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放送委員の川口さんと山川くん

小学六年生の時、私は放送委員になった。なぜ自分が放送委員になったか、思い出せないのだけれど、立候補ではないはずだ。

当時わたしは「す」と「つ」と「ず(づ)」を発音できなかった。そのことに自分でもコンプレックスを持っていたので自分で放送委員に立候補するということはないはずで、何かのはずみで自分が放送委員になったのだろうけれど、放送委員になったのがきっかけで、今まで発音できなかった「す」「つ」「ず(づ)」をテープレコーダーに録音して必死に練習した。自分が発音できていないことは認識していて、正しい音がどういう音かもわかっているのだけれど、うまく発音できない。なぜ発音できなかったのかわからないのだけれど、自分の声を録音しながら練習したらあるとき発音できるようになった。発音できるようになるとなぜ今まで発音できなかったのかわからなくなるから人間の認知力というのは本当に不思議だ。

ということで、理由は全く覚えていないのだけれど、小学6年生の時に放送委員になって、お昼の放送とか、放課後の放送とか、全校朝会の時の放送の担当をすることになった。

放送室は職員室のすぐ脇にあって、いろんなミキサー卓らしきものをさわれるし、他の児童は立ち入り禁止なので、放送委員のメンバーはなんとなく特権的な気分もあり、楽しかった。お昼の放送は、給食を放送室に持って行って、そこで給食を食べながら放送する。全校朝会の時も全員が並んでいる中で、体育館の放送室にいられる。みんなと違う場所いられるだけで、なんとなくウキウキした気分を味わうことができた。

放送委員が全員で何人いたか、全く覚えていないのだけれど、一緒に活動するメンバーは完全に固定されていて、私と一緒に放送委員をやっていたのは5年生の川口さんという女子と山川くんと言う男子だった。お昼の放送や全校朝会の当番はいつも6年生の私と、5年生の川口さんと山川くんの3人。「放送室」という閉じた空間は、3人の関係をなんとなく親密な、特別な関係に感じさせた。

川口さんはとてもかわいらしいショートカットの女の子で、放送室でいろいろな話をした。小学5年生とか、6年生というのは思春期の難しい年ごろで、話をするのもなんとなく気が引けるというか、お互いを意識することもあるのだけれど、他人の視線のない放送室は、そういう変な意識をすることもなく、素直で親密な関係を築ける空間だった。私は川口さんのことが好きだったと、今では思うけれど当時はそんな自分の気持ちにすら気づいていなかったと思う。

もう一人の山川くんも放送委員トリオとしては欠かせないのだけれど、彼はキリスト教系の宗教を信仰していて、その関係で君が代も校歌もNG。七夕のイベントすら参加できないため、ほぼありとあらゆるイベントをボイコットしていた。なぜ君が放送委員をやるの? ということで、トリオといいなががら山川くんがいない、私と川口さんの二人だけの放送室でのイベントが自然に多くなった(山川くん、ありがとう)。

そんな放送室で、私と川口さんは校長先生が話をしている間、いつも二人でいろいろな話をした。何の話をしたかは全然覚えていないけれど、その時の気持ちや親密な雰囲気は今でもあたたかい気持ちと一緒に思い出せる。

人生には、そんなあたたかな気持ちで思い出せる記憶がとても大切だと、私は思う。



「みなさん、下校の時刻となりました。校内に残っている児童は、 電気を消して、窓を閉めて、車に気をつけて帰りましょう」

山川くんも川口さんも、みんなしあわせにくらしているといいな。


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