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[Part1]大学で起業し、走ってきた8年 〜TOYOTA等から10億円資金調達し、「Forbes 30 Under 30 Asia」に選出された20代・創業期〜

こんにちは、オプティマインド代表の松下健です。

突然ですが、今年で30歳になります。名古屋大学の学生時代に起業し、あっという間に8年が経ちました。なかなかに濃い時間を過ごしてきたと思っていますが、改めてどんなことがあったか?30歳という節目を前に整理してみたいと思い、起業から今までをまとめてみました。

起業を考えている方、新規事業を立ち上げたい方、新しい環境に行こうか迷っている方へ、何かの参考になれますと幸いです。

時給750円の喫茶店バイトで貯めた25万円を元手に起業してから、うまく行ったことばかりではありません。むしろ上手く行かないことの連続だった気がします。システムの受託開発をしていた頃に寝不足と体調不良で救急車で運ばれたり、 一緒に頑張ってきた仲間が抜けてしまったり、起業から今の事業をはじめられるまでに3年かかったり。 苦労はしてきましたが「僕でも、ここまではこられた」ということ、そして「未来は正しい努力の積み重ね以外にない」と思っています。

では、書いていきます。

最初にどんな子どもだったかというと、「自分が追求したことや、持っている技術で、周りの方に喜んでもらうことに幸せ」を感じていました。

例えば、
「靴磨き名人」
・どの道具を組み合わせれば、靴が一番ピカピカになるか?
・どのスポンジと洗剤の組み合わせが一番水垢を落とすか?
を追求し(笑)、両親を喜ばせていました。
「シャーペン修理工場」
小学校のころ、友達のシャーペンの芯が詰まるのを、ピンセットと針を駆使してよく直していました。喜んでもらうのが、素直に嬉しかったのです。

あと、祖父の影響も大きかったと思っています。貧しい環境で育ちながらも筆を握り続け、日本画家として大成した母方の祖父を尊敬していました。「自分も自分ならではの技術を持って、人を喜ばせたい」と思っていたのを覚えています。

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高校時代は理系を選択し、社会を変えるような何か大きなことをしていきたいと考えていました。
ずっと心のどこかにあったのは、「何者かになりたい」という気持ちです。
今思うと漠然としすぎていますが、何か社会にインパクトを与えるようなことがしたいと思っていました。この「何者かになりたい」という想いが今の自分にも繋がっているような気がします。

進んだ大学は、名古屋大学の情報文化学部です。情報文化学部は、文理融合の学部で、そこの理系コースに進みました。はじめは工学部に進もうと思っていたのですが、情報文化学部のパンフレットに書かれた「文理の概念を超え、テクノロジーを社会に還元していくこと」が目に留まり、情報文化学部に進むことを決めました。

高校時代から考えていた「社会にインパクトを与えるような人になりたい」という想いと、パンフレットの文言がリンクしたように感じたときでした。もしかしたら「この学部で自分が何者になるか、分かるのかもしれない」、そんな感覚があったのかもしれません。この学部で学び、世界を変えてみたいと思いました。(パンフレットを見た日の夜、ワクワクしてなかなか寝付けなかったのを今でも覚えています)

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そして入学してすぐ、この想いの実現に一歩近づいたような出来事がありました。
教授がおこなう学部の説明会のことです。現在、オプティマインドの技術顧問をしていただいている柳浦教授が「組合せ最適化アルゴリズム」についてパズルを使い説明をしていました。

「旅人が一筆書きで複数の都市を回るにはどのルートが最短になるか」
「自動車工場で、一枚の鉄板に部品をどう割り当てると、鉄板廃棄コストを最小化できるか」
これらが「数学・アルゴリズム」で解決できることを知り、こういった技術が人々の生活に貢献できるのか、とワクワクした気持ちで聞いていました。

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数学を理論的に研究するだけではない。
アルゴリズムによって実社会にインパクトを与えられるかもしれない。
アルゴリズムという「武器」を自分が持つことで、世の中を変えられるのかもしれない。

