機関紙「識空」宣伝

現在、松山文学研究会では初の機関紙「識空」の制作を、複数のサークルと共同して行っています。作成の意図をnoteにまとめようか、と思ったのですが、それよりは本会が機関紙に載せる予定の拙稿を端書きとした方が良いと感じたため、宣伝の意味を込めて掲載します。もし興味を持たれた方等がいらっしゃれば連絡くださると嬉しいです。
メールアドレス
matsuyamabungakudsk@gmail.com

ことばの価値を探る意味

『この世界で、「知っていること」と「知らないこと」のどちらが多いですか?』
この問いに答えることはそう難しくはない、と思います。しかしながら、私たちは(気づいているかどうかはさておいて)「知っていること」に囲まれて生活することが多く、その中でだんだんと「知らないこと」に囲まれていることを忘れがちにもなります。

わたしは松山文学研究会という団体でおよそ二年間活動をしてきましたが、その活動を一言で述べるとすれば、「知らないことに出会う活動」と言うに尽きます。
活動の具体的な一つのものに読書会がありますが、その中でたとえば、『あなたは夏目漱石を知っていますか?』という問いを活動の参加者に投げかけると、多くの場合は「知っている」と返ってきます。しかし、『漱石の「それから」という作品を知っていますか?』と問いを投げかけると、ほとんど「知らない」と返ってきます。
「それから」という作品は、一九〇二年(明治四二年)に朝日新聞に連載された作品ですが、すでに亡くなってから一〇〇年以上が過ぎている夏目漱石の名前は知られても、彼の名が知られる所以である作品の数々は知られていないことが弊会においてもほとんどです。この矛盾のような実際を、わたしはとても面白いと思っています。文学に対するイメージ、捉えられ方の大半を端的に表していると思うからです。

文学について「知っている」とは、実際に作品に触れたという事実から出発すると私は考えています。
たとえば実際に、夏目漱石の作品である「それから」という小説を扱って読書会をすると、「日本を代表する有名な文豪である」という夏目漱石のイメージは、作品に対して「難しい」「何が言いたいのかわからない」「もっと素直にしゃべれ」「こじらせすぎ」といった様々な感想を交わし、その後作品そのものの批評を経ると、「頭が固すぎてこじらせている、けれど真面目で温かい人」といった、どこにでもいる一人の人間として映るようになります。
以上の経験は私にとってのものですが、文学研究の営みの第一歩とは、まさしくこのような「知らないと思っていたこと」が「知っていることだった」と気づくことであると思っています。もう少し言葉を付け足すと、本会が目指しているのは、文学を通して世界と繋がっているという体験を実現すること(文学体験)、そしてそのつながりの意味を模索する(作品批評)中で、文学という虚構の持つ可能性を追求することだということです。

しかしながら、以上のような研究の営みを文学研究会と銘打った団体で行う本当の意味とは、アカデミズムの下で文学を研究することとはまた別であると考えています。

ことばの飽和する中で

私は一学生として現代で生活を送る中、ことばが空中分解していくような場面に出くわすと、しばしば寂しいような、恐ろしいような感覚を抱きます。それは端的に、ことばのそのものを軽視するような風潮を感じる、と言い換えても良いかもしれません。もちろん私見ではありますが、そこまで偏ったものではないのだろうと活字・読書離れ、国語教科書の悪訂、政治家の公正な言説の崩壊、フェイクニュースの蔓延…といった、世間でも取りざたされている話題からも感じています。そして、そのことばの空中分解は既に「まあ、でもそれは仕方がないよね」と、自然の摂理が如く受容されてしまっているほどに進んでいることも事実だと思っています。
文学という分野に視点を当てても、これから多くの社会的問題に直面していくなかで解体の危機に瀕することは多々あるでしょう。むしろ、これからはことばの新しい在り方を一層シビアに問われる過酷な時代になるのではないかと、わたしはすでに述べた「国語教科書の悪訂」(高校国語教科書において、『実用的な文章を読む力を育てる』という観点の下、文学国語・論理国語といった教科内の区別が設けられ、選択制のもとで導入がなされる予定です)という事象から切に感じました。
文学とよばれるものが圧迫されてきた過去は、決してはるか昔のものではありません。戦時中の言論弾圧の過程で文学が弾圧されるということは知られるところです。そして、弾圧がなされる際時代を越えて根強く繰り返されるのは「でも文学なんて、何の役に立つの?」
という問いです。戦時中は語気を強め、文学などは贅沢品である、と言われ排斥されましたが、その本質は同じでしょう。
私は、現代においてこの言説が形を変えて顔を出し、だんだんと力を持ち始めているのではないかとひそかに疑っています。

