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人生の有限性について

「人生は有限である、つまり死が訪れる。」ということは、よく言われる話である。僕は、父を早くになくしていることもあり(父が当時27歳、当時僕は1歳半)、なぜか自分は27歳で死ぬと思っていた。

まわりからは生き急いでいるように見えたろうし、実際そうだった。なぜなら、死ぬと思っていたから。ただ、気づくと父が亡くなった年齢をだいぶ超えてしまったし(いま35歳)、息子も当時の僕よりも随分大きくなった(もうすぐ4歳)。

そして改めて、20代のときとは違った意味で、人生の有限性について考えている。35歳くらいの年齢になると、自身の特性もよく分かってくるし、好きなものと嫌いなものも明確になる。一方、自分を変えることが段々難しくなってくる年齢でもある。

昔、「you are not what you say, but wht you sell」と言われたことが在るけれど、その意味もよくわかってきた。いくら思考で何を考え、何を提案しようと、実際に身体を使って時間を使った事実のみが自分の人生を形作ってきていることを感じる。

今改めて、「キャリア」と呼べるものが在るとするならば、その一つの分岐に来ている気もしている。社会に対して自分が出せるであろう価値もなんとなく分かってくる中、ほっとくと、こういう道になっていくのだろうなぁという道と、意図的にもっと茨の道を選択していく道だったり、いろんな道がある。どの道を選択するのも自由だが、分岐にいる感覚がある。

そして人生の有限性に気づくとは、自分の死を感じるという意味ではなく、子育てを通して、1年の大事さに気づくようになったからかもしれない。息子を見ていると、毎日毎日、毎年毎年、びっくりするくらいに変化する。その変化を見て、時間の経過に気づく。息子が生に向かった分、僕は死に向かっているのだ。

時間は永遠のループを繰り返しているようでいて、実際は、不可逆な時間が過ぎ続けている。そう思ったときに、自分の生そのものである時間を何に使っていくことになるのか、そのあたりのことについて考えている。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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