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合理性を超えて、決めること。

ここ数日、決めること、について考えている。

ひとつには、ある企画を進めるかを、運に委ねることにした。いつかは絶対にやりたい。でもそのタイミングがいまなのか分からない。天の配剤という言葉もあるが、事前に「条件」をセットした。"たまたま" タイミングがあいその条件が満たされたら、その流れは進める。そうじゃなければ今ではないと考える。

もうひとつは、原点に回帰することにした。悩みに悩みぬいている別の企画がある。色々な方向性があり、さんざ2年間ほど試行錯誤を続けた。アイディアを模索し続け、発展し続けた。しかしその結果、一番最初に戻った。小説アルケミストではないが一番最初に答えがあったのかもしれない。

決めること、には様々なスタンスがある。直感を大事にする方。流れに委ねる方。徹底的に合理的に考える方。でもどのスタンスにしろ共通することがある。それは、どの決断でも、それが正しかったか検証することはできないということ。なぜなら、他の選択肢をとったらどうだったのか、試すことができないから。

次に決めるタイミングが来た際に、決めていることがある。それは、サイコロを降ること。偶数であればこうして、奇数であればこうする、とする。前提として、思考としては徹底的に考えきる。その上で最後の意思決定の際、サイコロをふろうとおもう。合理性と非合理性の狭間で。非合理の合理があると思っているから。

皆さんは、決める時、どうしているだろうか。ひとそれぞれの決め方があったらその話を聞いてみたいなと思う。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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