松尾 匡
こんな不信任案は賛同しなくて当然だが、今の理由では「叩かれ損」でもったいない
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こんな不信任案は賛同しなくて当然だが、今の理由では「叩かれ損」でもったいない

松尾 匡

今日の本題に入る前に、前回の補足

前回のノート論考「女性差別とセックスワークの問題は、黒人差別とスポーツ・エンタメの問題になぞらえると整理できそう」は、AV新法をきっかけに発生した左派の内紛をおさめたいというのが執筆動機で、主にはAV新法反対派であるセックスワーク禁止派の人たちを、その合法化に向けて説得するための提案です。
なので、議論の前提となるいろいろなことは説明をはぶいていて、議論の輪の外にいる人を読者としては想定せずに書きました。

ですから、はてなブックマークで的外れなコメントがたくさんつきましたけど、まあこの人たちに読ませるための文書ではないし、仕方ないだろうと思っていました。
ところが、「こっち側」サイドの人からも、「直接に性的ではないものに、性的な表象を読み込んで「性的搾取」と騒ぐ傾向」を批判する立場からの批判的コメントをいただき、いやそれがこの文章で言いたかったことなのですけどと、改めて、自分が人に考えを伝えることの下手さ加減を思い知ってしまいました。
人生ずっとこんな経験ばかりしてきて、その度に、もっとわかりやすく書けるようにするぞと反省するのですが、全然前進しません。
おそらく、同様に伝わっていない人が、この左派の内紛の議論の中にいる人にもいらっしゃっただろうと思いますので、ちょっと補足しておきます。

前回のノートでは、公的キャラにせよセックスワークにせよ何にせよ、「女性を性的対象と扱うのがダメ」という理屈では保守的性道徳を強化していくらでも抑圧が広がっていくことにつながり、筋が悪いからやめようという主張をしているつもりです。
それに替えて、社会の中で女性の役割を「女性的」とされるものに固定してそれを二流分野と扱い、他の多くの分野から排除する差別の構造への批判として一貫させる方法がよいというのが論旨です。
このロジックに則って、例えば、セックスアピールデフォルメ美少女キャラを必然性のない場面で公的機関が使うのは、良妻賢母デフォルメキャラを必然性のない場面で公的機関が使うのと同様、「女性的」とされる固定的分野で必要とされる価値を持つようすべての女性に強いる意味を持つ点で問題だとする言い方の方がいいと提案しているわけです。
女性を性的対象とすることが女性に対する抑圧として働くのは、この差別の構造に規定された特定の条件でおこることという取り上げ方をすれば、無限定な広がり方をして何でも気に入らないものを殴る棒になることを避けることができると思うわけです。
(そうするといわゆる「萌えキャラ」の多くは別に問題ないと思うが、それを具体的に一つ一つ想定説得相手派の人たちと議論するのは、前回論考の本題から外れるのでここではするつもりはない。)

…といったことをやりとりで述べたとき、あっ、ムキムキ黒人より良妻賢母をたとえに使ったほうがわかりやすかったのかも、と思ったのですが、あとでよく考えたら、想定説得相手のみなさんは、専業主婦という業界はなくなっていいと感じるかたも多くいらっしゃるでしょうから、前回論考の本題である後半につなげる比喩としてはやっぱり使えませんね。スポーツ業界やエンタメ業界なら、なくしてしまうのは無謀という比喩が伝わると思います。

ちなみにそう言えば、2020年の東京都議補選で、N国推薦の女性候補が「アベノマスクブラ」と称したマスクで作ったブラジャー姿のポスターを出して物議を醸しましたが、その昔は政治の場でこんなパフォーマンスをするのは左側の跳ね上がりwに決まっていて(やぁ、レナさん、ど〜もど〜も)、保守側の方が「性的だ、けしからん」と言って叩いていたものですが、時代が変わって右派側から出現するようになったとたん、左翼側が「性的だ、けしからん」と言い出すのはなんだかなあと思うわけです。
(まあ、あの選挙は、別に特定の政党が悪いわけではないけど、女性候補五人がどれも美形揃いでした。そうじゃなければ女は選挙を戦えないといった風潮ができていたとしたら、そっちのほうが上記基準にてらしてよっぽど大問題。いろんな容貌の中に誰か一人変な泡沫がいるというだけならいいけど、そういう風潮の中で、それにさらに弾みをつけさせたかもしれないという点では責められるべきかもしれませんけどね。)


