合気道の「気」についての仮説:直線とずらし
よく合気道とかの動画で技をかけるときに「気でやっている」みたいな表現がされることがある。
これがつまりはどういうことなのか?一つの説を思い付いたので解説してみよう。
まぁ、誰もが同じ意味で使っているとは限らないので、あくまで一説として読んでもらいたい。
もしかしたら何かのヒントになるかも知れないし、逆に混乱させちゃうかも。
どっちでもいいぜ!
前提条件
個人的には合気道の稽古をする上での絶対的な前提条件として正面から当たり合うというのがある。
人と人が接触している状態というのは、言うなれば自分と相手の間に一本の棒があって、その棒が落ちないように両端を互いに支え合っている状態だ。
この状態が保たれている限り、互いに安定しているし、一方が強く押し込めばそれは攻撃になり、棒が落ちるほど離れればそれは間合いから外れたことになる。
この棒の長さは武器や攻撃の届く範囲によって変わっていく。
実際には棒なんてないので、これを感覚でやるのが間合いの攻防でこのあたりがわかるかどうかが一応の前提になる。
「気」の正体
人間の腕の長さは個人差はあるけれど、だいたい70㎝くらいだという。
合気道で相手にどこかを掴まれたりしている状況から始まればだいたいこのくらいの間合いになる。
これはつまり、間合いとしては70cmくらいの棒を支え合っていると考えて貰いたい。
この70㎝の棒を10度ズラすと、棒の先端は12㎝ほど動く。
仕掛ける側にとっては物凄くわずかにズラしただけでも、70cm先では12cmという幅の移動になって伝わる。
10度がどれくらい微妙な角度の変化なのかは見ればわかるだろう。
自分が10度だけズレればあとは遠ければ遠いほど相手は大きくズレる。理論上は。
まぁ10度というのは単なるたとえ話なので、実際には相手に反応されない程度の角度をつけるといった感じだろうか。
そして、これくらいの微妙な変化を重ねると、相手からはほとんど動いていないように見えるのに動かされているように感じられるというわけだ。
なぜ「気」なのか?
理論上はそういうことになるのだけれど、これを言われてすぐできる人間など恐らくいない。
だいたいの人は相手を動かそうと思うと90度くらいガッツリ動いてしまうし、棒の先端とかではなく、途中を動かそうとしたりしてしまう。
互いに支え合っていた棒は急角度をつけたら維持できなくなってしまうだけだ。力のつながりが一本の棒ではなくなるので、大きく動きすぎるとこの現象は起こらない。
逆に言えばこの力のつながりを長く伸ばすことができれば、より小さな動きで大きく動かせるということになる。理論上は。
ただその、ちょっとだけ動かすというのが人間には難しいのだ。「ちょっと動かしたような気持ち」でいるくらい微妙な変化でいいからだ。
だからこそ「気」なのだと思う。動く事でなく、できるだけ動かないことの方が重要だから。
矛盾した力
「気」とは「お互いの間に存在している一本の棒を認識してそれをほんの少しだけズラす」ことだと言える。
がっつり動かしたりするのはわかりやすいけれど、微妙にチョコっとだけズラすのはかなり難しい。
しかもズラしたらすぐ変化するのではなく距離があるので、思っているよりも遅く相手の方に変化が到達する。
我慢強くなくてはいけないし、力を感じられなければいけないし、色んな感覚を研いでおかないといけない。
これが「気」という概念のひとつの仮説だ。微妙な力だからこそ「天地と一体になる」「山彦の道」といった説明がなされるのではないだろうか?
ちなみに、ちゃんとまっすぐの攻防ができない相手はこんなややこしいことをする前に崩れたりするので、あまり稽古にならない。
こういうのは、お互いに隙を見せたら攻め込まれてしまう棒が意識できてこそだ。
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