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『贈与論』で稽古する合気道:攻撃を処理するとは何か?
近隣に暮らす人々の間の平和とは、人間にとって自然な状態ではない。
それどころか、戦争こそが自然な状態である。
敵意はただ戦争のみに見られるものでらなく、
我々は常に敵意に脅かされている。
それ故に、平和状態は法により確立されねばならない。
イマヌエル・カント
『永遠平和のために』
つーわけで平和ってのはフツーじゃないってカントおじさんも言っている。あの、なんか西洋的な陰と陽についてゴチャゴチャ
『贈与論』で稽古する合気道:合気道は贈与の稽古
合気道が現実的じゃないと批判される理由のひとつに、腕を掴んだり掴まれたりしたところから始まるから、というのがある。
普通なら殴ったり蹴ったり、もっとはやく攻撃から入るから、掴まれてからじゃ遅すぎるってな話だ。
もちろんそれには色んな理由があるわけだけど、今回は古典『贈与論』の観点からそこを考えてみたい。
贈与・インド編贈与論の第三章では各地の古代の法律から、人類が贈与をどんなものと考えていた
『贈与論』で稽古する合気道:無敵とは何か?
昔の人いわく、家から出たら七人くらい敵がいるらしい。世の中では大小さまざまな争いがあるので、そんなもんかも知れない。
にも関わらず合気道では「敵をして戦う心なからしむ、否、敵そのものをなからしむ」を目指していたりする。敵対心どころか敵そのものをなくせってことだ。
「できるわけないじゃん」って思ったそこのアナタ!
そんな時こそ『贈与論』だ。人類の贈与の歴史の中に答えはすでにある。
みんなで回せ
『贈与論』で稽古する合気道:先住民の贈与と合気道の入身は同じもの
貴様らは稽古の語源を知っているか!?
いにしえ(古)をかんがえる(稽)ということだ。だから考えようよ!稽古しよう。
というわけで、先住民族を研究して人類の贈与を紐解いた古典『贈与論』をまとめつつ、合気道を稽古しようじゃあないか。
先住民族の贈与が合気道と何の関係があるかって?バカヤロー!だいたい同じだ!
それを今から説明するからよ〜く見とけや。
贈与は入身(攻撃)贈与というと平和ボケした我々