松尾 匡
女性差別とセックスワークの問題は、黒人差別とスポーツ・エンタメの問題になぞらえると整理できそう

女性差別とセックスワークの問題は、黒人差別とスポーツ・エンタメの問題になぞらえると整理できそう

松尾 匡

スポーツ・エンタメ界での黒人の活躍は、人種差別構造の結果

アメリカのスポーツ界やエンタメ界は、今でこそそれなりに近代化されていると思うが、その昔はマフィアが関与する闇の深い世界だったと聞く。ひどい労働条件も人権無視も横行していただろう。
関係者の労働組合運動の闘いをはじめ、多くの人たちの多年の努力によって状況が改善されてきたのだ。
昔は、そんなスポーツ・エンタメ界に、よく黒人が活躍の場を求めてきた。一般の職業では出世の見込みがなかったり、そもそも多少まともな賃金のところには就職の機会さえなかったりしたからである。スポーツ・エンタメ界なら、ほかよりは黒人にも一攫千金の夢が開かれているはずだ…と。

こうして、成功した黒人たちがスポーツ・エンタメ界に目立った結果、黒人といえば力が強くて俊敏だとか、音感やリズム感が優れているとか、ダンスがうまいとかいったステレオタイプが形成されることになる。
こうした偏見は、「黒人はこういう方面で素質を活かせばいいのであって、その他の一般の職業での成功を目指す必要はない」という観念を生み、力も強くなく音感もリズム感もない黒人を抑圧して、彼らが、報われない労働についたり失業したりすることを、自己責任とみなす構図を作る。

以上のように、スポーツ・エンタメ界で黒人が多く活躍しているということ自体が、人種差別の構造の生み出したものであり、その構造を利用して興行師たちが利益を上げてきたわけである。
今では業界はもっと近代化しているかもしれないが、やはり人種差別の構造自体がなくなったわけではないので、同じ構図は続いている。近代化された大資本もその構図を利用して利益をあげていることにかわりはない。
だからこそこうした状況を変えるための、労働組合運動の闘いはじめ、たくさんの業界関係者の努力は、今も続いているのである。

さて、女性差別とセックスワーク・セックスアピールをめぐる、左派・リベラル界における混乱状況は、以上の黒人差別とスポーツ・エンタメ界をめぐる問題になぞらえると、ある程度整理できると感じている。
特に、他者を傷つけないかぎり多様な自己決定が尊重される方向へと社会を動かすのに貢献してきたはずの左派・リベラル派の議論の中で、女性差別批判のための全く正当な主張の中に、保守的性道徳や性的なことへの偏見などを助長しかねない向きがあることは、よく考えてみるべき事態である。別角度の視角から整理ができたら有意義なことだと思う。

公的機関が巨乳美少女をキャラに使ったらアウトな理由

わかりやすい例として、公的機関がセックスアピールをデフォルメした美少女キャラを使うことがなぜダメなのかを考えてみよう。
それは、アメリカで公的機関が、黒人の必然性のない場面で、ただ黒人という属性だけがあるキャラを、ムキムキの筋肉をデフォルメして使ったら、当然アウトだろというのと同じである。
それは、「黒人といえば筋力によって活躍するのが黒人らしい成功のありかたなのだから、それ以外の分野での活躍に壁があっても不当と思うな」という人種差別の構造を公的にプッシュすることになる。
そして、これが当たり前に横行すると、非力なインテリ気質など、筋力のないタイプの黒人に対して、黒人がめざすべき姿に合っていないのはダメだと抑圧をかけることになる。全然腕っ節で評価されるような場でない世界で生きようとしている者にまで、強そうな黒人だというだけで、勝手に腕っ節の発揮が期待されることがあたりまえになってしまい、当人を傷つけることにもなる。

同様に、公的機関がセックスアピールをデフォルメした美少女キャラを使うことは、「女性とは容姿とセックスアピールによって主に男の視線にかなうことで活躍するのが女性らしい成功のありかたなのだから、それ以外の分野での活躍に壁があっても不当と思うな」という性差別の構造を公的にプッシュすることになる。
そして、これが当たり前に横行すると、容姿とセックスアピールに男性目線基準で劣った女性に対して、女性のめざすべき姿に合っていないのはダメだと抑圧をかけることになる。全然セックスアピールで評価されるような場でない世界で生きようとしている者にまで、かわいい女というだけで、勝手に性的目線で見られることがあたりまえになってしまい、当人を傷つけることにもなる。

このへんのところがよく整理されていないために、役所や世間一般の側では、性的なことを喚起するものは「いかがわしい」から叩かれた、といったズレたまとめかたがされたケースが多かったのではなかろうかと感じる。うなじを見せると男子生徒がムラムラするから髪を下ろしなさいとするバカ校則と同じ抑圧を招きかねない。

