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終末映画「バードボックス-BIRD BOX-」 ネタバレ 考察 

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ポッキーの宣伝。ハッピーをシェアするって意味。
ある日、職場の先輩が陰鬱な顔をして話しかけてきた。
「みてほしい映画があるんだ」
そう言って進めてきたのが「RAKKAは静かに虐殺されている」だった。
観た後、僕は先輩を恨んだ。「とんでもない感情シェアしやがって」と。
「RAKKA」はシリア内戦のドキュメンタリー。残酷な内容が映される。
観終わった人間は、太宰治の「恥の多い生涯を送ってきました」の気持ちになる。たとえ真面目な人でも「ヘラヘラ生きててすみません」と思ってしまう。
しばらくはお笑い番組すら観れなくなった。
強い悪意を認知する。
それに対して自分は無力だ。
感情の処理ができずに、バカっぽい言い方をすれば気が変になる。
次の日、先輩は僕の顔を観て少しニヤついていた。

中二病テスト

イキってる人って老若男女問わずいる。
「昔ヤンチャしてました」から「病んでる死にたい」まで種類も豊富。
そう言う僕も「弱肉強食」を座右の銘してた時期があります。
「闇抱えてます」的な発言はいくらでもある。
闇で想像するのは「冷たい熱帯魚」の元ネタになった埼玉愛犬家連続殺人事件だ。
もしその辺でイキってる奴がこの事件の犯人を理解できるか?同じ事ができるか?
無理だね!奴らの闇なんてたかが知れてる。

オバケの正体

悪意。この世の闇。呼び方は何でもいい。
見ると自殺してしまう。
見れるのは犯罪者と異常者だけ。
彼らはそれをキレイだと表現してシェアしようとする。
SIRENってゲームを知ってるなら犯罪者は屍人だ。
彼らだけが美しいと感じる世界は一般人にとっての地獄。
血の海を沖縄の海のように感じれる奴ら。
そんなもの見たくない。
例えば子供が戦争で死んでる写真やニュースを見たとする。僕らは何もできない。せいぜい寄付くらいだ。
でも今この瞬間も子供はどこかで殺されている。もしそういった悲劇の全て認知してしまったら?
主人公は妹がとても悲しそうな顔して死んでいったと説明する。
死ぬほど悲しいモノを見てしまった、感じてしまったって事だ。
僕がRAKKAを観て落ち込んだように画面越しでもそれは伝わってしまう。だから家の主人も死んでしまう。
透明なのはこの世の全ての悪意なんて表現しようがないからだ。
だからゲイリーの描く画は黒い意外に共通点がない。目だったり、模様だったりする。
ラストの森のシーンでも死んだトムが「見てくれ、助けてくれ」と呼びかける。死んだ者も闇の一部になる。
ウクライナ侵攻、ガザへの空爆が報道される。観た人は被害者を想う。でもできることは少ない。まだ解決もしてない。知るほどに辛くなる。
知った以上他の人にも知ってほしいと思う。だから呼びかける。
でも人間が一致団結して悲劇を止めれた事は少ない。
無視もできない。だけど全てを知りたくない。このジレンマをどうすればいいのかは僕は分からない。

楽園

ラストは盲学校にたどり着く。目が見えない彼らは悪意を直視せずに助かっていた。このラストが気に入らない人も多かった。

この映画は楽園、天国の様な中庭で終わる。天国があるなら神も存在する。
愛する人の死や障碍を神が与えた試練ととらえる人もいる。
要は神が決めた事って話。日本ではあんまりきかない。
神によって視力を奪われた人が生き残った。これも神の選択だ。
根も葉もない言い方をすれば、運命に身を任せるしかないって事だ。

漫画「ブラック・ジャック」でこんなセリフがある。
「人間が生き物の生き死にを自由にしようなんておこがましいと思わんかね……」
これは本間という医師のセリフで彼はB・ジャックの命の恩人だった。でもその恩人の命はB・ジャックでも救えなかった。
人の命を人が関与できないなら受け入れるしかない。
川下りの最後、主人公は二択を迫られる。自分の子か他人の子かどちらかを犠牲にしろと言われる。
彼女はどちらも選ばす流れに身を任せる。どちらかを選ぶなんて傲慢なことできない。命に謙虚であればこその選択ともいえる。
でもこれは諦めとは違うように見える。
三人とも生きようと必死で、助けようと必死だ。
生きる努力はする。助ける努力もする。どうなるか神のみぞ知る。それが人間の限界かもしれない。

備忘録

続編がもう出てた。監督が違うっぽい。
なんでボーイとガールなのかいまいちわからない。情を持たないため?
この考察自体が見当違い?


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