アルゴリズムにそんな無限の可能性を感じました。そして柳浦教授に直接話をしにいき、大学でアルゴリズムを学ぶ意志を固めます。

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入学してからアルゴリズムを学ぶと決めてはいたものの、実際に4年生で柳浦研究室に入るまでの学部生の間、焦燥感に駆られた日々が続きます。

自分は何が向いているのか。
社会に対し何を武器にしていくのだろう。
そして、何者になるのだろう。

そんな焦りからコンピュータアーキテクチャ、基本情報技術者、オートマトン、ITコンサルティングなど、色んな分野を勉強していました。そしてドイツ留学にも行きます。

卒業後は、大学院に進学し、大手企業に行きたいと漠然と考えていましたが、ドイツ留学をしたときに自分の価値観が刺激されました。
年齢を気にせず大学で学び直す人、アーティストを目指している人、起業を目指しているイタリア人。交流を重ねていく中で、自分のやりたいと思うことを追求する人たちが輝いて見えました。決められたサクセスストーリーを目指すのではなく、自分の価値指標における成功を追い求める。ここにかっこよさや憧れを感じました。

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大学4年になり、念願の研究室に入ります。
研究テーマは「レクトリニア多角形の詰め込み問題における厳密解法」。
かなりマニアックな内容ですので、研究の詳細説明は省きますが、物好きの方に向けて一応リンクを張っておきます。(笑)

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ようやく「あの」アルゴリズムの研究ができる。どうやって実社会に活かしていこう。

その思いで研究に励みますが、実際に研究してみると、自分を高揚させた「あの」アルゴリズムではなく、非常にアカデミアの側面が多く、ギャップを感じたのを覚えています。アカデミアの人たちがアルゴリズムを複雑に捉えた学術的な研究をするならば、やはり自分はアルゴリズムが実社会に役立つことを証明しなければ、と思うようになります。

「組合せ最適化を知っていますか?」
「組合せ最適化はシフト作成・配送最適化・安定在庫算出等ができます」
こう書いたチラシを持って、様々な会社にアポを取り、社長の方々と面会をしました。20~30社は回ったと思います。

アルゴリズムに価値があるのか確かめたい。その一心でヒアリングをしていましたが、次第に「君たちは具体的にどんなことをやってくれるの?」という話になります。ビジネスとしてきちんと進めてほしいと。つまり会社にしてほしいということです。

このとき、”起業”という言葉は知らなかったのですが、組合せ最適化を用いて企業とやり取りするためには、会社を設立しなければ成立しないと実感します。

そして、オプティマインドの設立を決めました。

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名古屋大学を卒業し、大学院に進学した直後の2015年6月。
最適化のコンサルティング事業を行う会社として、合同会社オプティマインドを設立します。

アルゴリズム担当として、研究室の博士課程の先輩であった、呉さんを誘いジョインしてもらいました。

「組合せ最適化」の価値を確かめることからスタートしたため、「起業」そのものが目的ではありませんでした。しかしそれでも「起業」について全く意識しなかったわけではなく、常に自分の頭のどこかに存在していたように思えます。

「起業」を意識し始めたきっかけはいくつかあります。

大学時代のある夜のことです。
仕事終わりに飲んで帰ってきた父が、心なしかいつもより酔っているように見えました。父は、会社のため、世の中のためと思ってやったことが、うまくいかず、苦しんでいたときだったようです。
その時に父から「健は自分の正しいと思ったことを正しくやり、それが正しいと評価されるようにしなさい。その一つが社長だと思う」と言われます。

日本画で人を喜ばせてきた祖父、自分の価値指標で成功を追い求めていたドイツ留学時代の友人たちの姿、そして父からの助言。
「起業」そのものが目的ではなかった自分が、起業をしてやりたいことを成し遂げるという選択肢を見つけました。

今、経営者をしていると「起業は怖くなかったですか?」とよく聞かれます。自分の進んできた道から学んだように、起業はやりたいことのできる環境を創り上げるためのものだったため、「怖さ」はありませんでした。

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しかし起業して約一年半年以上は売上0円が続きます。販売できるプロダクトや実績はありませんでしたし、どこのだれか分からないような学生二人に、なかなか組合せ最適化コンサルのお願いはしないのだと痛感しました。