黒人のキャラが複数いて、中には筋肉ムキムキをデフォルメしたキャラがあっても、別途、非力なインテリキャラや商売人キャラがいて、それぞれ対等に個性を発揮していたら、何も問題はない。
それと同様に、多くの男性にも共通するいろいろな個性を持った地味顔女子やユニセックス装束女子などのキャラに混じって、他と対等なひとつの個性として、セックスアピールをデフォルメした美少女キャラがあったとしても、何も問題はないのである。

また、フィットネスジムのキャラクターに筋肉ムキムキにデフォルメした黒人を使っても何の問題もないだろう。その場の特有の価値にそった表現なのだから、その場と無関係な非力な黒人に対してそれを手本として強いるようなことはない。
同様に、例えばメードカフェのキャラクターにセックスアピールをデフォルメした美少女キャラを使っても何の問題もないのである。やはり、その場の特有の価値にそった表現なのだから、その場と無関係な女性に対してそれを手本として強いるようなことはないからである。

「ミスコン」がアウトな理由

このように考えると、「ミスコン」がなぜダメなのかがわかる。
アメリカで、キャンパスなり町なりの黒人の代表を選ぶと称して、筋肉比較や力比べやダンスや音楽芸の競争を、白人主体の審査者たちの前でやったりしたら、アウトもアウト。大炎上間違いないだろう。それと同じようなことをやっているのがミスコンなのである。
いろいろな人種の人も含めて力比べの大会をしたら、仮に事実上黒人が参加者のほとんどだったとしても、何も叩かれることはないだろう。そういうことを自らアピールしたい人だけが集まってやっているだけだから。
同様に、「セクシー美人コンテスト」を生物学的には男性である人も含めてやったとしても、何も問題はないのである。容姿やセックスアピールを自らアピールしたい人だけが集まってやっているだけだから。書道のコンテストや弓道の大会と何も違いはない。
それを「ミスコン」にすると、「ミス〜」と称するキャンパスや町の代表を選ぶ以上は、およそ女性として生まれたならば、少なくとも必要条件としては、容姿で男性に評価されることを目指さなければならないという規範を、その集団のすべての女性に押し付ける意味を持つのである。

エマ・ワトソンのノーブラ写真はOKな理由

そういえば、エマ・ワトソン氏が自身のノーブラの写真について、「体を見せ物にしながらフェミニストを名乗るのはおかしい」「偽善的だ」などと批判を受けたことに対して、「フェミニズムの本質は、女性に『選択肢を与える』ということ」「フェミニズムは、他の女性たちを叩いたりする棒のようなものではありません。フェミニズムの本質とは、自由であり、解放であり、平等なのです」と反論している。

全く同感である。フェミニズムとは、女性が、自らしたい格好をして夜道を歩いても危害を加えられない社会を目指して闘ってきたはずである。そんな運動の中から、「女のくせに、はしたない格好をしてはいけません」と言う保守派の説教屋やバカ校則と同じ抑圧が生まれていいはずはない。

このワトソン氏のように主張する者が、公的機関がセックスアピールをデフォルメした美少女キャラを使うことを批判したとしても何も矛盾はない。
それは、公的機関がムキムキの筋肉をデフォルメした黒人キャラを使うのを批判することと、黒人個々人の中に、筋肉美を個性としてアピールする人がいてもいいことの間に、何も矛盾がないことと同じである。
黒人の極端なステレオタイプ化を批判したら、黒人スポーツ選手も黒人ミュージシャンも自己のプロフェッションの才能を誇ることができないなどという馬鹿なことはないだろう。
それと同様に、容姿のいわゆる「女性性」の極端なステレオタイプ化を批判したとしても、容姿のいわゆる「女性性」を自ら選んだ個性として誇る人や楽しむ人がいたとしても一向にかまわないのである。

もちろん、黒人の卓越したスポーツ選手やミュージシャンが、その卓越性を見せつけることによって、そうした個性に本来合わない黒人の少年少女たちに対して、もし他に道が比較的開かれた白人の少年少女なら選ばない道を強いてしまうということはあるだろう。そのために要らぬ苦しみを経験させてしまうかもしれない。最初からそういう道を選ばなくても、そのような才能のない自分に劣等感を抱かせるかもしれない。
同様に、モデルやアイドルなどで、卓越した「女性性」の個性を見せつける人が、そうした個性に本来合わない少女たちに対して、もし他に道が比較的開かれた少年たちなら選ばない道を強いて、そのために要らぬ苦しみを経験させてしまうかもしれない。最初からそういう道を選ばなくても、そのような才能のない自分に劣等感を抱かせるかもしれない。
もしそうした危険性に十分に自覚的でないならば、そして同じ被差別カテゴリーの者をひとしなみに自分と同じ個性の基準で裁断して見下したりするならば、それは差別の構造に加担する者として批判していいだろう。
(もっとも、本当に卓越した個性を心から楽しんでいる者はそんなことはしないものだし、それを見る方も抑圧を感じたりはしないものだ。エマ・ワトソンに張り合って、真似をしなければと強迫観念に駆られる一般女性などいそうにない。)

