「食卓に“血”は関係ない」ステップファミリー・川崎貴子さんのオリジナルな家族像
経営者・川崎貴子さんの家は再婚により血縁のない親子・姉妹関係がある家族、いわゆる「ステップファミリー」です。離婚後、貴子さんは長女が1歳の時に8歳下の正博さんと出会い、再婚。後に2人の間に次女が誕生し、現在は4人家族で暮らしています。
川崎さん夫妻は「男は仕事/女は家庭」といった性別役割分業に縛られることなく、家事・育児の分担も流動的に決めているそう。
これまでの慣例にとらわれない、オリジナルな家族像が垣間見える川崎家の食卓ヒストリーを聞きました。
「私=働く人、彼=家事と子育てする人」だった
すでに食事の準備万端で迎えてくださった川崎家のダイニングには、カオマンガイやラープガイがきれいに並んでいた。タイ料理らしく、たっぷりのパクチーも付け合わせてある。
16歳の千耀さん、9歳の響生さんも好きなメニューだそうで、エスニック料理はこの家の定番らしい。そう言われてみれば、ご自宅のインテリアもオリエンタルな雰囲気だ。
「カオマンガイのタレ、おいしい?(おいしい! と千耀さんが即答)よかった。今日はごま油をきかせてみたの。それにニョクマムとオイスターソース、あとみりんの割合もいつもとちょっと変えて。あとお酢と生姜も入れたな」
ちなみにカオマンガイとは、茹で鶏とその煮汁が染み込んだ東南アジア由来の炊き込みご飯で、ラープガイは鶏ひき肉のサラダのことである。
「私は最初にレシピを見て、そこから徐々に自己流のアレンジを加えていくんですが、正博はそのときどきのパッションでやる人。だから二度と同じ味は作れないですけど、どれも美味しい。料理上手ですね」
貴子さんはダンサーの正博さんと2008年に子連れ再婚し、今年で結婚14年目になる。
もともと料理は嫌いじゃなかった。2人の娘さんは口を揃えて「ママは料理上手」と言う。
しかし、再婚後の6年間は一切包丁を握らず、「私=働く人、彼=家事と子育てする人」という分担だったそう。
貴子さんが自身の会社を起業したのは1997年、25歳の時。証券会社や銀行が破綻し、大企業が派遣スタッフを解雇しはじめた時代だった。
「クビを切られていくのは女性や非正規雇用の職員ばかり。この女性たちが全員活躍できたら日本全体のパフォーマンスも絶対に上がるのに、と悔しくて。それで、女性に特化した人材紹介事業を立ち上げたんです。最初は仕事の紹介だけでしたが、教育事業、コンサルティングと事業を拡大し、今では働くキャリア女性たちの婚活サービスまで手掛けています」
起業以来、あの手この手で女性支援を続けてきた貴子さん。しかし、2008年の再婚直後、リーマンショックで取引先が次々と破綻し、貴子さんの会社も倒産寸前まで追い込まれる。さらに離婚後もフォローしてくれていた元夫が原因不明の突然死。底の見えない、暗黒の30代を味わうことになった。
「その当時は会社が拡大路線をひた走っていた時期で。苦境の中でも、なんとか会社を大きくしようとがむしゃらに働いていました。夜も会食続きで、ものすごく忙しかったんです。だから、家事・育児は、再婚したばかりの正博にほぼすべて丸投げ。今思えば、私と家族の“生活”はすっかり抜け落ちていました」
底なし沼のような日々の中で「家族」の時間を求めている自分に気がついた頃、39歳で次女を妊娠。次女・響生さんの誕生を機に家族と生活する時間を意識的にとるようになり、次第に料理も再開した。
「自分の人生を見つめ直した結果、料理をもう一度はじめた感覚はありますね。料理って、じゃがいもの芽を取るような細かい作業の連続ですよね。そういう面倒なことって、自分だけのためなら出来るだけ省略したくなってしまう。でも家族が食べると思うと、ちょっとしたひと手間も苦じゃなくなるというか。それって全部愛だなって思うんです」
その後、会社は拡大路線をやめ、貴子さんは本当に自分にしかできない、やりたい仕事だけに集中することに。家族と食卓を囲む時間が増え、料理のレパートリーも増えていった。
