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達成と充実_今の仕事が輝いて見えない理由

札幌は快晴。夏至も近づいて朝の五時には昼間のような明るさで、今日は五時半からロードバイクでいつも通り近くの手稲山へヒルクライム。今年一番良いタイムが出て気分よく帰ってきた。

妻と9時に近くのカフェで朝食を食べてからそのまま二回目の手稲山ヒルクライム。朝のタイムをさらに一分以上更新。気候も体調も良くなってタイムが出るようになりとても気分がいい。ロードバイクで山を30分以上かけて登り続けるだけの行為は、興味のない人にとっては意味不明の苦行だけれど、死ぬかとおもうほどしんどい思いをしながら少しずつ記録を縮めていく、自分の苦労が実を結ぶ達成の感覚は人間にとって大切なのだろうと思う。何かを消費することで苦労せずに何となくいい気分にさせてくれるものがあらゆる形で提供されているけれど、私はそういう疑似的な気持ちよさよりも、自分のフィジカルで感じる達成感、充実感のほうがずっと好きだ。


最近若者の離職が非常に多くなっているようで、それはうちの会社だけでなく社会的な傾向のようだ。SNSで同期や同業他社、他業種の情報が洪水のように流れ込み、自分の今やっていること、処遇、キャリアを客観的に見ることができるようになったからだと思う。

でもそれはきっと客観的な情報ではない。今の自分に納得がいかない、達成感や充実感が得られないというフィルターを通してみる情報。「映えるキャリア」をSNSで喧伝する知り合いや知らない人達。「自分の市場価値を知ろう!」なんていう、転職を斡旋することで収益を得るビジネスモデルのサイト。転職させることで収益を得る会社の情報なんてみていたら今の仕事がいいと思えるはずがない。そんな情報を浴びていたら自分の仕事がどんどんくすんだものに見えるのだろう。

私も30歳くらいまでは仕事がひたすら辛くて、他に仕事がないものかと思っていた。でも当時はSNSなんてなく、にちゃんねるの罵詈雑言の掲示板を眺めるくらい。そんなのを読んで「みんな一緒かな」と思って終わり。転職情報としてはコンビニで売られている転職情報誌をいつも立ち読みして妻を心配させていたけれど、時は就職氷河期。正社員で入社できただけでラッキーだったなと思えるような情報しかなくて、今の仕事もしんどいけれど他にいけばいいことがあるなんて甘い気持ちを抱けるような時代ではなかった。


とはいえ、今の若者たちがやめてしまうという現実があり、それは会社にとっては大きな損失だし、当人にとってもそんなに簡単にやめてしまっていいのか、という個人的な想いもある。

先日経営層と若者との対話に参加する機会があった。
対話の最後に経営層に質問する時間があったのだけれど、あまり変なことをいうとまずいと空気をよんでいるのか若者たちは口ごもって中々質問できない。困った司会者が私に話を振ってきたので


「これから30年この会社で仕事をする若い人たちに経営層として夢のある将来像をしっかり伝えるべきだとおもう」

と率直に言ったら、とても微妙な空気になった。若者たちをつなぎとめられる将来像を描けていない、伝えられないのが、若者の離職に歯止めをかけられない大きな理由であり、それは経営層だけでなく、ベテランの域に入ってきた自分も大きな責任を負うべき課題だと思う。

自分たちの仕事のやり方を働き方改革で否定され、じゃあどうやって若手のキャリア形成を進めていけばいいのか、自分が経験していない形を模索しなければいけないとういう無茶ぶりをされて、困惑が隠せない管理職たち。

これから30年以上働く若者たち。2050年にどのような世界、社会になるのかのビジョンをもち、そのために具体的に何にどう取り組むのか。本気でそれを示し、それを実行する企業だけが若者たちに選ばれ、そして生き残っていくのだろう。

達成感と充実感。
それを取り戻すために私たちに何ができるのか。
若者のせいにしている場合ではない。



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