ことばを問う

「文学なんて、何の役に立つの?」ということばの根には、「役に立たないものは必要ない」という一元的な価値観の下で行われる切り捨て論の暴走の可能性が、静かに眠っているように私は感じています。そしてそれは、すでに述べたことばが空中で分解されていく感覚や言論弾圧の歴史に裏付けされ、一層深刻なものとして自分に迫っています。
もちろん、「文学は人生において役に立つということに気づけないのは愚かだ」と、その問自体に見切りをつけることは非常に簡単なことだろうと思います。しかしながら「ことば」が飽和しながらも、ゆっくりとかつての形を失いつつある現代において、その問に正面から向き合うということは、ことばそのものを再構築し、その価値を継承するという意味を兼ね備えていると同時に、社会と向き合うことを意味するはずだと考えています。
つい先日、「障がい者は生きていてもつらいだけだ」という一方向的な価値観の下行われた相模原殺傷事件の被告が死刑判決を言い渡されましたが、彼の言葉は非常にするどく私に突き刺さりました。もちろん、彼の凶行は法の裁き無しに許されるものではありません。しかしながら、「障がい者は生きててもつらいだけ」ということばが重く私にのしかかってきたのは、社会において資本主義的な考えの基で「役に立つ、役に立たない」といったことばが当たり前のように使われている事実があるからです。
「何に対して」役立つかという十分な検討がないままに「役に立つ・立たない」の論理が暴走してしまうと、彼の起こしたような悲劇は繰り返されてしまうと思っています。
ことばをみつめるという営みは、文学研究の一つの大きな役割です。そして、その研究の結果、文学という虚構の可能性を提示することは、「何に対して」役立つかを考えることととても密接に関係していると感じています。

私たちは、手に触れられないという意味では虚構である「ことば」を扱い、手で触れられる以上の真実を創り出すことができます。
そして、私たちがことばを扱って生きていく存在である以上、ことばが持つ力を模索し続け、その上でその力をいかに扱っていくかを問われ続けなければいけないでしょう。

私たちの足跡

弊会は以上のことを理由に、現代において特定の権威、権力から中立して(文学に限らず様々な事象の)研究活動を行うことができる場を作ること自体に、意義を見出しています。
研究活動を行う場があるということ自体が、ことばの可能性を追求していく前提であると考えるからです。

本誌「識空」はその活動の場を広げ、社会に対してことばの可能性を発信することを企図して制作しましたが、この小さな文学研究会のささやかな意思に賛同し、協力してくださった方々の人数は想像以上でした。
まだまだ知らない世界が私を囲んでいる、と知ることは、非常に心強く有難いことだと編集として痛感しています。

この五〇ページ程度のコピー本は、ことばの可能性を信じ、そして社会に対して発信する意味を追求する人々のことばの結晶です。この学芸誌がことばの可能性を探る場となり、同じくことばの可能性を信じるひとたちの励ましになることができれば、作成者一同これ以上に幸いなことはありません。(松山文学研究会 あいさつ)


以上になります。
現在のところ当機関誌では、俳句、短歌、小説、詩、書論、評論、文学論、各団体座談録等の掲載予定です。
総勢20名近い方に執筆をいただいております。
主に学生によって綴られた小さな機関紙ですが、地方の高らかな叫び声が誰かに届くことがあれば幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?