手術後の近況&周囲での共産党除名事件の光景

近況続報

手術後の経緯

前回8月2日の記事で、翌3日に手術することをお知らせし、同記事の6日の追記でそれが無事終わって翌日退院の見込みであることを記しました。その後、予定どおり7日に退院しています。
発熱が予想より長引いて、予定よりも一日遅れの退院になりましたが、6日の追記で書いたように、結局、右精巣を摘出する必要もなく、筋肉にできた小さな癌をとるだけですんでよかったです。

その後、九州の家に戻って療養生活をしています。おかげさまでもう傷の痛みもだいぶ治まって、今週ぐらいからぼちぼちものを書き始めています。
京都には8月下旬に戻る見込みです。

これまでの経緯については、前回の記事にまとめています。

カード入れ落として届けられる事件

以前、長年使ってきたウエストポーチがダサいと、薔薇マークキャンペーンのおねえさまがたからえらく不評で、やめさせようという圧力をさんざん受けたのですけど、替えるのもめんどくさいので、そのままずっと使ってきました。
しかしそのうちさすがにボロボロになってきたので、カミさんが、私の手術の事前説明を受けに来洛したときに、とうとうみかねて、これに替えろと言うことで、ショルダーバッグを買い与えてくれたのでした。今までより多少容量が増えたので、日頃ウエストポーチにパンパンに入れていたものがゆったり入るようになったのはよかったのですが、縦長になったので二段に重ねて収納されることになり、下に入ったものを取り出すのに多少難儀するようになりました。

さて、8月7日になって、朝からすっかり平熱に戻り、血液検査もOKということで、晴れて午後退院になりました。荷物もありますのでタクシーで帰宅したのです。
そのとき、アパートの前で支払いのときに、ショルダーバッグの下側から財布を取り出すのにちょっと難儀した記憶があります。

帰宅後いろいろと片付け物を終えて、やっとゆっくりくつろぎ出した頃、私の大学の人事部から電話が入りました。
何事かと電話に出たら、電話口の女子職員が言うには…

なんと私は、クレジットカードや健康保険証やキャッシュカードや「イコカ」等々のカード類一式が入ったカード入れを、アパートの前で落としていたのでした!
たしかに、言われてショルダーバッグを確かめてみると、中にカード入れがありません。部屋を探してもありません。
親切なおじさんが拾って、中を確かめたら、大学の職員証が入っていたので、大学に電話して知らせてくれたというわけです。近くの旅館の名前をあげて、すぐ行けるかと聞くので、二分あればいけると言うと、おじさんがその旅館の前で待っているとのこと。

慌ててかけつけたら、まだ旅館の前には誰もいませんでした。実は、その後何回か大学の人事部からまた電話があったようなので、おそらく到着までしばらくかかるということを伝えようとしてくれたのだと思いますが、慌てていたので、携帯電話を置いて出たのです。

ハラハラしながら待っていたら、数年前にボランティアで講演していたところの事務員としてお世話をいただいていた青年がたまたま通りかかって、声をかけてくれました。
その後、実業家として事業を立ち上げて忙しくしているという話を立ち話で聞いているうちに、やがて自転車でおじさんがやってきて、カード入れを渡してくれました。
警察に届けると手続きがうっとうしいので、大学に電話をかけてくれたそうです。警察に届けたら落とし主から謝礼がもらえるかもしれないのに。
改めてお礼にうかがいたいと言うと、そんなのはいらないと言って、笑顔で去っていきました。
隣にいた青年もなぜかいっしょになって礼を言っていました。

世の中には本当に親切なおじさんがいらっしゃるものです。おかげで助かりました。こんなエッセーに書いても伝わるとは思いませんが、感謝に堪えません。本当にありがとうございました。

