才能を使う覚悟を決めた人は、アーティストであり、クリエーターになれる。
尊敬する画家の友人中村峻介さんと、Transformation for creator をテーマに対談をした。きっかけは、お互いが見出した、人が表現者・創造者になる変容プロセスがあまりにも似通っていたことだった。
これが、中村俊介さんのフレームワーク。
一方、僕のフレームワーク。
この対談にあたり、僕は3つの問いを準備していた。
一つ目の問いは、僕が直面し続けてきた問いだった。
みながアーティストであり、クリエーターだという人もいる。一方、僕には現実に才能があるとしか思えない部分もある。そして対談の最後、僕は中村さんに上記問いを改めて投げかけた。彼の答えは次の通りだった。
対談から数日経ち、アーカイブ映像を見返した。そうしたら、この言葉に加え、もう一つの言葉が心に刺さった。
考えれば考えるほど、この二つの言葉は、本質をついている気がした。ここから、クリエーターやアーティストととして生きたい人が向き合うべき、二つの問いが生まれてきた。
僕にとっては、特に二つ目の問いが重要だった。深くこの問いについて考えてみると、僕は、そこから生まれようとするものに心惹かれる時、創造性が最大限発揮される。頼まれなくてもずっと考え続けてしまう。
結局のところ、求められていることをやるだけでは、創造性が発揮されないのだ。生まれようとしているものの声が聞こえない時、それに心惹かれない時、僕は無になる。わかりやすくいうと、ポンコツだ。何の感情も湧いてこないし、何のアイディアも湧いてこない。
才能発露の条件は、言い換えると、自身の愛を何に使いたいのか、という問いでもあるのではないだろうか。愛とは、命の根源であり、生命エネルギーそのものだ。使命とは、命を使うと書くし、運命とは、命を運ぶと書く。何に命を使いたいのか、どこへ命を運びたいのか。そして、何に愛を注ぎたいのか。
僕の答えは、うつくしさを感じる瞬間であり、生まれてしまうものを目撃する瞬間のためにあるのだろう。このことに、僕の命を、生命を、愛をすべて委ねたいと改めて思った。
本当に素晴らしい言葉と気づきをもらった時間だった。改めて、しゅんくん、ありがとう。
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