「組合せ最適化」はコストや手間が省けて、誰にとってもプラスになる技術です。そう思って世の中に提供したいと思いスタートしましたし、今ももちろんそう考えています。

ですが、起業してから一年半の間、現場の方に話をしに行くと返ってくるのは、「確かにそれができれば一番いいけどね、机上だよね」という言葉。なかなか受け入れてもらうことはできず、「正しいことをやればビジネスになるというわけではない」と、お言葉をいただいたこともありました。

学術的なアルゴリズムではなく、実社会に役立つアルゴリズムをやりたいと思い、アルゴリズムが社会課題を解決すると信じ、現場の方へ提案をしました。でも私たちが正しいと思う最適化は、結局、頭の中で考えられる理論的な組合せ最適化に過ぎませんでした。

現場の世界を知らない学生が伝える「最適化」の正しさと、現場で実際に働く方が感じる「最適化」の正しさには、ギャップがあったのです。現場にとっての「最適」とは、必ずしも私たちが考えた理屈で表せる最適化ではない。

最適化は世の中で、言葉や理論として求められているかもしれないけれど、本当に存在すべき技術としては求められてはいないのではないか、と思うようになりました。

次第に「最適化」という言葉を口に出す度に心がギュッとなるような感覚がしてきます。

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オプティマインドはこの時に一度「組合せ最適化」から離れることを決めました。
「何者か、社会にインパクトを与える者になりたい」、この気持ちはずっと持ち続けていましたし、会社も立ち上げた以上、何か自分の身近なことで社会に役立つことはないだろうかと考えます。

思い出したのは、ドイツ留学をしていたときの授業中のこと。海外の学生が次々と教授に質問をしている最中、日本人留学生は全く発言をしていませんでした。ドイツでは意識していませんでしたが、日本に帰ってきてから、日本では分からないことを分からないと、なかなか言えない文化だと気づかされます。

自分から伝えにくいのなら「分からない」と知らせるツールがあれば、授業や講演会がより良いものになるのでは。
そう思い、オプティマインド初のプロダクト、「Re:ACT(リアクト)」を開発します。授業中に分からないと思ったときにアプリ上でボタンを押すと、教授のPC画面に「3人の方が分からないそうです」と知らせることや、匿名での質問ができるアプリです。


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「Re:ACT(リアクト)」は、日刊工業新聞社主催のキャンパスベンチャーグランプリ中部大会で2位を受賞。全国大会にも出場できましたし、それをきっかけに、名古屋の実業家の方々ともお会いすることもできました。

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中部大会の授賞式のときのことです。(上記写真)
2位の私の隣に座っていた3位の方は、同じ名古屋大学の学生として、このアイデアピッチコンテストに臨んでいました。エンジニアであり、プロダクトを作ることが好きだという話を聞きます。

彼の作るwebシステムに惹かれた私は「もしよかったら一緒にオプティマインドをやりませんか?」と誘ったのです。
互いに世界を変えるサービスを作りたいと意気投合した彼が現在、副社長CPOの斉東志一でした。

2016年3月。
斉東と、もう一人、斉東と一緒に活動していた方がジョインします。

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仲間は増えたものの、「Re:ACT」の売上は上がらない....そして斉東と一緒にジョインした方は就職をきっかけに抜けることになります。名古屋大学で「Re:ACT」の実験をさせてもらったりと試行錯誤するも、なかなか売上には繋がりませんでした。

そのときにオプティマインドを応援してくれていた中部ニュービジネス協議会の方が、「Re:ACTは授業向けと言っていたけれど、うちの講演会で使えるかもしれないから使ってみようか?」と言ってくださり、利用料として5万円を頂けることになります。

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この5万円がオプティマインドで初めての売上となりました。

オプティマインドの通帳に入金された「5万円」という文字。
何度も見ました。
何度も何度も見て、入金された喜びと同時に、売上を立てることの難しさを痛感した瞬間でした。

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私たちは、「Re:ACT」以外にも、Uber Eatsの名古屋大学版など、自分たちの身近に感じている問題を解決するサービスを考え続けます。その中で、斉東が大学院を中退することを決め、私自身もよりビジネスに注力していく姿勢にスイッチが切り替わります。

