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映画「JOKER」の3大射殺シーンは現代人みんな大好きだと思う。

以前映画「JOKER」が公開された時にも観に行ったのですが、家から出られないのでまた某VODを使って観ることにしました。

結論、やっぱり面白かった。

なので雑記らしく書いてみます。

私は結構映画を観る方だと思うのですが、中でもこの作品は去年観た映画の中でも上位に食い込んでいます。私がめっちゃ面白いと思ったシーンは以下3つ。

・電車の中で大手企業のクソ野郎3人を射殺するシーン
・マレーの頭を感情を高ぶらせながら射殺するシーン
・バッドマン内定者の両親を暴漢が射殺するシーン

ここめっちゃ好き。胸がすっきり軽くなる。

劇場でも帰り際にオタクっぽい口調の女の子が「ストレス発散になるよねw」と怖いことを言ってましたが、実際にそうだと感じました。

でも私も劇場にいた女の子もどのあたりでそう思ったのでしょうか?

それぞれのシーンを検討してみます。

電車の中で大手企業のクソ野郎3人を射殺するシーン

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このシーンを見た時は「いいぞ、○せ!」って心の中で叫んでいましたね。自分に対して危害を加える人間に対して狂気でもって対抗する。

すると一転して力関係はひっくり返り、今まで怯えていたものが狩猟対象に変わる。

フィクションではよくあるものですが、このシーンは非常によく鑑賞者が没入できるようにできており、まさしく自分がホアキンになった気持ちで見ることができました。

狂気は誰しも持っていますからね。鑑賞者自身も持っている最終兵器です。

「自分をつまはじきにするもの全てに対する反撃の狼煙」を今あげたんだ。

そう錯覚させてくれる良いシーンです。

マレーの頭を感情を高ぶらせながら射殺するシーン

このシーンを一言で表すなら「周囲への復讐」でしょうか。

自分を認めてくれない人間や環境に対しての復讐です。

現実世界ではこんなこと日常茶飯事ですが、だからこそ自分中心に世界を操れるんだという気持ちにさせてくれる良いシーンです。

頑張っているのに全く評価してくれない上司や親、その他周りの人。そういう人は結局最後までわかってくれそうにない。

であれば狂気で持って消してしまおう。

そうすれば評価者はいなくなる。全て自分が「正」になる。

他人からの承認は、また別の形で成せばいい。

「責任転嫁」の究極形態でもありますが、そう思える良いシーンです。

バッドマン内定者の両親を暴漢が射殺するシーン

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このシーンも激アツです。

なんて言ったって、バットマンの両親を殺害したのはジョーカーではないのです。ジョーカーも知らないことですから、このシーンを体感できるのは鑑賞者だけの特権というわけ。

自分が巻き起こした「不満を狂気に転換させる行為」の肯定運動が、他人(社会や世間とも)から評価された瞬間でもあるのですから。

これはジョーカーに伝えてあげたいですね。

「あなたは遂に社会から認められたんだよ」って。

自己承認欲求もこれで満たされるわけです。

まとめ:「JOKER」は現代人が抱えた不満全てを擬似解決させる

「JOKER」がウケた理由はこれもあると思います。

もちろん人気なバッドマンシリーズの外伝にあたりますし、物語自体も本編に向かうエピソード0になるわけですから見応えも十分という要素もあると思います。

でも一番は、私が今あげた3つのシーンに代表される部分なんじゃないかと思うわけです。現代人が求めていること全てが入っているわけですから。

「狂気の解放」「周囲への復讐(責任転嫁)」「社会からの承認」。

つまりこれら3つを同時に体感させてくれるからウケたということ。

そしてこの作品は名作と謳われるようになったのです。

※以前別の「織田倫太郎アカウント(削除済)」で投稿した記事をリライトしております。

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