他分野の女性差別構造を利用してきたことが女性差別

さてそこでセックスワークの件である。
冒頭述べたとおり、アメリカのスポーツ・エンタメ界が黒人差別の社会構造を利用して、多くの人たちを傷つけてもうけてきた闇深い世界であったことと同じ構図が、セックスワークの業界と女性差別についても成り立つ。

差別のせいで他の一般の業界で活躍することにハンデがあるために、黒人の人たちがスポーツ・エンタメ界に流れてきたのと同じ理由で、多くの女性たちがセックスワークに流れてきた。
いわゆる「女性性」を必要としない分野で、女性であるだけでハンデがあるならば、「女性性」を活かす方向に活路を求めることは自然である。

しかも、もともとかつてのアメリカのスポーツ界やエンタメ界と同じで、日本のセックスワーク業界は、反社会勢力が関与している分野も多く、同様に劣悪な労働条件や人権無視が横行してきた。
もし、別の一般の分野で、女性であるがゆえのハンデがなくて、本当に自分にとってその仕事が合うと感じて自ら望んで選んだ人ばかりがセックスワーク業界に来ているならば、限られた人手をあまりに邪険に扱うというわけにはいかないだろう。世間一般に女性であるがゆえのハンデがあるがために、この業界の労働市場が供給過剰になり、労働条件を押し下げているという事情がある。
また、劣悪な労働条件や人権無視も、女性という差別された存在だから見逃されてきたという側面もあるだろう。

こうした構造を利用して、おそらく男性が支配的であろう業界の資本家や、男性消費者が利益を得る構図は、女性差別と言うほかない。
その意味では、モデルもアイドルも同じであり、セックスワークはその問題が極端に現れているだけである。

セックスワーク業界をなくすべきなのか?

では、セックスワーク業界がこれほど女性を虐げているならば、セックスワークをこの世からなくしてしまうべきなのか。
アメリカのスポーツ・エンタメ界は、他の一般分野での黒人の活躍にハンデがあって黒人たちが流れ込んでくることから利益を受けて成り立っており、過去にはそこで黒人が虐げられていて、今でもその闇はなくなっているわけではない。実に許すまじきことである。
では、スポーツ・エンタメ業をなくしてしまうべきなのかと言えば、誰もそんなことを考えはしないだろう。

スポーツ・エンタメ業界には、自らの個性の発揮としてやりがいを持って仕事をしている黒人がたくさんいるだろう。彼らが、自らの人生における自らの個性の活かし方について、他者の自由の侵害なく自由に自己決定することに対して、外から禁圧することは許されるものではない。保護のための善意であっても、そこに「黒人だから」という理由が入っていたならば、それは人種差別であると批判されるべきだろう。

日本のセックスワークの世界にも、同様に、自らの個性の発揮としてやりがいを持って仕事をしている女性がいる。彼女らが、自らの人生における自らの個性の活かし方について、他者の自由の侵害なく自由に自己決定することに対して、外から禁圧することは、やはり許されるものではない。保護のための善意であっても、そこに「女性だから」という理由が入っていたならば、それはやはり女性差別であると批判されるべきだろう。

セックスワーク自体を悪く見るのは職業差別と抑圧をもたらす

商品として身体を売ることが問題なのだろうか。
プロレスやプロボクシングも、セックスワーク以上に身体を苦痛とリスクにさらすことを商売にした興行である。しかも、かつてはそれこそ黒人選手が虐げられてきた闇の深かった分野である。しかし、プロレスやプロボクシングを禁止すべきだという声は聞かない。
いや自分はプロレスやプロボクシングも禁止すべきだと思うと言うなら、例えばサーカスの曲芸ならどうか。

それでもなお、セックスワークは違う何か特別の悪いものがあるとみなすならば、それは性にまつわることがらが、他のことより何かいかがわしい、価値の劣ることとする保守的な性観念による以外にない。
左派・リベラル派の立場に立つはずの者がこうした保守的観念を強化することに加担して、誰も傷つけることなくそこからはみ出す者に対する抑圧や、セックスワークへの職業差別を存続させることにつなげてはならない。
特に、これに関しては女性側に偏した抑圧があり、これ自体女性差別の典型例となっている。男性が性に奔放なら武勇伝になるのに、同じことを女性がすると叩かれるだけという風潮があるし、女が性的な欲望を口に出すのははしたないという観念のせいで、望みをかなえるつもりで、デートレイプが起こったり、セクハラが起こったりする。
「イヤよイヤよ」はイヤでしかないということが徹底されるためには、性にまつわることがらが価値的に中立化されなければならない。