それで、その後しばらくカフェで青年と話をしていたのですが、なんでも、シングルマザーの貧困問題解決と、世にニーズのあるホテル事業を組み合わせた事業を始めるとのことで、そんな話を聞くともう尊敬しかない。やっぱり実際に事業で汗をかいて社会問題を解決する人が一番偉いと思います。もちろん、そういう人たちの活躍があるからといって、政治の責任が軽減されることがあってはなりませんが。

おチ×チ×包皮水膨れ事件

そのあとスーパーで夕食を買って帰って、ゆったりした晩をすごして入院中よりも遅れた時間に寝ようとしたら、陰茎包皮が水膨れして大きく膨れ上がっていることに気づいてびっくり。何事が起こったかと、ネットを調べまくったのですが、よくわかりません。
この先自分はどうなってしまうのだろうとドキドキしながら就寝し、翌朝病院が開くのを待って電話して、退院翌日の病院に早々かかることに。
前日会ったばかりの主治医に診てもらうと、尿道カテーテルって言うんですか、手術のときに尿道に差していたおしっこのくだ、あれの影響で、雑菌が入ってこんなことになることはよくあることだと言われました。

じき治るからと、抗生剤を出してもらって帰ったのですけど、こんなもんがほんまに治るんやろかという気持ちでした。
それにしても、去年の春の左精巣摘出手術のあとは、5月18日付のエッセーでも書いたように、エッチなことを考えると激痛が走るという孫悟空状態になりましたが、天は今回またも、あくまでエッチなことを考えさせないということか(笑)。
(結局、久留米に帰って二、三日後には正常化しています。)

手術後の立ち旅事件

さて、その翌々日にはまた午前中に病院に出向いて、抜鉤(ばっこう)って言うんですか、手術の傷を止めているホチキスをはずすやつ、あれをしてもらいました。そしてその午後、九州の久留米に移動するというスケジュールでした。
久留米の家に帰って療養するはいいのですが、抜鉤が終わるまでは移動できません。しかし、抜鉤は8月10日。翌日11日は山の日で休日でしかも金曜日なので、そのまま週末お盆に突入するとなって、新幹線はとんでもない混雑が予想されます。

実際、前日の9日にネットで予約を試みたのですが、11日の列車の予約はあきらめました。
私は九年前にそもそもの始まりの腎癌で右腎臓を摘出する前は、毎週久留米から立命館まで新幹線で通勤していましたので、少しでも足しにするために、JR西日本の株を買って株主優待券をもらえるようにしていました。それが使えますので、株主優待の買い方ができるようにと、いろいろとやってみたのですが、何度やってもうまくいきません。
そうすると、やり直すたびに、さっきまで空席があった列車が、次々満席になってしまいます。

とうとう11日は断念し、10日の午後、抜鉤後間に合う時間で予約することにしました。
ところがこれも、何度やっても株主優待の買い方ができるようになりません。そんなことをやっていたのでは10日の席だってじき埋まってしまうのは目に見えていましたから、もう断念して、比較的安い料金で出てきたもので決めてしまうことにしました。
九州新幹線の「さくら」は自由席になるのは仕方ない。博多から久留米までは15分のことですし、そのくらいなら大丈夫でしょう。「のぞみ」にグリーン車でない指定席が空いているこれに決めようと、「のぞみ」から「さくら」に乗り換える組み合わせのチケットで予約を入れて、クレジットカードの支払いも済ませました。

それで翌日の移動当日、家で読む本の発送とか、持っていく荷物の準備とかはあらかた終わっていたので、病院から一旦帰宅してしばらくゆっくりくつろいでいたら、カミさんから電話があって、何をやっている間に合わないぞとドヤされて慌てて飛び出しました。
今日は券売機に並んでいる人が多いぞということでしたが、本当にそのとおりだった。列に並んで待っている間に時間がどんどんたっていきます。
結局、抜鉤したばかりのまだ傷が痛む中で、最後は駅構内を突っ走り、すでにホームに着いている列車に最寄りの入口から乗って、動いている車内を自分の席の車両まで移動するということになりました。