コロナ禍の去年からはお菓子作りにもチャレンジするようになり、この日は牛乳寒天の杏仁豆腐に加え、取材陣のためにとバナナケーキも用意してくれた。
「メシマズ」で培われた料理スキル
貴子さんの料理の起源は、母が「メシマズ」だったことに由来する。
「ワイドショーで『煮干しが身体にいい』と聞けば、母はずっと煮干しを食卓に出し続けるんです。それも、煮干しを豆腐に混ぜる、みたいな独創的なスタイルで(笑)」
千耀さんも楽しそうにおばあちゃんの仰天レシピを披露してくれた。
「別に貧乏じゃないはずなのに、すごいんだよね。ごはんの上に生のサイコロ切りの人参と、賞味期限ギリギリのしらすをバーンとのっけた丼とかね(笑)」
貴子さんの学生時代のお弁当にはいつも、半分に切ったゆで卵がご飯の中にねじ込んであった。おかずはなし。以上。
貴子さんは「生き残るために」小学校3年生から進んで台所に立つようになり、妹はフードコーディネーターの資格をとるほどまでの腕前に成長した。
「ある意味、母の料理のおかげで姉妹共に自立できたと思ってます。私は今、長女のお弁当を毎朝作ってるんですけど、子どもの時に自分が食べたかったお弁当を自分が作ることで、子ども時代の私を満たしてあげている感覚があるんです」
《よく遊んでくれるお兄さん》が《パパ》になる
大黒柱として奮闘した後、ワーク・ライフ・バランスを見つめ直した貴子さん。その一方、27歳で結婚後、突如子持ちとなって家事・育児を一人で担うことになった正博さん側から見たヒストリーはどうだろう。
「結婚してすぐに貴ちゃん(貴子さんのこと)に料理本をもらったんです。娘に食べさせなきゃいけないから覚えろよ、という意味ですよね。しかも自分の嫌いな料理には✕がしてあったり、昼に食べたいもの、夜に食べたいもの、みたいな感じで時間指定まで書き込まれてて……。その時はまだ若くて素直だったので、そのまま従いました(笑)」
今では正博さんも「残りのキャベツ使っておいて!」で一品が作れるようになった。
もともと正博さんのお父さんは料理好きで、その腕前はプロ級だそう。一方、正博さんのお母さんは、バリバリ仕事をこなし、外を飛び回っていた。幼い頃からそんな両親を見て育っていたことから、男性が台所に立つことにまったく抵抗はなかったという。つまり、貴子さんと同じく正博さんも「男は仕事/女は家庭」という性別役割分業に縛られていなかったのだ。
「僕は、大学を出たら企業に就職して毎朝スーツ着て出勤して……みたいな社会のレールから外れた生き方をしていて。貴ちゃんと出会った当初はコンテンポラリーダンサーをしていたんですが、仕事は週に1回。人からみたら“ちょっと変わったヤツ”だったと思います。そのせいか、世間の“常識”とか“普通”みたいなことを気にしない部分があって、子持ちの貴ちゃんと一緒になることも全然気にならなかったですね」
ビジネスマインド溢れる貴子さんと、アーティスティックな正博さん。互いに異なる特性を活かし、尊重し合うことで「家族」を作ってきた。
聞けば2人は、出会った瞬間から互いの相性の良さを嗅ぎ取っていたという。
「シングルマザーの時に正博と出会ったんですが、その時たまたま私の長女もいて、自然に肩車をしてくれたんです。『キミ、いい!』とビビッときて、すぐに彼をデートに誘って今に至ります。
長女の父親である元夫は同じくベンチャー企業の経営者で、仕事上では良きパートナーでしたが、結婚生活は家の中に《勝ち気な社長》が2人いるようで、衝突しがちでした。
でも正博は、私の“経営者”という肩書にも頓着しないし、適応力が高く、家事・育児もできる。母性の強い男性だな、と思いました」
「貴ちゃんの第一印象は、バリバリと仕事をこなしていて、即断即決な言動が格好いい人。会ってすぐ、なんとくピンときたんですよね。
上手く言えないけど、《父性の強い女性》と《母性の強い男性》は自然に惹かれ合うってことなのかな。だからか、僕もはじめて貴ちゃんに会った時から素敵な人だなあって惹かれてましたね」
ただ、いくら“普通”にとらわれない正博さんとはいえ、いきなり「父親」になれるものだろうか。正博さんは初期の戸惑いも教えてくれた。