先日の内閣不信任案にはこんなことが書いてあった

「異次元の金融緩和を未だに見直さないという愚策」とある

先日立憲民主党が提出した岸田内閣不信任案の本文がこのほどやっと衆議院ホームページに載ったので読んでみました。
人づてのマスコミ報道情報で、ひどいことが書いてあると、ちょっとは聞いていたのですが、全体を読んでみないと文脈がわからないと思っていました。でも、たしかにひどかったです。

まず、こんなことが書いてあります。

第一に、円安並びに資源高・物価高に無為無策である。特にアベノミクスの残滓ともいえる異次元の金融緩和を未だに見直さないという愚策。これにより円安はおさまらず、ロシアによるウクライナ侵略も相まっていよいよ「異次元の物価高」の局面になりつつある。当然物価があがれば庶民生活を直撃する。それでなくともコロナで経済的に苦境に立つ国民が多い中、「岸田インフレ」は亡国の道といえる。

「異次元の金融緩和を未だに見直さないという愚策」…。
たしかに、金融緩和で金利を抑え込んでいるために、もっと金利が高いアメリカなどに日本から資金が流れ、円を売って外貨に換えるので、円安になっています。それが輸入物価を押し上げる原因になっています。
では、実際どの程度の物価押し上げ効果があるのかということについては、以前のノート記事「円高政策は解決ではない」で、簡単な推計をしたのでご覧ください。影響は小さくはないが、世間で一般に思われているであろうほど大きくもないというものでした。

それよりも、この状況下で金融緩和をやめることの悪影響は計り知れないです。
この批判の仕方は、プーチン政権のウクライナ侵攻の不手際を批判して、戦争状態を宣言してウクライナ征服を目的に掲げて戦時動員するべきだとするロシアの強硬派の主張に似ています。

金融政策によって円相場に影響を与えるためには、多少でも市場金利が上がるぐらいには、金融緩和をやめなければなりません。日米の金利差を縮めないと日本からアメリカへの資金の流出は止まらないからです。しかし、多少でも金利が上がると、上記の前稿に書いたような以下の深刻な悪影響があります。(詳しくはリンク先をご覧ください。)

1)日本経済は総需要がまだ停滞している中にあり、コストが上がってもほとんどの企業が製品価格に転嫁できず、賃金部分も含む利益が圧縮されている。(少なからぬ消費財・サービスが、いまだに前年比で値下がりしている。)
金利が上がると、お金が借りにくくなって、設備投資需要などの規模の大きい買い物が抑えられてしまう。特に、小さくて資金力の弱い企業ほど、設備投資を諦めてしまう。すると本来その支出先から波及していくはずの消費需要なども起こらなくなってしまう。
そうすると、総需要がますます抑えられ、多くの業者がますますコスト転嫁できなくなって、赤字になってやっていけなくなり、倒産や失業が増えてしまう。

2)コストが上がると仕入れに必要な金額が増えるので、必要な運転資金の金額が増える。すると、金利が上がると、小さな事業者は運転資金の手当ができなくなって、事業を続けられなくなる。

3)コスト高でもたらされるインフレを止めるための根本的な解決法は、国内の生産能力を高めて、海外での価格上昇の影響を受けにくくなることである。そのためには、今は設備投資をする必要があるのに、金利が高くなると上述のとおり設備投資の妨げになる。
特に、エネルギー転換や、大地震に備えたバックアップ生産体制のための設備投資が必要で、公費で手当できる補助は最大限するとしても、リスクのあることは民間で引き受けてもらわなければならないので、必要な民間設備投資はやはり大規模なものになるだろう。
そのうえ、2011年頃の超円高が、優秀な中小企業の国外脱出を多数生んだことから裏を返せば、企業の国内回帰を進めるには、まず前提条件として円安が必要であり、むやみに円高リスクをもたらす政策はとれない。

次のパンデミックに備えた医療体制の充実のためにも、大地震などの災害への備えのためにも、コロナ禍からのひとびとの暮らし・なりわいを回復させるためにも、今はまだまだ税収以上の政府支出は必要です。そのためには、国債を日銀が買って支えることはやめるわけにはいきません。

