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2020/7/17、京都が遠くて悔しくなった話

注意:京都好きの泣き言。

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7月の京都といえば祇園祭である。祭の起源は平安時代、全国に疫病が流行った時に、国(今でいう県)の数の矛を立てて、龍の住まうとされた池の園(今の神泉苑)まで送ったことからだ。京都市内中心部ではあちこちで駒形提灯が掲げられ、祇園囃子がひっきりなしに流れる。1日の切符入りから31日の疫神社夏越祭まで、ひとつきにわたり、日々何らかの祇園祭行事が行われている。

私はこの祭が好きだった。結婚のために京都を離れるまでは、6月下旬ごろからずっとワクワクしていた。鉾建てが始まれば毎日様子を見に行っては「親方か!」「施主か!」と同僚に突っ込みを受けていた。宵山の期間中は毎夜繰り出し、提灯に照らされた懸想品の輝きに頬を染めて、笛や鉦の音に酔う。毎年毎年、同じような祭の写真を撮りまくっていた。

17日は祭のハイライトの1つともいえる前祭・巡行の日。例年であれば「動く美術館」とも評される絢爛豪華な23基の山鉾が、都大路を進んだであろう。残念ながら、今年は例の流行り病で山鉾巡行は中止となった。その報は4月下旬に発表され、ちょっとした全国ニュースにもなった。

勿論、山鉾巡行が中止になっただけで、祇園祭そのものは中止ではない。神事としての儀式は「三密」を避け、粛々と行われる。イチ観光客、イチ祭好きとして寂しさはあるものの、この御時世、英断だ。7月になり、県境をまたいだ移動は解除されたものの、まだまだ予断を許さない例の流行り病を思えば、「例年通りの祇園祭」は確かに危険であった。

さて、2020年7月17日。LINEに届いた京都新聞夕刊ダイジェストで「山鉾なしの徒歩巡行」について知った。

23の山鉾保存会代表と祇園祭山鉾連合会の役員ら35人が裃姿で榊を手にし、「祇園会」の旗を先頭に午前9時に四条烏丸交差点から東へ、御旅所までの約700メートルを歩き、八坂神社の方向に遥拝したという。

「祇園会」の旗は、巡行の先頭をゆく旗。裃姿は曳き手・担ぎ手・囃子方以外の巡行の正装。榊は山鉾に代わる神様の依り代。午前9時の四条烏丸交差点は前祭巡行の出発時刻で出発地点。山鉾巡行の縮小版が行われたのだ。

勿論、観光客が集まるのを避けたと思われるので、徒歩巡行は大ぴらな情報ではなかったはずだ。だから、私が知らなかったのは当然ではある。しかし、……もし京都在住であれば私はこの情報を得れていた、と思った。なぜなら私は営業車を乗り回す営業職。祭期間は歩行者天国になったり、神輿が通るからと道路が片側通行止めになったりする故、毎年ニュースサイトや京都府警察署サイトなどから情報収集を行うからだ。集めた情報は営業所のメンバーへメールで展開していた。きっと徒歩巡行の情報もキャッチできていたはずだ。けれども、私はもう、京都には住んでいない。道路情報など必要ない。いわんや、例の流行り病で旅行も自粛している身だ。

京都が、遠い。

既に解ってはいたことだ。新幹線のひかりにさえ乗れば、1時間少々で京都駅に行けるとはいえ、やはり住んでいないと京都が遠い。心だけは距離を作るまじと、常にあの街を心に掛けているようでも、それでも距離ができているのを痛感させられ、悔しく、寂しい思いがした。

あー、口惜しい、口惜しい。とはいえ、今、転居はできないのだからどうしようもない。せめて早く旅行に行きたい。例の流行り病よ、安らえ給え。払い給え。急ぎ急ぎ律令のごとくせよ。

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