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【 第58回 】「道徳の教科化」に思う(1)

◆道徳の思い出

小学校では、いよいよこの4月から道徳が「特別の教科」となり、年間35時間の道徳の授業が行われることになります。

これまでも、学校では道徳の時間がありましたが、「教科外活動(領域)」としての扱いでした。
私が子どものころにも、もちろん道徳の時間はありましたが、今思い返してみても、残念ながらそれほど印象に残っていません。
思い出すのは、運動会や発表会などの行事の前には、だいたい道徳の時間がその準備に充てられていた、ということです。子ども心に、「やってもやらなくてもいいんだな、道徳は」と感じていました。
どんな授業をしていたかというと、愛知県では道徳の副読本があり、その中のお話しを読んで登場人物の心情についてみんなで話し合い、最後は先生がまとめる、というパターンがほとんどだったと思います。
ですから「道徳が教科になる」と聞いても、「あぁ…運動会の準備の時間が減っちゃうんだ」という程度の感想しかありませんでした。

◆保護者の疑問

保護者目線で「道徳の教科化」と聞くと、まず「教科になる」ってどういうこと?という疑問がわきます。
「教科になる」ということは、「教科書を使って授業を行い、評価をする」ことが求められます。
そんな基本的なことも、教えてもらわなければ私たちにはわかりません。

私のように、子どものころに副読本などを使った道徳の授業を経験している保護者は、「教科書を使って」という部分にはそれほど抵抗は感じないでしょう。
ですが「評価をする」という部分については、未知のことですし、よくわからないという不安があります。
国語や算数のような「数値で表す評価」ではなく、「記述式の評価」になる、ということはメディアの報道などで周知されていますが、実際にはそれを知らない保護者がたくさんいます。
「記述式の評価」になることがわかっても、それが「所見欄」に書かれていることとどう違うのか、という疑問も出てきます。
また自分が経験してきた道徳が「それほど重要視されていなかった」と感じている保護者にとっては、「教科にするって、何の意味があるの?」という疑問もあります。

保護者の持っている「なぜ?」「どうして?」の疑問に対して、三年間の移行措置の期間中に、学校は保護者に対してどれだけの説明をしてきたでしょうか。
文科省の文書をわざわざ読む保護者はほとんどいないでしょう。
保護者にとっては、学校からのお知らせが一番大事な情報源なのです。
ですから、「教科化になる」とはどういうことなのかという基本的なことから、学習指導要領のねらいや各学校で目指す「こんな子どもに育てたい」という教育目標と照らし合わせた「道徳の位置づけ」などを、保護者にわかりやすくお知らせしてもらえるといいなと思います。

◆道徳は何で教えるのか

教科化に伴い、道徳の教科書ができます。
道徳で教えるべき内容項目は学習指導要領で決まっているので、それに沿った教科書になっているでしょう。ですから教科書を使って授業を進めることが一般的だと思います。

そうなることに異論はありませんが、私はこれまで使われてきた教材(とくに先生がご自身で考えて開発された教材)も、ぜひ活用していただきたいと思っています。
オリジナルの教材には、開発された先生の思いが詰まっています。その思いこそ、子どもたちに伝えたいことだろうと思うからです。

以前、野口芳宏先生のセミナーに参加した時に聞いた言葉が、とても印象に残っています。それは「教師が語れない道徳はダメだ」という言葉です。
「本音・実感・わがハート」を信条とされている野口先生らしい言葉だな、と感服しました。

先生の個人的な思想を授業に持ち込むことには、賛否両論があります。
けれども私は、先生が実感を持って子どもたちに思いを伝えることが、悪いことだとは思いません。(もちろん何でもOKというわけではありませんが)
道徳の内容項目に沿って、先生自身が経験したことやそこから学んだことを、授業に活かしてもらえたらよいと思うのです。
子どもたちに「語る」ためには、先生自身が語る内容について再点検する必要も出てくるでしょう。何度も点検しながら、「語る」ことの深みを増してもらえるといいなと願っています。

(2018年1月29日)

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2013年4月~2018年3月まで、5年にわたり寄稿・掲載された教育コラムの原稿集です。

保護者の視点で考えていた教育のこと、また先生方へのエールなど、自由に書かせていただきました。


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