見出し画像

かまどキッチン『海2』をみる

 

 HPに掲載の紹介文にあった『(きっと)児童向け冒険譚』という一文、が印象にのこっていた。

 本作は三幕構成になっている。

 一幕、の作品のてざわりは、毒のある児童文学(SF)のような......スパイスが効いたワッフルにみたことない鮮やかさのシロップがかかってる、そういう様子とかおりがした。かわいいんだけど、くっ、と喉にひっかかるところがある。このどきどきをむかし、感じたことがある。小学校のころ図書館でおそるおそるひらいた知らない本に、呑まれていくあのときだった。アニメーションのようなこま切れのシーンたち、踊る、食べる、活字に溺れる。すごく好きだった。

 二幕では、ひとつのシーンがぐるぐるとくりかえされていく。すべてがとけていったせかいの後で、どのように対話をこころみていくか。
 全体を通じインターネットをテーマにしていることがわかる。関係性らしい関係性がない中それぞれが話す、主張する。ひとり、ループする世界に気づく者はくりかえす時間のなか、訂正していこうとする。デバッグ。
 あらそいを、無価値な論争をなくすためにすべてを均していって、あたらしいせかい(海2)をつくったところでうまくいくわけでもなく。けどなにかしらの強制力......いや、共通点があればうまくいくかもしれないし。その共通点、として、テレビドラマという「物語」が置かれていることに何か救いを見出していた。創作物をあいするものとして。

 なにかを統治しているもの、の悲哀というか、やるせなさみたいなものを考えていた。世界をうごかそうとおもっている存在がいるんじゃなくて、なんかよくわかんないまま「管理側」にまわされて、人間の愚かさにあきれながらもデバッグをつづけてつづけていこうとする存在がいるみたいな。理想的な世界をつくるために。美少女ゲームの選択肢を考えて考えてすすむ、ように。

 海2、という題から、にゃるら氏による「インターネット2」を連想していた。インターネット自体、だんだんと個人サーバーでのコミュニケーションへと移行し始めている(ように思う)。この動きについて、この作品から考えられることがあるのかも、しれない。
 そうして、海2があるように海3や海4もどこかにあることを、想像しようとしている。海はひろくてすべてをつつみこむけれど、いま、海はひとつではないのだろうから。【それでもどこか繋がっていてほしい】と、三幕をみつつ、おもう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?