こうして「のぞみ」の指定席に座って息をついだのですが、まもなく新神戸で乗り換えることになります。
新神戸駅で降りて、次はどこから乗ればいいのかと、次は何号車か確認しようとチケットを見ると、何号車とも書いていない。あれっ?
そこでやっと気がついた!
「さくら」は九州新幹線だから、ネットで予約した時は、博多駅で乗り換えるものと頭から思い込んでいたのだ。だから15分くらいのことと思って自由席で予約したわけです。
ところが実はそれは新神戸乗り換えだったのです。つまり私は、新神戸から久留米まで「さくら」の自由席で移動するチケットを買っていたのです。

愕然としましたが、ぼーっとしている暇はない。とりあえず自由席のところの一番人が少ない列に並んだのですが、列車が到着してみると、すでに自由席は満席で通路にたくさん人が立っています。
かくして、通路も人がぎっしりの中、まだ少し傷が痛む手術後の身で、長時間立ち続けるはめになったのでした。(結局、広島で座れましたけど。)

そういえば、大阪のれいわ新選組の大石あきこ衆議院議員が、子宮筋腫のため、7月半ばに子宮摘出の大手術を受けられたあとの退院二日後に、なんと東京まで行って地裁判決を受けて記者会見まで開くという、なんともタフ極まりないことをされていましたが、こうしてみると、どんだけキツかったやろと思うわ。少しはその苦闘に連帯できたかな。
まああっちは、社会正義を貫く高い公益のための行動であるのに対して、こっちは単なるプライベートな目的の勝手なミスによるものですので、全く比較になりませんが。

ちなみに、この裁判は、安倍元首相の取り巻きジャーナリストの山口敬之さんが、山口さんから強姦されたとする告発に対してスラップ訴訟をおこしたことを評して、大石さんが批判的ツイートをおこなったことに対して、山口さんが名誉毀損で訴えてきたものです。
結局地裁では、山口さんが計画的に強姦したこととスラップ訴訟をしたことについての大石さんの記述自体については、「公正な論評であって、違法性はない」「重要な部分は真実と認められる」「真実と信じる相当な理由がある」と認められたのですが、大石さんが使った「クソ野郎」という言葉についてだけ、「原告に対する人身攻撃に及んでいる」として、ツイートの削除と22万円の賠償を命じたものです。

まあ、一応敗訴ということで、こんなことは認められないから大石さんは控訴することになったわけですけど、しかし、判決の中で、山口さんがやった悪事の経緯が詳しく確認され、それでよっぽど人々の琴線に触れたのか「クソ野郎」という言葉が日本中を飛び交い、ツイッターでトレンド入りするという結果になったわけで、山口さん的にはとんだ藪蛇だったのではないでしょうか。
詳しくは、下の記者会見動画をご覧ください。大石さんは終始背筋をピンと伸ばしてなんかかっこいいですが、たぶん前屈みになると痛くてかなわん状態やったろうと思います。

ところで大石さんは「入院日記」の中で、腹腔鏡手術でお腹に五箇所あけた穴の跡の痛みを耐えるのに、「銃弾を受けた人の設定で過ごす」と書いておられます。特に右の穴が主要な作業用の穴だったということで痛かったらしく、右腹に銃弾が一個残されているというふうに設定を強化したそうです。

そんな話を読んでいたもので、前回の拙記事を読んだ大石さんが、某グループSNSで私の手術の日に気遣いの言葉をくれていたのを、手術の翌日気付いたので、「大石さんの経験から、タマが残っている設定で堪えればいいのだなと思っていたら、本当にタマが残った」というゲスい返事をしたら、不気味な無反応や。かなり怖い。

[※ 後記:意味が伝わらずに、どスベりしていただけでした。8/17]

お知らせ

① 個人ホームページを更新できません
[※後記:更新できました。サーバーのホスト名がいつの間にか変更されていたのでした。8/26]

