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ヨコのかたな史①上古刀~平安末期

 刀の勉強、そう思って始めると大体は書籍からの入りになると思います。
その刀剣関係の書籍ですが、大方のものが所謂『五箇伝』や時代による姿の変遷から入って、割と唐突に個別の刀工に行く事が多い気がします。
 これはそこに横軸の視点を入れてみようというお話です。

ヨコの○○史とは

 そもそも『ヨコの~史』という表現に馴染みがありませんね。
 これは個人的に大学受験の時に世界史で知った方法で、かなりお世話になった面白くて理解も早い見方の一つです。
 ヨコがあるからにはタテもあるのですが、タテは特定の地域や土地に限定し、上代から順に時代を下って見ていく方法で、ヨコは時代や世紀など時間軸の何処かで全体を輪切りにし、特定の同時代・同時期に何処で何が起こっていたかを見る方法です。

 刀の勉強にもこれが応用出来ないかなと思い、数年前にノートに書いて勉強していた事を順に少しずつまとめて復習していこうというシリーズになります。

鑑定的ではない視線で

 また、上記のような従来の見方がおおよそ鑑定的な視点で書かれているので、それとはまた少し違った意味で日本刀の歴史を掴んでみるのはどうだろう、という事でもあります。
 従来のよくある探求用の書籍でも、大体はまず五箇伝と時代による姿の変化を把握し……という所から始まり、各刀工や伝法に入っていくと思いますが、時代と刀工が同じ枠に入っていても、別の地域や伝法の刀工になるとまた時代の初期からやり直しだったり、同時期で別地域の情報が同時に出てくる事はあまり多くない気がします。
 タテとヨコが細切れで入っている状態ですね。これだと、何処に焦点を当てて集中して見ていけばいいのか分かりにくいです。
 なので、特定の時代や時期で一気にヨコに輪切りにして見てみましょう。
「いつ、何処で、誰が」をセットにしたコンセプトです。

上古刀~平安末期という時代

 まずは見る時期を区切りましょう。
 今回は上代~平安末期という時代にかけて見ていきます。

 ……と言っても、上古刀に分類される古墳時代~平安期に見る刀剣類はほぼ直刀か剣の例がまま入るという程度です。勿論細かく分ければ、平造り、切刃造り、鋒両刃造りの形式があり、個別に認識される刀剣としては小烏丸のような直刀から湾刀への過渡期の姿がある程度かもしれません。
 剣は祭祀用に後代まで受け継がれていきますが、それ以外の形式の刀剣は現存数も少なく見られる場所も限られています。多くは儀式的なものの扱いで、直刀の太刀が内裏での装束の一部として登場するイメージがありますね。

 結構長く続いた平安時代ですが、その末期になって湾刀が主体になってきます。11~12世紀にかけてのこの時代、一般的に言われる姿は
・殆ど太刀姿
腰で反り、反りは高く、先に向け細くなって踏ん張りがある
物打ち付近は直線的で細い
・地鉄や刃にあまり差異が見られず、京物と地方物に差が少ない

 ……などでしょうか。この辺りを典型例としておきましょう。
 ただ、これらの特徴はあくまで最も生産量があった地域などでポピュラーと思われる姿を指しているだけです。
 ではこの時代で輪切りにして日本全体を見てみましょう。

平安末期(からちょっと鎌倉)で見た刀剣の日本地図

 ここでは、11~12世紀で区切った時の刀剣に関する日本地図的な構図で見ていきます。伝法らしきものがあるものもありますが、まだ少ないです。
 先述の小烏丸が一説に天国(あまくに)の作とされ、天国が大和の刀工である事から既に大和では大和伝に相当する伝法のようなものがあったと思われます。ただ、大和伝と明確に区分けされている作に銘などの特定要素が出てくるのは鎌倉時代に入ってからになります。

・伯耆(鳥取)
 最も古い刀工の有銘作が残ると言われるのが伯耆の安綱です。童子切安綱で有名ですね。他にも流れとして大原真守などが居ます。
 同時期ですが、既に作品の特徴は上記の典型例から外れます。古備前味があり、丁子風の刃があるとも言われる一派が居た地域です。
 お隣の島根・奥出雲は現代でもたたら製鉄が行われている場所として印象深い地域ですね。余談で時代はかなり下りますが、『もののけ姫』のたたら場の舞台が恐らくこの辺の中国地方北部らしいと言われるくらい製鉄文化と縁が強い土地です。

