティを始めた。これも、とても素晴らしいものになっている。

そうこうしていると、また予想もしない仕事が舞い込んでくるようになった。葉山のご近所の経営者の方と知り合い、初めは僕がアーティストとして協働して欲しいという依頼だったのだけど、相談に乗っているうちに、その会社の事業と、経営者のパーパスの間のギャップが認知され、結果的にブランディングをご支援している。

と思っていたら、光の作品を作っているからか、光を作っている企業からR & Dプロジェクトでお声がかかり、新価値探索と新商品支援プロジェクトが始まった。プロジェクト途中だが、最初の時点で、その中の誰も「見たことのなかった、新しい光」が現れた。クライアントも衝撃を受けるほど、うまくいっている。

また、今回の一週間の、四国・淡路島滞在では、サイエンスとアート領域の掛け算でずっとやってきた、Earth sensing をコンセプトした領域でのいろいろな出会いがあった。偶然の出会いからの会話がきっかけで、会話の中の一コマに過ぎないが、仕事をお願いしたいという言葉もいただいた。

ちょっと前まで、アーティストです、とわかりやすくいっていたものが、そうともいいがたくなってきた。改めて、屋久島で問われた「仕事をしなさい。」とはどういう意味なのだろうと思う。できることは、目の前のことにひとつひとつ向き合うことだけなのだけれど、改めて、考え込んでしまう。

僕は将来やりたいこと、また向かいたい方向性はかなり明確なので、ビジョンを見出したい、といった欲求は今のところ特にない。でもこの「仕事をしなさい。」という領域については、正直全然わかっていない。

冷静に自分を観察すると、僕は、ちょっと普通じゃあり得ない越境に挑戦する中で、育まれて来た才能がある。

それは、地域で仕事をしていた時も(離島や、震災後の東北)、企業のコンサルティング業務をしていた時も(組織コンサル)、デザインに関する仕事をしていた時も(戦略デザインファームやソーシャルデザインファーム)、またアーティストとして活動している時も …

すべてに共通するのは、「聞く仕事」「観る仕事」「創る仕事」であり、その中でも、「観る仕事」の中の、「現実を観察する」行為におそらく異常にたけていてる。

見えているもの、見えていないものを行き来し、そこの奥から聞こえてくる声に耳を澄ませ、そこに内在する何かに触りながら、それを知覚し、構造化・可視化することが異常に得意なのだろうと思う。だから結果的に「創れる(創る仕事)」が起きるのだと思う。

ここまで考えて、改めて、一体全体、僕は何をすればいいのだろうか。問いをかえると、誰に対して、どこで、何の才能をつかってもらう必要があるのだろうか。

すべては人との出会いなので、この「仕事をしなさい。」は、「出会うべき人と出会いなさい。才能をすべて使い切りなさい。そこであなたの持っているすべてを届け、生まれようとしているものを、生まれ出るようにしなさい。」と言われている気がするのだ。

ここまで書いて、改めて、僕が「出会うべき人」はどこにいるのだろうか。すでに僕が出会っている人の中にもいるだろうし、まだ出会っていない誰かもいるのだろう。

これらの人とは、きっと、お互いに導き、導かれる関係性になるのだろうと思う。それを「仕事」として捉えていきたい。そして、僕を使い切って欲しい。協働することで、見たことのない未来を一緒に見てみたい。そんなことを思う、葉山の朝だった。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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