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映画「関心領域」 ネタバレ考察 サーモグラフィー解説

隣に誰が住んでるか知らない

僕が昔住んでいたアパートの隣には夫婦がいた。顔を合わせれば会釈する程度で名前も年齢も知らない。本当に夫婦だったのかもわからない。
仮住まいだったので僕は半年で引っ越した。
出る直前、隣の部屋のドアノブにロックが掛かって外からも開けれないようになっていた。他の住人に聞くと夫が暴力を振るい警察まで出動し最後は二人とも姿を消した。いわゆる夜逃げだ。
僕は隣に住んでいながら何も知らなかった。
言い訳すると、初めての社会人で忙しく帰りも遅かったからだけど、それでも聞いた人は「毎日怒鳴り声が聞こえる」と言っていたから普通なら気付く。鈍感にもほどがある。
その話を職場ですると先輩から「お前って薄情だもんな」と言われた。
僕にその自覚はないし何だったら気を遣う方だと思っている。
その先輩もその後、妻に逃げられるってオチを付けてきた。笑い話でもあるけどもう一つの側面がある。
薄情な人間はその自覚がなく、人の薄情さを非難する人間も同類って話。

見ざる聞かざる

この映画はBGMもなくカメラも動かず照明も使わない。
BGMがないのは銃声や叫び声を際立たせる為。
あの家族とってそれらは日常なので気にも留めない。
カメラが動かないのは一方的な視点を表現する為。
別にあの家族に限らず自分の視界に入らないものには無関心になる。
例え見えてても見ないようしたりする。

同じ強制収容所が舞台の映画「サウルの息子」では主人公は所内でユダヤ人を管理するユダヤ人なんだけど彼の周りで起こる虐殺は常にピントが合わずぼやけてる。
惨状を見て見ぬふりをしてる。
僕らが恐怖を感じた時、目をつぶったりするのと同じだ。
要は「虐殺は行われているが自分には関係ない」ってスタンスだ。
どっちの映画の主人公も関心を寄せればまともではいられない。
その証拠として「関心領域」では赤ちゃんは銃声や叫び声に泣いてるように思えるし、あの一家の妻の母は最終的には出て行ってしまう。
おそらく虐殺に耐えられない事を伝えた手紙は妻が燃やしてしまう。
無関心でい続けたいから。

監督はカメラについてこう語る。
「離れた位置から彼らを観察できるようにし彼らに反映される『自分自身』を観れるようにしたい」
ちょっと何言ってるのかわからない。
想像するとあの一家は僕らの延長線上にあるって事だと思う。
例えば、現実で誰かの悪口を言っていたら実は隣にその誰かがいたなんてことがたまにある。隣に誰がいるか?誰が聞いてるか?に無関心だから起こる。

この映画でも横領したユダヤ人の金品について女性陣が語るシーンでカメラはその隣の部屋を映す。その部屋には奴隷にされているユダヤ人の少女がいる。彼女らは気付いていないわけではないだろうけど少女の存在に関心を示さない。
僕らより無関心レベルが高いって言えるかも。
さらにラストの直前に夫が階段を降りる時、突如現代の博物館に切り替わる。
夫は自分たちがしてる事が何となく語り継がれる蛮行になる事を予想してる。でも結局、その予想も気付かないふりをしてこれからも続けていくことになる。

異動が原因で夫婦喧嘩になる。自分たちが関心のある事には感情的になり他人を責める。そのくせ虐殺には無関心。
僕と先輩のやり取りに通ずるものがある。
僕らはあの一家に大きな違いはないって事。
あぁならない為にどうすればいいのか?それが照明の話に関係してる。

世はまさに大照明時代

映画にテレビに限らず照明を気にする人が多い。
写真写りをよくするには欠かせない技術。
監督は「あの一家をパワフルに、良く見えるようにはしたくなかった」と言う。
自然光だけの彼らは人間的なのに生気や体温を感じにくい。
体温と言えばもう一つ変わったシーンがあった。
サーモグラフィーのシーンだ。
夫が家の照明を一つ一つ消していき何も見えなくなった後、
一人の少女が現れリンゴを作業現場に埋めていく。日中働かされるユダヤ人の為に。

監督は映画のリサーチで実際に活動していた人と出会いその行為を力強いエネルギーだと感じたそうだ。
それが彼女とリンゴが闇の中で不自然なまでに発光させる理由なんだろう。
彼女は自らを危険にさらしながら誰かも知らない同胞を助ける。
そしてその活動中にはあの一家の読むおとぎ話が聞こえる。
他人に無関心な一家は薄暗く、利他的な少女は暗闇の中で明るい。
そんな彼女はおとぎ話の主人公のような存在で英雄と言ってもいい。

監督はこの映画で平和と理解と仲直りを訴えたいそうだ。
隣人すら興味がなく、そんな他人の薄情に自分を棚上げにして非難する僕達にそれができるのだろうか?僕には自信がない。


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