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クリエイターに、創造的余白を。

最近、多領域のクリエーターから相談を受けることが多くなりました(ここでの 「クリエイター」は、いわゆる "クリエイター" に限定せず、広く「現実を創造している人」という意味です)。

また僕自身も、一人の創り手として、現実を創造したいと願っている人が、必要としているかもしれない、一つの仮説にたどり着きました。

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クリエイターには、才能があります。しかし、才能があるがゆえに、自身の意図とは異なる形で、他者から、社会から求められます。他者の期待に応えているうちに、現実に忙殺され、人に振り回され、内面の声が聞こえなくなります。クリエイターにとって、内面が創造の源であるはずなのに、その泉が枯渇してしまうのです。

またクリエイターは、多くの場合、繊細かつ、傲慢な存在でもあります。繊細さゆえに、世界をより細かい解像度で捉え、他者に見えないものに気づくことができ、その人にしかない現実を作り出すことができます。一方、他の誰も知らない自分だけの真実や美のようなものを表現することになるので、言葉を選ばずにいえば、傲慢さもあわせもつ必要があります。

しかし、この繊細さと、傲慢さの存在により、自他のエゴや期待にふりまわされやすくもなります。繊細さと傲慢さ、自分のやりたいことと期待されることなどで、葛藤状況が構造的に発生しやすいのです。

私自身もアーティストとして、またクリエイターの人生に関わる中で、どうしたら、クリエイターの持つ才能が最も良い形で世界に発露されるのだろうか、とずっと考えてきました。

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たくさんの試行錯誤をしてきて、うまくいくこともいかないこともたくさんありましたが、一つの結論を得ました。それは、クリエーターが必要としているのは、「創造的余白の時間ではないか」、という仮説です。

クリエーターが欲しているのは、具体的なアドバイスでも技術(それも必要ですが)でもなく、自分自身がどの方向に進めばいいのか、道なき道を、考え、感じる場ではないか、と考えるようになりました。

なぜなら、クリエイターは道を創る存在だから。彼らの前には道は存在せず、彼らの歩いた跡に道が生まれます。クリエーターは、自身の内側に答えを必要とする存在です。A と B のどちらがいいかという問いに対し、最終的には自分で決めるしかありません。

「創造的余白の場」がどんなものかは、とても説明しにくいのですが、あえて言葉にすると「 "0から1" を創り出す時間ではなく、 "0" に出会う時間」「事前に何が起こるか予想はできないが、何かが "生まれてしまう" 、また 何かに "気づいてしまう" 時間」のようなものです。

この創造的余白の時間、きっと、みな必要としているのでは、そんなことを書きたくなり、この記事を書きました。

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芸術のげの字も知らなかった素人が、芸術家として生きることを決めてから過ごす日々。詩を書いたり、創作プロセスについての気付きを書いたり、生々…

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