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新解釈・お天道様が見ているよ。

「お天道様が見ているよ」
この言葉は多くの人が聞いたことがあるでしょう。悪いことをして、それをうまく誤魔化したとしても、ダメダメ。「お天道様はお見通しだよ」ということです。とりわけ人は誰も見ていない時に、どんな振る舞いができるか、がとても難しい。誰も見てないから…ついついと、悪いことをやってしまいそうな時、お天道様が見ているよ、という言葉が悪事のストッパーとなるかもしれません。

 
「お天道様は審判?それとも刑罰執行者?」
「お天道様が見ているよ。だから、悪いことはやめましょうね」ここまでだと別に問題はないのですが、「お天道様は見ているよ。だから悪いことをするとバチが当たりますよ」までいくと、私は「ちょっと待って」と言いたくなってしまいます。「お天道様って審判なの?そして刑罰執行者なの?」と思って、お天道様に悪い気がするからです。

もちろんそんな役割もあるかもしれません。でも、本来お天道様は、厳しいだけではなく、私たちでは計り知れないほど、温かく広い役割がある、と私は信じています。

バッタにもミミズにも、ビルの壁にも犬のウンチにも。
お天道様とは太陽のことです。寒い日、太陽の日差しの中にいるだけでポカポカ暖かい。気持ちもほぐれ、公園の広場に座っているだけで、気道も通ってくる気がします。お天道様が暖かさを与える時、「誰に与え、誰には与えない」などと選んだりしません。私にもあなたにも、善人悪人関係なく、バッタにもミミズにも、ビルの壁にも犬のウンチにも、平等に光を注いでくれます。しかも見返りも必要ありません。そんなお天道様を悪を裁く審判で、罰を与える役割だ、と強調しすぎるのは、いただけません。
 

実は、良いことをするのは、勇気がいります。
「お天道様が見ているよ。だから悪いことはやめましょうね。そして、お天道様がみているから、安心して善いことをして生きていきなさい」だと、私は思っています。実は、良いことをするのは、勇気がいります。例えば、いじめっ子から友達を守る。これも勇気がいります。わかりやすい善いこと、勇気です。

でも、もっと小さなところでも勇気がいります。

例えば、世の中でトイレットペーパーがなくなりそうな時、売り場に2個あったとします。家には1ロールもありません。後ろには同じように買いに来た人がいます。自分が2個とも買ったら、後ろの人は買えません。でも、この後いつトイレットペーパーが入荷されるかは不透明。分かりません。自分としては2個とも買って家にとっておきたい。でもそれをしたら、次の人が買えなくなる…。

この時、自分の買う分を、1個だけにするのは勇気がいります。なぜならその分、自分が不安を抱えることになるからです。自分が2個買うと自分の安心感が増え、後ろの人が買えずに不安になります。自分が1個だけにすると、自分の不安感が増え、買うことのできた後ろの人の安心感が増えます。


行動に勇気がいる時こそ「お天道様が見ているよ」です。
お天道様の役割は、人に悪をさせないことです。なぜ、悪いことをしてはいけないか、はまた別の機会で話します。次に、人に善いことをさせていくことです。なぜ、善いことをした方が幸せになるのか、もまた別の機会で話します。そのように、悪いことをさせず善いことさせる、ということを通じ、人の心をお天道様を同じ、人にも犬のウンチにも同じように光を注ぐ、太陽のようにしていくことです。
 

新解釈・お天道様が見ているよ。
さて、ここまで書いてきましたが、これはただ、私が信じる「お天道様が見ているよ」です。どこかに説や根拠があるわけではありません。

私はかつて先生をしていた時に、「松尾先生がくるよ、やめなよ」と生徒が言っているのを耳にしたことがありました。何気ない言葉ですが、その時、私はちょっとショックでした。なんだか、自分が、審判か刑罰執行人になった気がしたからです。でも私がなりたいのは、もっと包み込むような温かい存在でした。そうまさに「お天道様」のような。「あぁ、あの人が見ていてくれたら温かい」。そんな存在でした。

さてみなさま、新解釈・お天道様が見ているよ。最後までお読みいただきありがとうございました。

Study&Nadi
松尾健史

01 強くなりますように(前編)はこちら。
01 強くなりますように(後編)はこちら
こちらの作品は#cakesコンテスト2020に応募する作品「強くなりますように」に付随するエッセイとなります。

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