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『しにたい気持ちが消えるまで』_AM11:55

「夏に帰省して来た時、兄ちゃんの様子がおかしかったって母ちゃんが心配してました。頑張りすぎないように」

5つ年下の弟からこんなショートメッセージがスマホに届いた。
私はスマホをほとんど使わないので(会社のスマホしか持ってない)、LINEなんかで実家の家族とメッセージをやり取りすることはない。弟からもショートメッセージが来るなんて何年かに1回くらい。久しぶりに来たメッセージが深刻な感じで、意外な感じがした。

私としては全然いつもと同じつもりだったし、調子が悪いところがあるわけでもないし、メンタル的にもいつも通りだ。

・・・と、思っているけれど、私はかなり鈍感で、母はかなり鋭いので、母にそう言われると、逆に自分の調子がどこか悪いのではないかと思ってしまう。そして多分、母の心配の通り、私は調子が良くないのだろう。


春から始まったビッグプロジェクト。マネジャーとしての初仕事なのだけれど、難易度も規模も今までのキャリアと比べるとけた違い。いきなりこんな大きなプロジェクトのマネジャーに新任で社内最年少の私を指名する会社。今まで口をきいたことも無いような社内の偉い人たちからあからさまなプレッシャーをかけられる。このプロジェクトが失敗したら会社が3年は赤字が続くねとか言われるとさすがに鈍感な私ものんきにへらへらもしていられず、ピリピリしてくる。後輩からは「まつろーさん最近怖い」といわれ、別の部門のリーダーからは「メールの内容が攻撃的だ」とたしなめられる。今までそんなことを言われたことがなかったので、やっぱり今までとは少し違うメンタル状況なのかなと思う。でも、noteを書く余裕があるうちは大丈夫だと思っている。というか、仕事のプレッシャーをnoteで言語化して正気を保とうとしているのかもしれない。


夜中に目が覚める。noteでフォローしている方がお勧めしていた本をkindleで購入して読み始める。読み終わったら朝になっていた。


競走するのをやめて、人に頼れるようになったら生きやすくなった 車椅子の詩人が綴る『しにたい気持ちが消えるまで』。 16歳のとき、死のうと思った。すごく天気の良い日で、こんな日に死ねるなんて幸せだと思った。自宅のベランダから飛び降り、頸髄を損傷するが一命をとりとめる。「死ななくて良かった」「何もできなくても生きていていい」。現在を生きる筆者による自死を止めたい、やさしくなりたい、お守りのような言葉。書き下ろし自伝エッセイ。

豆塚エリさんプロフィール
1993年、愛媛県生まれ。16歳のとき、飛び降り自殺を図り頸髄を損傷、現在は車椅子で生活する。大分県別府市で、こんぺき出版を拠点に、詩や短歌、短編小説などを発表。NHK Eテレ『ハートネットTV』に出演するなど、幅広く活動中。

Amazonの紹介文より


若いときは何でもできると言われて、何でもやらなければいけないと言われて、好きなことをやれと言われて、生きる意味に追い立てられる若者たち。

アスファルトに激突するまでの人生と、激突した後の人生。

描かれる風景描写も人物描写も心理描写もそのページを境にすべて変わる。全体がとても読みやすい文章で、そのままスーッと読めるのだけれど、アスファルトに激突したあとは、それまで考えていたことや悩んでいたことなどは全く意味を持たなくなる。

それまでの、意味に満たされた空疎な世界から、意味がなくても生々しく、密実で重力のある世界へ。

障害を持つという切実な肉体的変化以上に、それまで彼女を縛っていた意味から解放されたことで、本当の彼女の輝きが少しずつ文章から見えてくるような気がした。作者は詩人ということで言葉が丁寧に選ばれていて、それが私の心に響くのだと思う。


彼女は最初の詩集にAM5:30というタイトルをつけた。
16,17歳の頃の作品をまとめたもとで、人生を一日に例えると早朝の五時半頃だという意味だ。

まだ朝食前どころか、眠りから覚める前の時間。そんな人生の早朝に「しにたい」と思わせるまでに意味を押し付け、押しつぶし、悪夢を見させる社会。そんなものはきっとどこかが狂っているのだと思う。彼女は、そんな悪夢を見る若者たちの心に、少しでも届くようにと祈りを込めてこの本を書いたのだと思うけれど、それは45歳のおやじの心にも確かに届いた。

人生100年と考えれば45歳は、お昼前のAM11:55頃だ。それをもう一日が半分終わると思うか、まだお昼前だと思うかは自分次第。わたしはそろそろ「笑っていいとも」の時間だな、と思った。人生のお昼休みも必要なのかもしれない。


そして、ゴールデンタイムはまだまだ先。
ペースを保って歩いていきたい。



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