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合気道で考える全力とは何なのか:手を抜かないと全力は出せない

合気道という武道は部分的な力を使うのをやめて全身の力を使うようにするものだと思ってる。

つまり「全(身の)力」だ。

だけど、やってみると全力の方が、腕力だけを使うより遥かに楽になる。

腕力は全力か?

合気道でよく稽古される座り技の呼吸法なんかが特にわかりやすい。

相手と向かい合って座って両手を持たせ、相手の上半身を崩すまで押し合いみたいなことをする稽古のことを言う。

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呼吸法の稽古風景
(植芝盛平『武道』より)

これを腕力でやっている内はめちゃくちゃ疲れる。腕の力だけで抵抗する人間を倒すのはかなりシンドイ。
おれもはじめた頃は涼しい顔のおじいちゃん相手に汗だくになっていた。

腕を捨てる

ではどうすればいいのかと言うと、腕に力を込めるのをやめて腕は肩から生えてる棒くらいの認識にする。

身体を使ってその棒を押すのだ。
そうするとアラ不思議、腕力で抵抗しようとする人を苦もなく動かせてしまう。

なんなら相手が必死に倒そうとしている中で、それを身体で止めながら笑顔で話しかけられるくらい楽でいられる。

全力とはどういうことか?

日本語では楽をすることを「手を抜く」という。
だけど面白いことに合気道で全身の力を伝えるためにはまず手を抜かなければいけない。

腕に入る力が邪魔をすることで身体の力が相手に綺麗に伝わらなくなっているからだ。
そして、どんどん余計な力は抜いて行く。
本当に伝えるべき力を伝えるために、力を分散させるような余計な動きをなくす。

(余計な力というのは波の力を弱めるテトラポッドのように力を分散させているんだと思う)

だから全力というのは本来のイメージする所とは別にあるんじゃないかなと思う。
全力であればあるほど楽で、手応えもなく、余計なものもなく、達成感もなく、苦労もない。
手を抜けるものに手を抜かない方が怠慢なのだ。

合気道から考えてみると、そういう所に本当の全力がある気がする。

まとめ

このマインドがあれば「手を抜くな!」などという指摘を受けた時に堂々と「全力を出しとるんじゃい!」と答えられるだろう。

もちろんおれはこの記事も全力で書いている、さっき思いついて適当に15分くらいでサクッと書いた。

隙間時間をみつけ、スマホを利用して文章力を発揮し、noteやAmazonの機能を適当に借りる。
これが全ての力を使うということだ。たぶん。

これからも、より全力を出し切るために、もっと頑張らないようにしないといけない。



おわり


マツリの合気道はワシが育てたって言いたくない?