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辛さを感じれる、心のオープンさを。

昨日も書いたが、とにかく、いま辛い。

なぜ、こんなに辛いのだろう。

いま、心に穴があいた状態になっている。
起きていると、いつもあのことを思ってしまう。仕事をしていても、散歩していても、何をしていても、寝る直前も、起きた直後も、そのことを考えてしまう。

思い通りにいかない。人生、なかなかうまくいかないものだ。

なぜ、こんなに辛いのだろう。

一方で、辛さを感じれるとは本当に幸せなことだ、と思う部分もある。辛さは、心を閉じてしまうと感じることができなくなるもの。徹底的に鈍感で、そういったネガティブな感情を感じずに人生を歩んでいく選択肢もあるのだろう。でも、僕はその選択肢をを選びたくない。

いくら辛いとしても、辛さを消すのではなく、辛さと共存できる自分でありたい。マハトマガンディー氏の本か何かで、「炎の中で、座り続けるあり方」のような文章に出会ったことがある。究極は、このイメージだ。

静寂な、整った環境で、自分らしさを抱くのではなく、混沌とした、難しい状況だとしても、静けさを心の中に抱くことができるのか。それは、感情を消すのでもなく、ある種の人間としての本質的な暴力性も抱きながら、そうあることを選べるかを問われている。

当然、その境地にはまったく近付いていないが、いつか、そこに近付いていきたい、と強く願っている。その意味でも、環境としての静けさから、心の中の静けさへ、人生を次に進めるタイミングが訪れているのだろうか。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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