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脳内会議は延長戦

来年度の手帳、決めました。てか買いました。候補に挙げていたラボクリップと、ジブン手帳LIFEの2冊!そして買ってから気付いたんですが、

「うわやっべ、1月始まりじゃん!
すぐに切り替え出来ねぇ!」(アホ)

まあ、仕方ないです。ちゃんと確認しなかった自分のせいなので。気に入った物をちゃんと買えたのでいいのです。候補に挙げていたロルバーンがドンピシャ10月始まりで条件も揃ってはいたのですが、色々な人の手帳に関するnoteやネット記事を読んで「私もデコってみたい!手帳を可愛くしたい!」という欲求が芽生え、シンプル過ぎるデザインが味気ないように感じてしまったので今回は落選。

メイン(ラボクリップ)の方は本番までもう暫く待機にはなりますが、書ける部分はどんどん書き始めよう精神でいこうと。

ちなみにジブン手帳LIFEには
●人生でやりたい100のリスト
●人生の夢
●座右の銘
●人生設計
●通年記念日
●日本/世界旅行地図
●ジブン年表
●家系図
●緊急連絡簿
●パスワードヒントリスト
●資産欄
●病歴
●お気に入りの写真
これらが収録されていまして、太字にした項目が個人的に魅力を感じたものや今後の為に明確にしていく必要があるなと思ったものです。

で。この収録内容一覧を見てふと思ったのが、「 “人生でやりたい100のリスト” と “人生の夢” って同じじゃないの?」という点。
やりたい事=自分の欲求、くだらない内容でも可
夢=出世など、何らかの利益が発生する事
というニュアンスになるのでしょうか。
ええいっ困ったらWikipediaを見ればいいんや~!とGoogle検索したらまさかの記事が出てこなかったで候。広辞苑だと出てきました。

ゆめ【夢】 (イメ(寝目)の転)
②はかない、頼みがたいもののたとえ。夢幻。古今和歌集哀傷「寝ても見ゆ寝でも見えけりおほかたはうつせみの世ぞ―にはありける」。「―の世」「太平の―」
③空想的な願望。心のまよい。迷夢。「いたずらに―を追う」
④将来実現したい願い。理想。「海外雄飛が彼の―だ」「―を描く」

広辞苑より引用

(①は寝ている間に見る方の説明なので省略)
うーん、なるほど。これを踏まえて今一度考えてみると
やりたい=自分次第で達成が可能なもの
夢=実現する可能性が高くないもの
という方が近いのかもしれない。
「焼き肉食べたい」「秋服欲しい」は夢ではなく願望(やりたい事)だし、「宝くじ当たらないかな~」は完全に夢ですね。ドリームジャンボって言うくらいだし。

今までの人生において「やりたい事がたくさんあるのに出来なくてモヤモヤする」といった感覚になった事が少なからずある訳なんですけど、これってもしかしてやりたい事と夢を混同していた事による言葉の認識のズレが原因だったりするのでは?という考えが浮かびました。

「将来の夢は何ですか?」と聞かれて即答していたのはいつ頃までだっただろう。
ギリギリ中1ぐらいかな。昔から絵を描く事が好きだった私は漫画家になるのが夢だったんですが、親兄弟から否定され何クソとなりつつも…そのうち受験がチラつくようになってからはそれどころじゃなくなった。中学で部活に打ち込み疎かにしていた勉強を高校から重視するようになり、さほど好きでもない芸能人の話でキャーキャーしていた。それはそれとして楽しかったのだけれど仲良くなった友達がアニメはおろか少女漫画すら殆んど読まないという私としては珍しいタイプの子達だったので、オタクの自分はそっと封印。暇さえあれば描いていた絵も気付けば一切描かなくなっていた。そうして夢という言葉を見聞きする機会がみるみる減っていった。周りに夢を口にする人も居なかった。
(その後社会人生活に慣れてきてからは現実逃避目的でオタク生活も復活する事になるのだがここでは割愛)

そして現在。
そもそも『将来の夢』を誰かに尋ねられる事がなくなった。聞かれ方が変わった、の方が正しいかもしれない。
「この会社でどう貢献していきたいですか?」
「どんな結婚生活を望みますか?」
「定年後はどのように過ごしたいですか?」
などと、論点が具体案に移るようになったと思う。

年々歳を重ねるごとに「どんな人間になりたいか」と自分に問う回数が格段に増え、現在進行形で自問自答しながら試行錯誤模索する毎日。日々の心情に比例して変化していくのでなかなか理想の形が定まらないというのが正直な話だが、ここ数年の私は過去の自分からの脱却と成長のようなものを注視している節がある。
《我慢しないで本音を言えるようになった》
《ミスをする回数が減った》
《新しいことやものに興味を持てるようになった》等々…

あと。凄く乱暴な言い方をすると私、最悪夢は叶わなくてもいいと思っているんです。そりゃあ叶うなら嬉しいですが何というか、こういう『自分の心の声を聴く行為』をやめない事の方がずっと大事な気がして。


ここで少し話は逸れますが。
この前気紛れに日記を読み返した時、本当にただ記録しているだけでしかない状態が嫌に殺風景で空しく感じたので、プラスの出来事が書かれている部分にマーカーを引いてみました。嬉しかった事、前よりも成長した事、自分の体の為になる事という風に出来事の種類でざっくりと色分けをしながら。
するとどうだ。何となく、本当に何となくではあるが、単なるいつもの毎日が少しだけ明るく見える。物理的にも。自分で決めたのにもかかわらず毎回捻り出している『その日の良かった事』もちゃんと「確かに良かった事だ」として認識出来た。こうして見てみるとちょこっとした良かった事があったりなかったりして、私の人生、毎日ハッピーとは言えないけど毎日最悪ではないじゃん。とね。
視覚に訴える力って単純だけど凄い。
ノートや手帳をデコる人の心理ってつまりこういう事なんだなと思った。振り返ったページがカラフルだとテンション上がるし、良い日を過ごした証拠だと嬉しくなる。今週は少し寂しいページだったなと感じれば、じゃあページを明るくする要素を増やす為に何か行動しなきゃなってなるもんね!(違っていたらすいません)

雑なデコり練習の図。字も雑。


多分私は、少しでも日々を華やかにする細やかな工夫すら知らずにいたのだろう。でもこれからはどんどんそういう自分で自分を喜ばせるような事をしていきたい。
イマイチ上手く言えないのだけれど、過去何回か究極まで精神的にやられてしまった経験を経て漸く肩の力を抜いてもいいのだと分かってからは、私は頼れるものにはガンガン頼っていこうと考えている。

日記1つでテンションが上がるならデコる。
泣きたくなったら感動モノの物語を観る。
やる気が出ない時はお気に入りの曲を聴く。
お金で知識が得られるなら買う。

本来の気持ちを否定するような行為をするとしんどいのだから、なるべく感じたままありのままでいたいと思う。勿論それが出来ない時も多々あるけれど(仕事中とか)、その分オフには思い切り自分を甘やかしてあげたい。


ーーーよし。決めました、私の夢。

『自分を大切に生きていく事』にします。
今後また変わっていくかもしれないけれど…今のところは。