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「地方創生×人材」のキャリアへ~「営業」に拘っていく~

2020年2回目の転職へ。

「早い」と思われるかもしれないが、自分がやるべき仕事についてこの数ヶ月でしっかり考えた末、決断することに迷いはなかった。

6月9日の転職活動開始から約10日で8社を受け、3社から内定を頂く形に。

このスピード感は我ながら誇らしいものがある。

今回は、転職した2社目の会社を辞めた理由と、僕の将来の夢を含めて話そうと思う。

■まさかの短期離職…!?

僕の根底にあるものとして、「営業」という職業にこだわりを持って仕事はしたいと思っている。

なぜなら、20代のうちに磨いた「営業力」が自らの市場価値を高める最大の武器になると思っているからである。

僕個人として、どんな商材でも売れるパーソンになるためには、“営業×無形商材”にこだわっていく必要性があると感じている。


しかし、2社目で待ち受けていた「営業」の在り方は、あまりにも僕の軸には合わないものだった。

ただの成果主義の押しつけ。

1社目の旅行会社の方で営業成績を評価されなかったことから、僕は実力主義というワードを鍵に、1月から転職活動をしていた。

しかしながらそこにあったのは、恐ろしくアンニュイな日々。

まさしく「仕事をやらされている」という表現が正しかった。

常に役員の顔色を窺い、架電数が足りなければ怒鳴られ、営業に行ってポカれば怒鳴られ、クライアント先で契約を強引にとってくるまでは電話で居座りを命じられる。

根本的に昭和チックなマインドが目立ち、いわゆる体育会系の「文句があるなら1回死んでから言え」のスタンスは、僕含め周りを腐らせていった。

新型コロナウイルスが世間的に蔓延していた昨今では信じられないが、三密の環境、平気で大声を出させる研修、週末にオフィス内で飲み会。今のご時世ではとても考えられない危機管理能力の薄さには思わず呆然としていた。

違和感を持っている社員がいるにも関わらず、裁量のない一般社員はそれを発言することも叶わず。

単純に、社会を席巻している新型ウイルスから社員を守ろうとしない上層部の思考にはついていけなかったし、その上「この人と働きたい」と思える上司が一人もいないのが僕としては諦めがついた要因だった。

テレアポは支社内で一番獲得できるぐらいには得意だったし、入社3ヶ月で成績も出せていたから順風満帆にも思えていたが、この環境下では成長は出来ないとすぐに悟って先日退職届を提出した。

「やりたいことが出来ない」ことほど苦痛なものはないと、僕は自らの浅さに後悔をしたが、ただここで得た根性論は今後の人生にも強く役立つという確信はある。

こんな短い中でも少なからず人生の財産となるものは得られたから、微々たるものながら自分に及第点は出せる。

■HRのパーソンになる

結論から話すと、2018年12月創業のHR系のスタートアップ企業に8月からお世話になることを決めた。

職種としては同じく「営業」で、主にBtoB営業を担当することになる。

単純に、僕がこの会社に入社を決めた理由は下記のものである。

・スタートアップならではの新しい営業力が身につくと思った
・スタートアップだからこそ企業の成長を共に担える存在になりうると思った
・スタートアップだからこそ新規事業の立ち上げのチャンスがあると思った
※ここに地方創生と人材育成の部分を絡めていきたい
・僕の人柄とポテンシャルをしっかり見た上で内定を出してくれた
・夢を応援してくれた

オフィス見学もさせていただいたが、一番大事にしていた風通しの部分も程よく、一般社員でも裁量権が持てる社風なのが非常に好印象だった。

そして、僕がHR(Human Resources)というところにフォーカスした点としては、やはりPOOLOに参加していたことが起因してくる。

差し詰め1月から転職活動をしていて分かったことだが、企業は一人の人間を採用するだけで、かなりの莫大な金額が動いていく。エージェントを通していたら、その会社にも粗利益を譲渡しなくてはならない。

採用コンサルというのはそれだけ大きな責任がかかる仕事だし、だからこそ挑戦してみたいという思いも強かった。

「営業力」を持っている人間は環境次第では大化けする可能性もあるし、そういった「人」(ポテンシャル)を見抜く能力を今後のキャリアで高めていきたいと、コミュニティで様々な多様性に触れてから思うようになったのだ。

AIが人智を超えてくると言った話もあるが、AIを作っているのも「人」で、結局AIを「営業」で売り込んでいるのも「人」なのだ。つまり、「営業」という仕事が今後なくなることはありえないと僕は思っている。

「人」の成長は本当に面白い。

だからこそ今の僕がbusinessに落とし込むべきものなのは、HR領域なのだ。

たった1年間で、僕のように人間不信を脱却して「営業」の魅力に気づき出している人間もいるし、僕を通して様々な気付きを得てくれる人も多くいてくれる。

ポテンシャルを最大限発揮出来る「環境」と、「人」とを繋ぐ架け橋となる存在になる。

これは僕にとってはPOOLOでやってきたことがそのまま活かせることでもあると思っているから、しばらくはこの会社に身を置きたいと思っている。

■地方創生に関心を持った理由

POOLOで1月に催行した地域交流イベント。

僕としては大したことをやったという自覚もなかったが、TABIPPOのみっちーさんが「まつたくさん!彼はね、凄いんですよ」とYouTubeで名前を取り上げてくれたこと、そして、下記のnoteでもコミュニティが動き出した一番のアクションとして挙げてくれていることが大変嬉しかった。

僕としてはあの学園祭イベントが紛れもなく人生での一番の成功体験だと思っているし、この経験を人に「凄い」と言われたからには活かさない手はないと思った。

POOLO学園祭を通じて、僕が得たものは下記の3つ。

・組織を動かす力
・個の「人」を動かす力
・外部を巻き込む力

特に「外部を巻き込む力」というところが僕は一番の面白みを見出せた部分ではあった。

千葉県睦沢町の施設を始め、自治体、町の飲食事業者、町の牧場運営者の方、町の小学校にも自らの足で「営業」をかけて様々な人を動かし、当日は外部の老若男女のお客様が約250~300名ほど足を運んでもらえる大型イベントを創り上げることが出来た。

この、「町と一体になって動いている」爽快さというのは僕の中ではやはり忘れられない快感であり、この経験をいずれかはbusinessに落とし込みたいという思いも強く残った。

今はまだ具現化出来ていないが、このように地域活性の活動に際して、将来的に優秀な人材を地方に送り込むプラットフォームが作れればベストかなあと思っているし、新しい会社で新規事業として行うか自らが起業してやるかは分からないけれども、いつかはやってみたい一つの目標として自分の中に明確化されてきたものでもある。

■1ヶ月間、埼玉県の旅館で住み込み

これまた急な話で驚かれる方もいるかもしれないが、この度埼玉県飯能市にある旅館で6/29~7/26の約1ヶ月間、住み込みのスタッフとして働かせてもらうことが決まった。

僕はあくまでも接客での採用と言われたが、滅多にない機会なので「是非とも顧客のマーケット調査や「営業」の部分にも協力させてください」と言ったら、「喜んで。一緒に何かやりましょう」と応えてくださったので、この1ヶ月は地元の埼玉県を活性するために何が出来るかということを考えながら、ライターの仕事も進めていきます。






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