個人ホームページをまたまただいぶ更新せずに放置していましたが、久留米で療養と称してとりあえず仕事から離れているもので、日頃放置したことをいろいろメンテしようと、ホームページも修正すべきものをしてしまおうとしました。
ところが、FTPって言うんですか、ホームページの置いてあるサーバーにファイルを送るソフトが接続できなくなっています。理由はわかりません。
というわけで、当分のあいだ、個人ホームページは更新できないということでご理解お願いします。

② 動画のお知らせ

この春からユーチューブに動画をいくつかアップしているのですが、このノートでお知らせするのを忘れていたように思います。次の動画をアップしていますので、ご関心がありましたら、よろしくご視聴、ご検討ください。

松尾匡の入門講義「経済の数学モデルの解き方」

特別公開「社会経済学初級α」2022年度講義@立命館大学経済学部

数理マルクス経済学講座:今年度に入って五本追加しています。

③ このノートの訂正&朴勝俊教授との仕事

昨年(2022年)の5月5日の記事

で、為替相場が変化したときの、コスト全額転嫁する場合の国内物価への影響を計算していましたが、このときのデータの選定に誤りがありました。全体として大きく結果が変わることはないのですが、正しいものに訂正する後記を追記しておきましたので、上のリンク先をご確認ください。
一通り計算をやり直し、新たな計算もしています。
この、正しいデータへの変更は、その後記にもありますとおり、関学の朴勝俊教授が計算したやり方にしたがったものです。

ところで、朴さんとは、こんなものも作りましたので、いいと思ったら拡散ください。

ちなみに、私たちの「ひとびとの経済政策研究会」のブログでは、このところ朴さんの著作を立て続けに発表しています。下記リンク先をチェックしていただければありがたいです。
私の一推しは、サンダースら、アメリカ民主党左派のリーダーたちが、向こうの中央銀行に対して、利上げをやめるように訴えている書簡の全訳です。左派たるもの、どう発想するのが世界標準なのかがよくわかります。

ちなみにネット上にはこんな論文もあります。
安中 進・ 加藤言人「なぜ日本の左派は金融緩和に反対するのか」
https://www.waseda.jp/fpse/winpec/assets/uploads/2019/09/WP-J1904.pdf

④ インタビュー記事

最近こんなインタビュー記事も出ています。いや、雇用形態の話は、私は専門家じゃないんですけど…。

今日の本題:周囲での共産党除名事件の光景

あけび書房さんの『続・希望の共産党:再生を願って』というアンソロジー本に寄稿を頼まれました。いろいろ目の前のことに追われたり、体調を崩して一週間寝込んだりして、私が一人で足を引っ張ったのですけど、入院で作業ができなくなる前に駆け込みでなんとか脱稿・校了し、ようやく近々出版されることになります。関係者のみなさんすみませんでした。

この本の中でも、何人もの人が、京都の共産党の大物である鈴木元さんが、志位委員長の辞任や党首公選制の導入を主張したことによって、共産党から除名された事件についてとりあげています。
それらの論調の多くもそうでしたし、ウェブやマスコミで見られる論調も、共産党に対してマイナスの影響を与えたとみるものが支配的だったように感じます。

それに対して私は、この本の中でこの件についてごく簡単に触れて、ほとんど影響がなかったのではないかと述べています。引用しておくと、

 ちなみに鈴木元さんの除名問題が統一地方選挙での共産党の議席減に影響したとの見方をよく目にしますが、共産党のほうも、批判者のほうも、ほんとうにそうだったのかどうか、ちゃんとアンケート調査などをしてエビデンスを集めて検討してほしいところです。少なくとも、私の直接観測できる範囲の、立命館を中心とする京都・滋賀の界隈では、全く影響がなかったと言い切れると思います。

あまり出版物の中で深入りする話でもないと思いましたので、この件への言及はこれだけにしました。ですが、やはりこれだけでは納得できない人も多いと思いますので、ここでもう少し説明しておきます。

