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はじめまして

函館市で活動している青木 真人と申します。
私はフォトグラファーとして12年のキャリアを持ち、ポートレートや風景写真など幅広い分野での撮影経験が豊富です。私の得意領域は、人物写真で美しい瞬間を切り取ることが得意。人柄か鶏ガラが良いのではじめましての撮影でもリラックスして撮れるとの定評アリ。普段は写真館勤務のため、Baby、キッズ、成人式、卒業式、ウェディングなど撮影経験が多く表現の幅に繋がっております。撮影する中で人との繋がりや背景の美しさに感動し、その感動を1枚の写真に表現することが私のポリシーです。


なぜ今、noteなのか

今までも何度かブログやらに手をつけてみたが、性格上長続きしないのが悩みだったこと。キャリアが12年あるのに写真やカメラに詳しい人には到底叶わぬ知識量なことを理由に敬遠してきた。
端的に言うとやらない理由を探していたに過ぎないので自らの尻を叩くためにもまずは実行という形ではじめたわけである。
ゆっくり自分のペースで撮影してきたこと、写真に対しての思い、勉強という名目で発信していこうと思います。
何かコイツ面白そうだなと感じていただけたらアナタは相当の物好きです。

ところでMattoとは

一番有名なのはモデルでタレントのMattさんだろうか。
実は私の方がマット歴が長く、遡れば中学3年の時部活の顧問に名付けられたのがはじまりだ。
ざっと20年。ドヤァ。
由来は単純で「マサト」という名前から。
あだ名が中々定着しないのが悩みだった私にとっては非常に気にいっており、SNSをはじめ活動名、ゲームでのキャラにも付けるくらいだ。
高校生の時はなぜか「ダイスケ」というあだ名だったのだがそれはいつか書くとしよう。。。
長くなったが、気兼ねなく「マット」と呼んでいただけると嬉しい。

写真業界に入ったきっかけ

商業高校を卒業して事務職をはじめた私が気づくと写真を撮っていた。
はじめてカメラに触れたのは覚えていないが、祖父が写真好きだったので小さい頃にいじったのが最初だったように思う。
写ルンですを片手に小・中は思い出を作ったが好きという感情はなかった。
事務職をしていた時の新年会で当たったcanonのコンデジがはじめてのマイカメラで休日には桜や寺など何でも撮影しよく持ち出しのを思い出す。
だがスマホが世に出てからは写メが全盛でカメラを新たに購入したりすることはなかったのだ。
そんな私がなぜ業界に飛び込んだのか。

訪れた転機

事務職を2年ほど経験し、介護職、広告営業を経て、営業先の結婚式場の新郎モデルを務めた際に勤務先の代表と出会ったのがすべてのはじまりだった。
その後、代表と再度面談し入社の運びとなったのだが、
その時の会話がコレ。

代表「業界にカメラマンが少なくてね。誰かいないかい?」
(経験豊富なカメラマンをしょうかいしてくれないかな)

私「あー・・・私じゃダメですかね」
(実は興味があってうーんやってみっか!)

代表「・・・ん!?あ、いいけど・・・」
(何言ってんだコイツ)

質問の意図とは全くの別の回答をかました無知蒙昧な若者はこうして業界に飛び込んだのである。


って終わられなくない!?みなさん理解できました?
転機というアレでもなく、ドラマティックでもない。
大丈夫かこれ?

本当のところは?

写真業界に飛び込むにあたり広告業をやめなければならなかった。
当時の会社の先輩、代表に相談したところ実は全員反対だったのである。

「は?お前が!?絶対ムリ」
「センスないから無理でしょ」
「青木がカメラマンなんて笑えるんだけど」

などなど鼻で盛大に笑われ、悪口のオーケストラかよとなる勢いで軽く泣きそうになりましが。
「無理」その一言で火が付き、だったらなってやろうじゃねぇか!と
なったわけです。
業界に入ったら入ったでとにかくツラくて目からナイアガラな日々でしたが
なにわともあれ12年続けております。ハイ。


そんな私が発信できること

曲がりなりにも積み上げたキャリアがあるのでそれに基づいた
ノウハウや知識を発信していこうと考えております。
すっごく細かいことや更に上の知識をいれたい方はYouTubeを開いて
他のすごい方をご覧下さい。
私は私でゆるーくやっていきます。
「私が教えられるのは気構えまでッス」

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