・山城(京都近辺)
 この時期の刀剣の主たる産地で、山城伝の伝法が出来ていた地域です。
 伝法の内容としては上記の典型例がほぼ当て嵌まり、三条宗近吉家兼永五条国永、河内の有成などの刀工が並んでいます。三日月宗近鶴丸国永は勿論、吉家の太刀『京のかたな』展で並んでいました。
 この時期の貴族的な趣味を反映した、優美で嫋やかな太刀姿が特徴です。

・大和(奈良)
 先述のように、最も古く生まれた伝法を持つ地域なので作刀は確実にされていたと思われますが、個別銘の刀工はまだ見られません。

・備前(岡山東部)
 時代は少し鎌倉にかかりますが古備前派の産地です。時期がやや広いので作風が多様で現存数も比較的多いです。上記の典型例に加えて先が細らない、鋒が大きめ、反りがやや浅め(それでも結構反ってる)などの差異があります。
 備前伝というと匂出来のイメージがありますが、古備前に完全な匂出来はなく、細かな沸出来と言われます。鎌倉以降に匂出来を特徴に持ちます。
 著名な刀工としては友成、正恒、信房、包平、行秀などが居ます。鶯丸厳島の友成大包平と言えば分かりやすいですね。此処に居ます。

・備中(岡山中部から西部)
 守次を事実上の祖とする古青江派が此処に来ます。「次」を通字として多くの刀工がおり、後鳥羽院の御番鍛冶にも選ばれている刀工が居ます。数珠丸恒次で知られる恒次も此処ですが同銘の作者が居て、時代が下った所にも出てきます。

・筑後(福岡南部)
 三池典太光世が此処に来ます。が、この時期の光世の作と分かっているのは大典太光世のみで、この流派はその後室町時代まで続きます。大典太光世がかなり古い刀剣で、しかも地方刀工なのが分かりますね。

・豊前(福岡東部)
 豊前長円(ながのぶ、ちょうえん)が居ます。他にも、在銘の作品が唯一存在する(佐野美術館)だけの刀工・神息も此処です。古い時代の地方刀工だったのですね。

・豊後(大分)
 豊後定秀が居ますが作品は稀有で行平に酷似するとも言われます。弟子に当たると言われるのがやや鎌倉にかかる豊後行平です。
 行平まで行くと、古今伝授の太刀など号のあるものや、在銘のものが比較的見られますが、後述する古波平と共に大和伝を守った堅実な作風であると言われます。
 つまり、この付近の地方刀工は、何らかの形で大和から流れてきて、伝法としては確立されている大和伝をベースにした作風をしているとも言えます。地理的に見るとかなり遠いですが、まだこの時期は有銘作が見られない大和伝の作風を出す存在として大きな意味がありますね。

・薩摩(鹿児島)
 古波平(なみのひら)一派が此処に入ります。前述の豊後行平と同様に大和伝の作風であると言われ、正国を祖としています。ただ正国には現存作がなく、子の行安(ゆきやす)を嫡流として新々刀期まで続きます。
「波平らかにして行くに安し」に通じて縁起が良いというので船乗りに好まれる作の一派となっていきます。現在は京都の北野天満宮に所蔵が数振りある他、各地で見られます。
 この平安期では年紀として刀剣史上最古と言われる平治元年紀行正というこの一派の刀工の作に残っています。

そして鎌倉時代へ

 いかがでしたか?
 上代~平安末期(一部ちょっと鎌倉にかかる)の部分で切り取ると、日本刀の分布図は上のような感じで、京都を中心として大和、そして西日本にかけて発達して伸びているのが分かります。
 後代まで長く続く地方鍛冶の一族もあるので、地方刀工に関してはこの時期だけのものとも言えないのですが、その中にも有名な刀剣が号などを持って残っているので「あれがこの頃の区分に入るのか!」という感じもあったかと思います。
 特にこの時期の九州鍛冶は南部と北部でそれぞれ栄えており、通じて大和伝を流れとして持っている事が興味深いですね。この後の時代に九州に入ってくる鍛冶集団はどうだったのでしょうか?
 この後、時代は貴族社会から武家社会へと変わり、刀剣を持つ事や使う事の意味も変化していきます。続く鎌倉時代前期の刀剣的日本地図がどうなるか、想像してみてくださいね。



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