(もちろん、性にまつわることの価値中立化と言っても、現に差別偏見が残る世間に対して当人の意志と無関係に在日コリアンや被差別部落出身者の出自ばらしをすることや、同性愛者であることを公表することが差別的加害であるのと同様、現に差別偏見が残る世間に対して当人の意志と無関係に女性の性的積極性をばらすとか、セックスワークの経験をばらすとかいうことが差別的加害であることは言うまでもない。念のため。)
(さらに念のためであるが、性にまつわることの価値中立化と言っても、それに対して忌避感があったり、恥ずかしく思う個性もまた個性として尊重されなければならないことは、言うまでもない。性にまつわることを肯定的に見る女性に対しても、それとは関係のない場面で当人の意図と無関係に性的まなざしを向ける言動をしたらセクハラになることも言うまでもない。)

性交の特別視・神聖視はおかしい

他方、性交の特別視・神聖視にも意味はないだろう。
なぜAVの性交は禁止されるべきで、18歳の少女プロレスラーが、中高生も観戦できるデスマッチの試合で、男性プロレスラーに傷だらけの血だるまにされる興行がOKなのかに、合理的説明はつきそうにない。(ちなみに私はエグい興行だとは思うが、訓練されたプロである当人の自己決定には文句をつけるつもりは全くない。)
AVでは、性交のないものの方がキワモノの度合いが強く、出演したくない人が圧倒的に多い内容になるようである。また、ヘテロセクシャルのAV女優には、男性と性交するよりは、いわゆる「レズもの」の方が抵抗感がある者もいるだろう。

また、性交を経験していないことが価値が低いようにみなす観念がどれほど多くの人を苦しめているか。性交のない性愛がまがいものであるかのような観念も人を不自由にしている。
これについては、童貞スティグマによる自己否定感の問題については自分の若い頃を思い出せば大いに強調したいところではあるが(笑)、むしろこうした観念が女性側に、人生にもかかわる多くの実害をもたらしてきたことの問題が重要である。

当事者である労働者の闘いと連帯のために日なたにさらせ

さて、ではどうすればよいのか。
冒頭に述べた通り、もともと闇深かったアメリカのスポーツ・エンタメ界は、関係者の労働組合運動の闘いをはじめ、多くの人たちの多年の努力によって状況が改善されてきた。それでもなお問題は残っているので、人種差別を許さない闘いも、労働条件を改善する闘いも続いている。
そもそもの根源にある社会全体の黒人差別も、多年にわたる黒人たち自身の闘いと、それに連帯する多くの民衆の取り組みによって、改善の努力が続けられてきた。おかげで昔よりは、さまざまな職種での活躍が黒人にも開かれるようになった。
それでもまだまだ人種差別は強く残っているので、 BLM運動はじめ、差別をなくすための闘いは今も続いているのである。

同様に、セックスワーク業界で女性が虐げられる状況も、根本的には、社会全体の取り組みで、あらゆる分野において、女性であるがゆえのハンデや心労が撤廃・解消されることによって解決の基盤が作られる。と同時に、当事者であるワーカーはじめとする業界関係者と、それに連帯する広範な民衆の取り組みによって、業界における労働条件の改善や人権保障、女性差別の解消を進めていくことが展望される。
中でも、当事者の労働組合運動が組織され、闘っていくこと、そしてそれに他分野の労働運動も我が事として連帯していくことは重要である。そして、こうした闘いが政治闘争と結びつくことで、誰も泣く者がいなくなるための法的な条件整備を進めていくべきだろう。
そのためには、法的にすべてを日なたにさらし、反社会的勢力が入り込む余地のない「表通り」の近代的業界にしなければならない。

AV業界も、犠牲者自身が声を上げた闘いに市民が呼応し、多くの関係者の努力がなされた結果として、以前の無法地帯の状況と比べると大きく前進してきたようである。しかしまだまだ課題は多いと思うし、資本主義経済のもとでは闘いの手が抜かれるとたちまち弱者の側の権利は侵食されていく。
それゆえ政治は、抑圧現場の当事者が、嫌なこと、おかしなことを拒絶する自由と、正当な権利とに目覚めて立ち上がることを鼓舞し、手を差し伸べるものでなければならない。

そしてなにより、政治が、倒産や失業がなく、多くの分野で引く手あまたな雇用状況を作り、セーフティネットを充実させることこそ、女性たちが意に反してセックスワークに流れることを防ぐ最大の策である。

※ エマ・ワトソン氏の記事をご教示くださった知人に感謝します。


松尾 匡
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