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一年の始まり元日(四方節) / 日本の伝統

日本のお正月には、様々な行事やしきたりが目白押しです。
それぞれどのような意味があるのか、皆さん興味ありませんか?
日本は、建国してから2683年と言われています。
世界を見渡しても、こんなに長い歴史を持った国はどこにもありません。
また元日は、明治~昭和20年まで「四方節」とも呼ばれていたそうです。

こんにちは、松幸です。
ブログを見て下さり、ありがとうございます!
日々の中で気付いたことを発信しています。

本日は、一年の始まり元日(四方節) についてです。

元日を戦前までは「四方節」と呼んでいた

祝祭日が制定された明治時代初期から1945年(昭和20年)の戦前までは、四方拝の宮中祭祀の行われる1月1日は四方節とよばれていたそうです。その由来は、毎年1月1日(元日)の早朝、歳旦祭に先だって、宮中・神嘉殿の南庭で天皇が天地四方の神祇を拝する儀式(四方拝)を行いことから名づけられています。現在は、皇室の私的な行事として、旧例に準拠して行われているそうです。

日本大百科全書(ニッポニカ)「四方拝」の解説

朝廷の年中行事。天皇が元日の早朝に天地四方を拝する儀式。清涼殿(せいりょうでん)の東庭に4帖(じょう)の屏風(びょうぶ)で周囲を囲った中に御座を設け、その前に白木の机を置き、花や灯火を供える。寅(とら)の刻(午前4時)、天皇が黄櫨染(こうろぜん)の袍(ほう)を着して出御し、まず呪文(じゅもん)を唱えて属星(しょくじょう)(その人の運命を支配するとされる星)を拝し、さらに天地と東西南北の四方を拝してから、父母の山陵を拝する。起源は中国で、平安時代初期に取り入れられて以来、連綿と継続した。とくに明治維新後も存続して現在に及んでいるのは、きわめて特異な朝儀といえよう。ただし明治以後は皇居内の神嘉殿(しんかでん)の南庭で、伊勢(いせ)の両宮と四方の諸神を拝することになった。なお、朝廷以外でも公卿(くぎょう)諸臣の家で、元日の朝四方を拝する儀式が行われた。

天皇が清涼殿の東庭に出て、属星(ぞくしょう)・天地四方・山陵を拝し、五穀豊穣・天下太平を祈る儀式なのですね。日本国民に対するお祈りです。

そもそも、お正月行事は、何のためにあるの?

お正月には一年を健やかに過ごすため、「歳神様」をお迎えするという風習があります。
歳神様とは新年の豊かな稲の実りを約束してくれる穀物神とされ、歳神様を祀る行事は豊作祈念のための、お正月の中心行事となりました。
お正月の元旦は神様が新年の幸福をもたらすために各家庭に訪れるとされ、
その目標物として門松やしめ飾り、そして鏡餅に宿るのだそうです。

神様をお迎えしてたくさんの幸せをもたらしてもらうために正月には様々な風習が生まれたとされています。

大晦日
大掃除、年越しそば、除夜の鐘
その他、門松・しめ縄・鏡餅を飾ります

正月三が日(松の内)のお正月行事
初日の出、初詣、初夢、書初め、お節、お屠蘇、お雑煮、お年玉、七草粥

松の内明けのお正月行事
鏡開き、小正月、ドンドン焼き など

日本の長い歴史に感謝し、
この伝統にあふれる日本で生活出来る事に喜びを感じ、
2023年も良い年に出来るようにして行きましょうね!


このブログが、皆さんにとって小さな気付きになり、皆さんの行動へ向けた原動力や豊かな生活に向けて少しでも貢献できると嬉しいです。

勇気・強気・やる気・世の中元気!
最後まで読んで頂きまして、ありがとうございます!

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