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役にもたたない。意味もわからない。でも魂に響くもの。

11月中旬、「心臓の薬と光」 体験展というイベントを開催しました。今作っている、コドウを光にするアートと、カカオセレモニーを組み合わせたときにどんな景色が見えるのだろうか、という実験的な場でした。

結果、恐くもあり、安らぎもあり、美しさもあるような…、言語化できないような時間となりました。中身に関する言及は避けたいと思うのですが、参加した方から、終わった後に感想をいただきました。その感想は、こんな文章で締めくくられていました。

役に立つ、ではなく、意味がある、でもなく、さらに先。
役にも立たず意味も分からない。そんな行為だけど魂に響くものがある。場合によっては、あとから意味が立ち上がってくる。そういうものがアートなのかもしれない。

社会課題解決の仕事に従事していたときは、まさに「役に立つ」ことが重要でした。その後、デザインファームで働いていたときは、「意味のイノベーション」という言葉が流行したように、「意味がある」という要素が重要でした。

でも、そのどちらでもない。体験者にとってのメリット、ベネフィットなど分からない。意味があるかもわからない、意味があったとしてもどんな意味なのか分からない。

ビジネスをやっているうえでは致命的にだめなやつ。メッセージが明確じゃない、課題が明確じゃない、論理的に説明できていない。でも、何か自分たちの心が、身体が、魂が引き寄せられてしまうことってあるのかもしれない。

こういう言葉をいただいて、自分の人生もだいぶ遠くに来ていたんだなぁと、そんなことを思う。

ただ、ひとつ言えるのは、もし魂なるものが存在するとしたら、僕の魂が震えながら生まれてしまった作品でない限り、人の魂が震えるものにならないということ。だからぼくは、自分の魂が震えることだけにフォーカスし続けたい。

そして12月30日(月)、葉山で同じタイトルのイベントをもう一度開催します。葉山で開く最後の場になると思うけど、みんなの魂が震える体験になるのかな、ならないのかな。分からないけれど、僕の魂が震えたらいいな。

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