2025年プライマリーバランス黒字化を後退させたと批判している

しかし、不信任案はこうしたことの必要性自体に反対する立場のように見えます。
そこにはこんなことが書いてあります。

この内閣の「安全運転」と称する政治的怠慢の事例には枚挙にいとまがないが、なかんずく二〇二五年プライマリーバランスの財政黒字化や金融資産課税強化など初期の看板政策をことごとく後退させた。その一貫性なき政治姿勢に、多くの国民は失望を感じている。

いやいや、岸田内閣が、まだコロナ禍最中の2022年2月14日に、プライマリーバランスの2025年黒字化目標を堅持するということを確認したことの方が問題なのであって、これがいまだに公式に撤回されていないという恐るべき「一貫性」こそ不信任に値することです。
ここで「後退させた」としているのは、先日の「骨太の方針」でこのことが明記されなかったことを指しているものと思われますが、その後ウクライナ戦争も起こって、原油・穀物高対策が迫られている時に、ここでそんなものを明記していたら、それこそプライマリーに不信任の理由でしょう。むしろちゃんと明示的に撤回しなかったことこそ責められるべきです。

そもそも岸田内閣が打ち出したさまざまな国民負担増加策は、「財政再建」を大義名分になされているもので、22年度予算はこうした立場から、容赦ない緊縮策が並びました。中小企業、農林水産、文教の予算は削減されています。コロナ禍であれほど民衆がひどい目にあったのに、なおも病床削減や診療報酬削減を続けることになっています。

プライマリーバランスというのは、税収などの収入と、国債のお金を返すための支出を除いた支出との差のことです。
税収を、国債のお金を返すために使うと、その分、預金として世の中にでまわっているお金(マネーストック)が消えてしまいます。
税収をそのまま政府支出したら、納税者の預金が消えた分、支出先の預金が増えてマネーストックの変化はプラマイゼロです。
国債を発行して政府支出すると、銀行部門が国債を持った分、政府支出先に預金が信用創造されて、マネーストックが増えます。
ですから、プライマリーバランスの赤字は、マネーストックの増大を、プライマリーバランスの黒字は、マネーストックの減少を表しているわけです。

マネーストックは、銀行が民間企業にお金を貸し付けるときにも、預金が信用創造されることで増加します。現在の日本では、設備投資が停滞してしまっていますので、民間企業への貸付でつくられるマネースックが少なくなってしまいました。
その分、政府がマネーストックを作って支出しないと、世の中でモノを買う力が不足して、倒産や失業がたくさん出てしまいます。

コロナ禍では、アメリカなどから見るとしけたものですが、それでも以前よりは赤字財政支出したために、マネーストックが急増しました。それでもコロナ禍の停滞を破り、雇用とまっとうな賃金を実現するには支出が足りていないことは明らかです。

不信任案の立場では、量的金融緩和をやめて、円安を止めるぐらい金利を上げることになっていますから、当然、なけなしの民間設備投資がたくさんとりやめられて、民間貸付が減ることになります。
それを埋め合わせるためには政府がお金を作って世の中に向けて使うしかありません。ところが不信任案はそれもするなと言っているわけですから、これは、総需要をぐっと冷そうという提案です。輸入コストが高まっているときにそんなことをすると、倒産、失業の嵐になるでしょう。

コロナ禍の経済後退が一番ひどかった20年度の決算では、消費税のために、税収は過去最高を記録しました。
これは何もいいことではなく、コロナ不況で人々がお金が足りなくて喘いでいる中、その分世の中からお金が吸収されたということです。
22年度予算では、それをさらに上回る過去最大の税収見積もりを立てています。前年の当初予算より7.8兆円弱の増加になっています。その上で、公債金は6.7兆円弱減らしています。プライマリーバランスの赤字と利払いの合計で見ると7.6兆円弱減ることになります。
すなわち、その分は、世の中に出すお金が減ってしまうということが予定されている予算なのです。

これこそが岸田内閣の罪状として不信任案にあげられるべきことです。ところがそれと逆のことを言っているのです。

れいわ新選組の不信任案棄権の理由づけはもったいない

党の存在理由を示す機会なのに理由にあげていない

れいわ新選組はこの不信任案に賛同せず、棄権しました。以上見たような不信任案の内容からしたら、同党にとって、至極当然の行動だと思います。

ところがれいわ新選組のホームページに載っている、この不信任案に棄権した理由を読んでも、上に述べた件は言及されていませんでした。これはれいわ新選組が政党として存在している存在理由にかかわることだけに、あれっという感じがするところです。

