躁じゃない。鬱でもない。フィクションですよ、、、。

衝動的に生きるの楽しい!最高!ってなりませんか?
私はよくなります。
狂ったようにポジティブになって、タスクをバリバリこなして、いろんな人と関わって、みたいな。
振り返ってみるとすごい刹那的なものだった気もする。知らんけど。
消えたい苦しい辛いが口癖の人間のくせに、たまに分からなくなっちゃう。
こんな落差も含めて生きるってことなのかな?だとしたら疲れませんか?

生きるの疲れた。
だからといって死ぬのも疲れる。その後も疲れる。
だから仕方なく生きている。

みんなそうなのかな。
0.01%くらいの確率で楽しいと思える時もあるけど日常の刺激はあまりにも強すぎる気がする。
全てを感じ取り、感情を揺さぶられることが必要とされていることは分かってる。
そこに私自身の生きる義務があることだって分かってる。

こうやって言葉にできないものを毎秒ごとに擦り減らし、すり減らされていく。
どうしたいか、どうなりたいか?別に絶望だらけの社会に望みなんてない。
強いて言うなら安楽死はしたいけど、そのために200万使うなら生きる自分に投資するんだろうな。奨学金返済とか生活費とか。

でも早く死ねたらいいのにとは思う。
これは逃げることを正当化しているので、褒められるべきものじゃないのは分かってる。
でも思うくらい別によくないですか?実行はしませんよ。もちろん。

というわけで私は今日も義務とタスクと微かな楽しみがあるので頑張ります!
生きるのに疲れてます。逃げたいです。死ぬことが負けだとしても、それが逃げることなら喜んで負けます。死にたい。

#日記 #エッセイ #楽しい #死にたい

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