「たしかに最初は千耀と血がつながっていないことをハードルに感じることもありましたし、“普通”と違う家族のあり方に不安を覚えた瞬間もあります。でも10年以上の経験で思うのは、ずっと一緒にいる“時間”が、人と人との結びつきをつくるのかなってことです」
正博さんと出会った頃はまだ赤ちゃんだったこともあり、父が「義父」であることをしばらく知らないまま育ってきた千耀さんもこう明かす。
「私も《よく遊んでくれるお兄さん》がどうやって《パパ》になっていったか覚えてないんですよね。
ただお母さんが『よろしく!』って感じで、本当にパパに育児を丸投げしたらしいんです。そうすると、日中もし私になにかあったらパパのせいになる。そういう責任感や一緒に過ごす時間の長さのおかげで“勝手に”親子になれたのかもしれないですね」
千耀さんが小さいころから、彼女の顔色の変化をいち早く察知するのは正博さんで、たいていその後に熱を出した。逆に貴子さんはまったく気づかなかったこともあったというから、若き日の正博さんがどれだけ娘に向き合っていたのか、その献身を感じずにはいられない。
そうした時間のおかげで、父と娘の間にはしっかりと“家族の絆”が生まれていた。しかし千耀さんが8歳の時、それを揺るがす出来事が起こる。正博さんと血の繋がりがないことを知らずに育っていた千耀さんが、血液型検査を受けたのだ。カミングアウトの時は突然やってきた。
食卓に“血”は関係ない
「話を聞いて青ざめました。すでに長女はネットも使えたので、血液型のことを調べてしまえば正博と血縁関係がないことがわかってしまう。だから、慌てて告知しました。
その時には次女も生まれていたので、『え、私だけお父さんが違うの?』という反応でしたね。『ギャー!』と叫んでもいたな(笑)。8歳だったので、さすがにちょっと早かったなと思いましたが、思春期の大変な時期にカミングアウトするのは嫌だったので、結果オーライだったと思っています」
千耀さんもその時のことは今でもはっきりと覚えている。「まだ小さかったから、裏切られたと思った」そう。しかし、母から告知を受けて家に戻ると、いつものように「部屋が汚ねえ!」と容赦なく自分に激怒してくる父の姿があった。
「帰ったらいつもどおりの日常があって、なんにも変わらないパパがいた。今思えばそれですごく安心した気がします」
「安心したっていうのははじめて聞いたな。今日の取材受けてよかった(笑)」
正博さんがカオマンガイを食べる手を止めて、驚きの表情を見せる。
「“ステップファミリー”とか“パッチワークファミリー”とかいろんな呼び方がありますけど、そもそも夫婦ですら血がつながってませんよね。なのにこんなに長いこと一緒にいて、同じご飯を食べ続けるわけじゃないですか。そうして家族になっていく。だから家族って“血”の問題じゃないのかなって思うんです」
貴子さんは来年、50歳を迎える。4年前には乳がんになり、右乳房を全摘出。それも病気がわかってすぐ「乳がんプロジェクト」と名付けることで、前向きに家族で乗り越えられた。ピンチや逆境になるほど貴子さんの力が発揮される。激動の人生を聞きながら、その“苦境を跳ね返す力”の強さに圧倒された。
「暗黒の30代、次女の響生が生まれ一家の大黒柱として突っ走った40代と、それぞれに意味があったと感じているんです。それを活かして50代からは、もっと世の中のためになることを積極的にやっていきたいと思っています」
子どもたちはとっくにお昼ごはんを終え、各々で片付けを始めていた。すでに姉妹はしっかり自立しているようだ。その姿を見ながら貴子さんは言う。
「この子たちが誰より私の背中を厳しく見ていると思うんです。だから絶対にかっこ悪いことはできないですね」
家族で囲む「食卓」は当たり前の風景かもしれません。その「当たり前」の積み重ねが「家族」を育むのであれば、「当たり前」は努力の連続だとも言えるのではないでしょうか。
川崎さん一家との対話で、「普通」や「当たり前」の意味を問い直したくなりました。
取材:松屋フーズ・小泉なつみ 執筆:小泉なつみ 写真:吉屋亮 編集:ツドイ