そして、2016年夏に、製造業のシステム受託開発の案件を初受注しました。交流会で知り合ったシステム会社の方から二次下請けとして3か月のプロジェクトを受注したものの、実際に始めてみると次々と要望が重なり長期化してしまいます。学生ベンチャーだったこともあり、発注元には社名を伏せるように言われ、 自分たちの会社を名乗れずに仕事をすることが悔しく思いました。

それに加えて、システムの受託開発をする厳しさを次々と目の当たりにしていきます。
止まらないバグ対応。徹夜で開発、納品の繰り返し。朝7時に端末を何台も抱えながらお客さんを待つ。寝不足、体調不良になり倒れたこともありました。このときの受託開発の厳しさにかなり鍛えられましたし、ビジネスを行うことの学びを得た時期だったと思います。

お客様の要望を叶えるために開発していくことに喜びはありましたが、正直苦しい気持ちが勝っていました。改めて、自分たちのやりたいことを見つめ直し、受託開発を続けるのは厳しいと。やっぱり自分たちで課題に対して解決するプロダクトを一から創り上げることが好きだという結論に達します。

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システムの受託開発にもがき続けていた2017年2月。とある学会で、柳浦研究室の2個上の先輩だった髙田に再会します。(髙田は現在、オプティマインドの最適化チームのテックリードをしています。)

修士号を取り大手企業に就職した髙田が、研究を追求するために大学院に戻り、博士号の取得を目指すと耳にしました。大学院に戻ってくるのであれば博士課程を続けながら、オプティマインドに入らないか?と誘い、ジョインすることに。

2017年夏には、ようやく製造業のシステム開発が終了し、最終的に1,200万円の売上を得ました。ですがそのタイミングで、一緒にオプティマインドを立ち上げた呉さんが大学教員を目指すために抜けることになります。オプティマインドを始めることに熱く共感し、一緒に立ち上げてくれた呉さんが抜けてしまったことにはやはり寂しさがありました。

また名古屋大学のスターバックスで打ち合わせをしていた時、たまたま隣の席にいたデータ解析を学んでいた郭から「入社したい」とメッセンジャーが届き、郭もジョインすることになりました。

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アルゴリズム、データ解析、Webシステム開発など、オプティマインドメンバー内の技術が揃ったため、改めて新しい案件獲得に励むことになります。

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物流の最適化はもちろん、営業マンのスケジュール最適化、ニワトリの産卵予測など、様々な案件を受注しました。まだまだ大きな売上にはならず、月20万円程の売上を4人で割って、一人当たり5万円の月収でした。

複数の案件を4人で手分けしてこなす中、今のオプティマインドにつながる出来事が起きます。2017年9月に日本郵便様が実施するオープンイノベーションプログラム「POST LOGITECH INNOVATION PROGRAM」へのエントリーです。 日本郵便様がアクセラレータプログラムを開催することを締切の2日前に知り、テーマの一つに「宅配のルート最適化」を見つけ「これはオプティマインド念願のやりたかったことだ!」と思い、急いで応募しました。

このタイミングでメンバーで議論をし、「物流クライシスが社会課題として深刻である」こと、「それを解決できる技術がオプティマインドの強みにしていける」ことから、「物流の配送ルート最適化事業に特化すること」を決めました。

そして有り難いことに、日本郵便様のアクセラで105社の中から採択企業 4 社に選ばれます。プロダクトも資金も何もない中、髙田の論文を引っさげてプレゼンを行いました。学生起業でプロダクトもなかった私たちに「この会社に賭けよう」と決断していただいた日本郵便の方々には感謝しかありません。

そして、2018年2月 に「POST LOGITECH INNOVATION PROGRAM」の成果発表会である「Demo Day」にて最優秀賞を受賞します。人生初の囲み取材を受け、WBSにも映り、メッセンジャーは鳴り止まず、一夜にして見える世界が変わりました。ここが「スタートアップの世界への突入」の瞬間でした。

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もがいて、もがいて、芽が出たと思える最高の時でした。

ここまでが、創業期になります。次は、トヨタ自動車様からの直投資やForbes 30 Under 30 Asiaに選出いただいたシード期になります。



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