なぜ立民とも共産党とも違う政党を立てなければならなかったのか。政策の違いがよくわからない政党を別に立てても、他の野党の足をひっぱるだけでただ迷惑なだけの話になります。
だから、参議院選挙も近づき、野党どうし、ほかとの違いを際立たせる作戦に出ているのは、実はお互いにとって利益のあることだと思います。
「鬼犬論争」もいい。「上品/下品」でマーケットを分けることは、立派なマーケット戦略だと思います。
上述の、金融緩和やプライマリーバランスについての論点で、不信任案に同調しないという態度をアピールしたならば、他の野党ではなくてれいわ新選組がなぜ存在しなければならないかを明らかにする格好の論点になります。

不信任案に同調しなければ、反自民党、反維新の世界の中で、一定バッシングを受けることは、いずれにせよ避けられないことになります。支持率にも得票にも、マイナスの影響を被るリスクは覚悟しないといけません。
そもそも、多くの有権者は、なぜ不信任案に同調しなかったのかをいちいち意識しません。ただ、不信任案に同調しなかったということだけ覚えているのが大半でしょうし。
そうであるならば、真に結党の理由にかかわることについてこそ、そうしたリスクを引き受ける価値があるはずです。

やってる感茶番論では有権者が政治判断を予想できない

そう考えると、選挙前の「抵抗してます」感アピールは茶番だとする理由づけは、気持ちとしては十分理解はできますが、しかし一般有権者の理解がどれだけ得られるかというと、かなり厳しいと思います。
そもそも選挙のときに選ばれるために重要なのは、政治判断の予想のつきやすさだと思います。

共産党が、もはや真面目に共産主義をめざす党員などほとんど皆無になって、ただの社会民主主義政党、人によってはそれも怪しい政党になっているにもかかわらず、スターリン体制のマイナスイメージがぬぐえない「共産党」という名前をなお捨てられない理由は、私見では、これが有権者に安心感を与えているからだと思います。
つまり、決して自民党とも維新ともくっつくことがないという、最も重要なことについての保証になっているわけです。
それに比べて、立憲民主党も社民党も国民民主党も、何をしたい政党なのかという根本的なところについて、予想が裏切られない安心感を与えることについて成功していないところが弱いところだと思います。

そう考えると、内閣不信任案というのは、通常はここで与野党に分かれる重要な機会なので、「抵抗してます」感アピールだから同調しないという理由が主要な理由では、有権者としては、将来の同様な機会に際してどのような判断をするかということが、予想できないことになります。それでは投票する際、安心して入れられない人がでることになるでしょう。

だから、上述のような経済政策の認識上、大きな問題点を抱える不信任案が出されたということは、結党の理由にかかわる、他の野党との違いを際立たせる滅多にないチャンスだったのに、それを逃してただ叩かれる機会を作ってしまったのはもったいないことをしたと思っています。

立民さんのホンネを引き出せたら説得力はあっただろう

立民さんの本気のなさを言いたいなら、やはり余計この論点が大事だと思います。
立民さんの指導部では、依然かなり影響力のある部分で、財政破綻論を本気で信じている人がいらっしゃると思います。
もしあなたが立民さんの指導者で、本気で、このままいくとやがて日本は財政破綻して経済がカタストロフに陥ると信じているとしたら、どんな作戦を立てますか。
政権をとったら、増税や緊縮などの有権者に不人気なことをしなければならないし、そうしたら不況になって中小個人事業者の倒産や就職難や失業が増えることは容易に予想できます。反発を買われてもう二度と選挙に勝てなくなるかもしれません。
だとしたら、今は政権をとらず、経済破綻したあとで、その責任を問えるよう批判だけしていればよい。破綻後政権についたならば、前政権のツケだと言って増税や緊縮をすれば、そのときには有権者は納得するだろう。このように考えないでしょうか。

こんな理由で政権をとることから背を向けていたら、そのあいだに現在進行の軍国化、帝国主義化、強権国家化の道はどんどん進められていくでしょう。
もしこれが立民さんの指導部の中にあるホンネだとしたら、先の不信任案の機会に、金融緩和やプライマリーバランスについての認識を問いただすことは、このホンネを浮き彫りにするいい機会だったと思います。その上ならば、闘う本気のない「抵抗してます」感アピールという批判は、有権者にとって説得力を持ったことでしょう。

松尾 匡
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