満月の夜、「本物」の表現者と出会って。
アーティストとしての活動を始めてからだろうか、人生の展開が著しく加速している。
今日、大尊敬するモデル兼俳優の、小林竜輔さんに誘われ、彼の創作した新しい物語(演劇)に、kodou として参加させてもらった。声がけしてもらってから半年、この友人が、あまりにも凄すぎた。本物すぎて、言葉を失ってしまう。
伊勢神宮の近くで出会った瞬間から、ただものじゃなかった。目が合った瞬間、違う生き物だと思った。海の奥深くを覗いているような、違う世界に吸い込まれてしまいそうな、そんな目だ。
彼が演劇で表現したことを言葉にすると、陳腐に聞こえてしまう。
自分を開くこと。完璧でなくありのままであること。魂から伝えたいことを伝えること。道徳の教科書に書いてありそうな内容だ。同じようなことを主張してきたけれど、彼の本物の表現に触れると、僕も人生について考え直させられてしまった。
僕は、本当に、心を開くことが出来ているのだろうか。変に取り繕い、カッコつけ、完璧であることを求めてやしないだろうか。以前、こんな言葉をもらったことがある。
当時、この言葉の意味をわかっていなかったかもしれない。今読み返すと、胸に深く突き刺さる。僕は今、魂に響くものを届けることが出来ているのだろうか。
失敗しないように、洗練されるように、完璧であるように、認められるように、それを願えば願うほど、不思議なもので、魂に響くものは作れなくなってしまう可能性も高い。もし、それが恐れから作ってしまっていたら。そうではない次元が存在することを、今日の表現でまざまざと魅せつけられた。
今回、初めて俳優業の人と深く接し、創作をご一緒した。劇なんて見たことがなかった。けれど、改めて、芸術とは、表現とは、人間とは、なんと素晴らしいのだろうと思った。彼らは、何のテクノロジーの力も借りず、目線一つ、言葉一つ、身体表現一つで、場を支配してしまう。人の人生を変えてしまう力すら持っている。
人間の持っている能力は、僕が思っているよりもはるかに高みにあるのかもしれない。僕は、元々サイエンス的な意味で、この宇宙や生命への畏怖感を強烈に持っているが、芸術に触れるようになり、人間としての人間(不思議な表現だが)への畏怖感も高まるばかりだ。
あぁ、なんとこの世界は面白く、魅力的なのだろう。なんと、生きることは楽しいのだろうか。僕にとって、科学も芸術も、生きることを楽しくしてくれる存在なのかもしれない。
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「芸術家として生きる」と決めてからの日々
芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…
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