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【震災復興と祭り】岩手県陸前高田市の2つの「七夕まつり」にまつわるお話

今年の正月、石川県能登半島で大きな地震があり、生活圏を中心に甚大な被害が発生し、お祭りの開催にも大きな影響を与えています。
能登のお祭りの再生を念頭に、今回は東日本大震災が発生した年やコロナ禍など苦難の時期を迎えた地域の祭の様子から何か参考になることや学べるものがあるのではと考え、岩手県陸前高田市の2つの七夕まつり「うごく七夕まつり」と「けんか七夕まつり」について調べてみしました。この記事を通じて「お祭りの復興・地域コミュニティ」について、共に考えていけたら幸いです。
(サムネイル画像引用先:【まつり】陸前高田の2大七夕まつり - 【公式】陸前高田市観光サイト|高田旅ナビ (takanavi.org))

「七夕まつり」ってどんな祭り? 祭の意味が変わっていく?

岩手県の沿岸南部に位置する陸前高田市、この街には「奇跡の一本松」や「全国太鼓フェスティバル」などの多くの魅力があります!その代表的な祭のひとつとして「うごく七夕まつり」と「けんか七夕まつり」のふたつの七夕まつりが挙げられます。

うごく七夕まつりは、陸前高田市高田町で開催されるお祭りです。
江戸時代から続く高田町の伝統行事で、先祖供養のために始まったとされるお祭りです。現在は、東日本大震災の犠牲になった方々への鎮魂復興支援への感謝の意味も込められています。
山車を奉納するタイプのお祭りで、午前の日に当たる山車も夜の灯りで彩られる山車も魅力的なお祭りです。
(公式サイト:うごく七夕まつり - 【公式】陸前高田市観光サイト|高田旅ナビ (takanavi.org)

けんか七夕まつりは、陸前高田市気仙町今泉地区にて開催されるお祭りです。
900年近く続く行事で、「東北の奇祭」とも呼ばれています。名前の通り、山車をぶつけ合うなどの喧嘩が繰り広げられます。
山車をぶつけ合う様子は豪快かつ勇壮であり、お囃子なども合わせてお祭りが活気づけられ、盛り上がりを増していきます。
(公式サイト:けんか七夕まつり - 【公式】陸前高田市観光サイト|高田旅ナビ (takanavi.org)

どちらの七夕まつりも毎年8月7日に開催され、陸前高田の夏を彩ります!

同じ自治体・同じ日に開催されるお祭りでも様相が大きく異なるので、2つの七夕まつりの違いも楽しんでみたいですね。

震災の年の七夕まつり

2011年3月11日、東北地方を中心に甚大な被害を生んだ東日本大震災が発生しました。
陸前高田市も大きな被害を受けた地域のひとつでした。

地震はお祭りにも影響を与えており、うごく七夕まつりでは12台中9台の山車が、けんか七夕まつりでは4台中3台の山車が地震・津波の影響によって損壊・流出してしまいました。

2011年、地震の被害を受けたふたつの七夕まつりは開催されなかったのでしょうか?

いえ、どちらのお祭りも震災に負けることなく、七夕まつりを開催したのです!

うごく七夕まつりでは、3基の山車が高田小学校に集まりました。

その内の1基であった「大石七夕祭組」では、車が津波の被害を受けてしまいましたが、祭り参加を達成させました。

地元には「陸前高田の街がなくなってしまったことで疲弊してしまった高田の人々へエールを送るために、子どもたちに七夕を伝えていくために、七夕を止める選択肢はなかった」という方がいました。

そして、半壊状態にあった山車を復活させてお祭りに参加しました。

地元の高田の方々を元気にするという思いが、次世代へお祭りをつないでいくという思いが、お祭りを実行するという行動へ結びつけたのでしょう。

また、地域外からのボランティアの方々も参加されました。地元の中に溶け込んで交流することが出来たようで、全員で楽しいお祭りをつくりあげたそうです。

「住民や街を元気にしたい」、「祭りを未来に伝えたい」という想いが山車の復活や開催決定に繋がり、また、たくさんの方々が活動支援をしたことによって、無事に開催することができたのでしょう。

2011年「うごく七夕まつり」に参加した「大石七夕祭組」の様子
(引用:https://www.refugee.or.jp/report/activity/2011/08/2011867/)

けんか七夕まつりでは、津波によって1台だけを残して山車が流出してしまい、1台だけでは「けんか」が出来ないのでは?という状況にありました。

しかし、地元の方々はお祭り開催を諦めませんでした。

地域の人たちで、残った1台の山車を用いて飾り付けを行い、ぶつかり合わない「けんか七夕まつり」を開催したのです!