鈴木さんはかつて立命館の大幹部として、学園の新自由主義的再編に辣腕をふるった人でした。私自身は、立命館に移籍して間も無く鈴木さんが失脚されたので特に実害を受けたわけでなく、その後の立命館の内情暴露本を出したりしていたことだけを知っていますので、個人的にはむしろ味方側みたいな感覚で、何も悪い印象は持っていません。
しかし周囲の人たちはみなこぞって、「今さら何を言っている」というような態度でした。こっちとしては、そこまで嫌わんでもと思いましたけど、単なる経営政策の問題ではなくて、かなりキャラクター上の特異性があったと感じさせられました。

それで今回のこの事件です。まわりには鈴木さんに同情する人は一人もいません。一人や、二人や、三人に聞いた話ではない。みんなことごとくそうです。最近の富田林事件などの共産党の姿勢に対しては、たいへん厳しく批判していたり、共産党の組織体質に対して変化を期待する共産党シンパか党員の人たちも、そもそも共産党に対してもとから批判的な人たちも、みんなそう。誰も鈴木さんに同情しません。

ネットなどでは、もともと鈴木さんの子分みたいだった京都の共産党関係者が、こぞって鈴木さんをこき下ろす様に対して、冷たい官僚的な気持ち悪さを表明するコメントが多かったような気がするのですが、自分が聞くかぎりでの想像ではそうではなくて、やっと言いたいことが言えるようになったと、溜めに溜め込んだ不満をぶちまけているのだろうという印象があります。

なので、この件については、ネットなどで見られる共産党へのマイナスの影響を断言する論調と、自分の観測範囲で見える光景とのギャップがあまりに大きくて唖然としてしまいます。

ちなみに、その後の統一地方選挙で私は、京都でれいわ新選組の候補の電話かけをしましたが、「共産党の支持者やったんやけどな」といったような反応にはついに一件もあいませんでした。そんなこともあって、自分の体感では、立命館だけのことではなくて、京都の街中でも、この件による共産党へのマイナスの影響はなかったように感じます。

ところで、党首公選制を提唱して、鈴木さんより一月早く共産党を除名になった松竹伸幸さんについては、私自身は悪い評判のようなものは全く聞いたことはないです。
はからずも今回のアンソロジー本では、共著者として名前を連ねることになりましたが、松竹さんの主張が正しいかどうかはともかく、党のためを思って問題提起をしたことで除名にすることはないだろうとは私も思います。
しかしそうは言っても、松竹さんの除名後のタイミングでは、三春充希さんの平均政党支持率では、共産党支持率は上昇を見せたのです。

結局、一般有権者にとっては、政党の内部ガバナンスの問題などは、たいして関心をもたれないのが現実だろうと思います。
今度のアンソロジー本でも書いたのですが、会社のガバナンスがワンマンだとか上意下達だとか言って、その会社の商品を買わなくなる消費者はほとんどいないわけです。よっぽどブラック企業で悪評をたてたのでなければ。
消費者が商品を買う基準は、商品のイメージや品質ですし、会社の姿勢としてはどれだけ外部に誠実かが重視されるものです。政党も同じです。

自民党や維新の会から忌み嫌われる「共産党」と称する名前の党に投票する有権者が期待するのは、何よりもまず、自民党や維新の会と断固闘うこと以外にありません。その期待を裏切らず満足させることが、党勢のためにはまず必要なことだろうと思います。
今度のアンソロジー本で私は、「牛歩もできないヘタれた共産党に存在意義はない」と述べて締めました。7、80年代と比べると、格差も貧困も産業空洞化も報道統制もはるかにひどくなっていて、大衆の不満や絶望は高まっているはずなのに、左派側が当時当たり前だった闘い方すらできないとなると、右派ポピュリストの扇動が大衆にとってのはけ口になるのは当然のことです。