2011年に開催された「けんか七夕まつり」の様子
(引用:https://www.fnn.jp/articles/-/581740)

その後、もう1台の山車を復活させて、「けんか七夕祭り保存連合会(公式FBアカウント:Facebook)」を中心に「けんか七夕」の伝統を継承しています。

コロナ禍に突入。また危機を迎えてしまったが…

ふたつの七夕まつりは、震災の苦難を乗り越えてお祭りを継承し、地域を復興してきました。

ところが、2020年にはまた別の災難が襲ってきました…。

「新型コロナウイルス」の蔓延です。

コロナの影響は、陸前高田市だけでなく、日本中・世界中へと及びました。
そして、全国のお祭りにも影響して、2020年と2021年はほぼ全てのお祭りが自粛し、開催を断念せざるを得ませんでした。

もちろん、ふたつの七夕まつりも中止となってしまいました。

しかし、陸前高田の皆さんは、コロナ禍でも前を向いて伝統の継承に取り組みました。

コロナ禍に負けない工夫。ご先祖様をお迎えするために…!

2021年、うごく七夕まつりは前年に引き続いて開催を中止しましたが、大石七夕祭組」は自主的に山車をお披露目し、お囃子を奏でることをしました。

ご先祖様をお迎えするというのに、「コロナ禍だから…」となるのは申し訳ない。山車とお囃子があることで、「ここが大石だ」と思って帰って来られると思う。亡くなった人たちが変える場所を失ってはいけないから。

お祭りの本来の目的である「先祖供養」のために、ご先祖様や震災で亡くなった仲間をお迎え・鎮魂するために、できるかたちの祭の形式を考え、山車とお囃子を披露したのです。

そして、2022年以降は正式にお祭りを再開することができました!
山車を運行出来なかった2年分の思いも乗せて、より一層勢いのあるかけ声とお囃子が奏でられました!

参加者の中には、人口減少によって山車を運行出来ない地区の住民が他の祭組の輪に加わってお祭りに参加したり、震災で両親を亡くしながらも幼い頃の父親の姿に思いを馳せながらお囃子を奏でた方もいたということです。

けんかの伝統を復活させてこその七夕まつり

また、けんか七夕まつりでは、次のようなエピソードがありました。

2022年、コロナ禍以来3年ぶりにお祭りを開催することが決定されました。
当初はコロナ禍ということもあり、規模を縮小して山車1基のみの運行が予定されていました。

しかし、今泉地区の方々にとっては「けんか」をしてこそ七夕まつりです。
方針転換をして、山車を2基製作して「けんか」を実施することにしたのです。

3年ぶりに実施したけんかは、若者たちのエネルギッシュな祭りに対する思いも合わさり、お祭り会場は熱気に包まれました!

震災や少子高齢化の影響によって、準備作業の人手不足などが課題になる中、住宅再建に伴って再結成された町内会の方々や「気仙町けんか七夕祭り保存連合会」の若手の皆さんの活躍もあり、無事に開催へと繋ぐことができたそうです。

そして、昨年2023年のお祭りには、2022年よりも多くの方の協力・参加があったようで、保存連合会の会長も感謝の思いで一杯だったと語られています。

最後に…!

地域の夏を彩るふたつの七夕まつりは、震災にもコロナにも負けずに、地元の方々と協力し合いながら祭りを創り上げ、継承してきました。
そして、陸前高田市を再び熱く盛り上げたのです!

この事例からわかるのは、お祭りには「人をつなぎ、コミュニティを活性化させる力」があるということです。
祭りに参加することで、地域への愛情や地域住民と絆が育まれていき、地域やお祭りが更に発展し継承されていく。

コロナの規制が緩和されてから約1年が経ち、改めて地域コミュニティについて考えてみる時期なのではないかと感じています。

もし、皆さんの故郷にお祭り文化があれば、ぜひ見学したり参加したりして地域文化・地域コミュニティの価値を体験してほしいと思います

お祭りやコミュニティについて考え、地域を明るく元気にしていきたいですね!

マツリズムインターン生
秋田大学 船木楓大

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