読者のかたからのご論評におこたえする②——国債はお金の裏にあるもの

前回の投稿から、拙著の読者のかたからいただいたご論評におこたえしています。
詳しい経緯は前回の投稿をご覧ください。近況や、最近公開した仕事の紹介もしていますので、未読のかたは、ぜひお目通しください。

おこたえするご疑問全体は、次のとおりです。おこたえをすでに投稿ずみのものにはリンクをつけていますので、ご関心にあわせて確認してください。


・低金利の期限なき継続は弊害を生む。この間の円安から極端な物価上昇の推移を見ればわかる。国際的な金利の格差(日米の差)は一層の円安に拍車をかけ、輸入物価上昇で人々に負担をかけた。
・低金利は設備投資を増加させなかった。



・国債の借り換えは帳消しにすることではない。それに、国債はいくら借り換えても、趨勢としては債務が増え続けることに変わりはないはず。
・国債の日銀保有が半分以上になることの異常さは問題。国債市場の市場効果を歪める。
・松尾氏等は、利払いをほとんど無視されるが「国債費」(利払い)は相当な金額になっていることも批判せざるを得ない。


「経済が成熟した先進国では設備投資のために借金する動きは停滞してしまう。世の中に貨幣が出なくなる。それでは困るので、貨幣を出回らせるためには、政府が借金するか消費者が借金するかしかない」とされるが、こういう論法では、国に限らず、借金まみれを奨励するようになってしまう。


好況時の過熱化と不況時の総需要の落ち込みの加速をコントロールするのは政府・中央銀行だとして、そういう役割を計画的(正確な予見)に行えるのか。景気加熱時やインフレ対応については概して楽観的な見方が支配的で、デフレマインド対応に偏重し過ぎていると思える。



松尾氏が「そういう技術革新というのは『成長戦略』で人為的に引き起こせる類いのものではない」とアッサリと片付けられるのは、問題だ。今後の展望を天に任せるのは良くない。公的プロジェクトとして基礎研究の次の段階レベルに方向性を示すくらいの積極性が必要ではないか。



反緊縮の経済学の考え方は、経済学そのものが根底から立て直さなければ議論できない大転換であり、世界の趨勢はそこまではいっていないのではないか。

今回は、上記の②におこたえします。

国債が増え続けていいのか・日銀に持たせていいのか

ご論評

・国債の借り換えは帳消しにすることではない。それに、国債はいくら借り換えても、趨勢としては債務が増え続けることに変わりはないはず。
・国債の日銀保有が半分以上になることの異常さは問題。国債市場の市場効果を歪める。

おこたえ

これが公的コントロールの「管制高地」だ

国債の日銀保有が半分以上になることは、全く異常ではありません。

国債市場とはここで何を指しているのでしょうか。中央銀行は、経済を安定させるために、民間の銀行との間で国債の売買をして、銀行間金利をコントロールしています。このコントロール力は、中央銀行が保有する国債が多いことで失われるものではなく、むしろたとえ国債価格が下落しても介入の手玉が尽きないという意味ではコントロール力は増していると言えます。
その意味では、逆に、民間主体による私的利潤を追求する国債取引が、そうした公共的コントロールの妨げになる可能性のほうをこそ問題にしないといけないと思います。それが「国債市場の市場効果」だとすると、それはないほうがいいということだと思います。

昔、労働者権力ができたとしても資本主義経済を一気に廃棄するのは難しいという場合、まずは銀行とか鉄道とか、経済の要になるところは公的に押さえようという議論があって、そのような分野が「管制高地」と呼ばれていました。こういう管制高地論というのは、私のような世代の者よりよくご存じのことと思いますが、社会民主主義系も共産主義系もみんな言っていたと思うのですが、いつの間にか全然聞かれなくなりました。どうしてなんでしょうかね。
全市場金利に影響するアンカー金利を、国債取引でコントロールする市場こそ、「管制高地」の筆頭だろうと思います。日銀の国債保有が進むことは、資本主義経済が次の社会システムの萌芽を孕んできたことのひとつの現れだと考えられます。それを資本主義的に歪められた自然発生的な形態から意識的に救い出すのが課題なのだと思います。

国債は借り換えし続けるものである

さて、まず国債の大半が日銀によって持たれている状態を前提して言えば、そもそも中央銀行の持つ国債は事実上借り換え続けてずっと維持されるのが原則です。日銀は国の機関ですから、意味なく返せと言ってくることはありません。インフレ抑制のために必要な分が減らされるだけで、それは日銀の持つ膨大な国債の一部ですみます。

日銀ではなく、普通の民間の銀行が持っている国債についても、基本的には話は同じです。銀行が民間企業に貸付しようと思ったら、貸付先の預金に無から数字を書き込む信用創造をすればいいので、国から国債の分のお金を返してもらったら民間企業への貸付資金が増えて助かるという制約関係があるわけではありません。相場の利子がとれるかぎり、国債を持ち続けたほうが得です。なのでまず借り換えに応じます。

そうは言っても民間の銀行のことですから、借り換えに応じないのはたしかに自由です。それがどうしても心配なら、日銀が銀行から国債を買い取ればいいわけです。(本来なら、政府支出の段階で、発行した国債を日銀に直接買い取らせるのがすっきりしていいですし、理想を言えば国債というものをなくして、国の作ったお金で直接政府支出するのがいいのですが。)
ちなみに、2022年の一年間では、政府債務は28.8兆円弱増加しているのに対して、日銀は40.9兆円の国債保有を増加させています。

世の中のお金のバックには企業への貸付か国債がある

趨勢的に国債残高が増え続けること自体は当たり前のことで、そうなっていない国はまずないでしょう。問題はそれが返せるかどうかではないのです。

世の中に出回っているお金のほとんどは銀行預金です。それはどうやって作られているのかというと、ひとつは民間企業に貸付をするときに、その企業の預金口座に貸付資金を書き込んで作られます。もうひとつは、国債を発行して政府支出したときに、政府支出先の業者の預金口座に支払い金額を書き込んで作られます。
ほかにもあります(消費者への貸付や企業からの外債の買い入れなど)が、少ないので簡単化のために無視すると、こうやって銀行部門が企業への貸付債権と国債を持った分、銀行預金が作られて、それが取引先の企業の預金や労働者の預金に流れていって、お金として世の中に出回ることになります。国債の一部は銀行から日銀に買い取られて準備預金に換わりますが、結局、世の中に出回っているお金の裏には、民間の銀行か日銀の持っている、「企業への貸付債権か国債」があるということになります。

よくMMT系の人たちが、「政府の負債は民間の資産」というような言い方をします。これは間違いではないのですが、こんな言い方をすると、聞いた人は、どこかの大金持ちが個人資産として持っている国債を思い描いてしまいます。そうではなくて、国債を銀行が持つことによって、私たちの銀行口座に流れてくる預金が作られているわけで、その預金を思い描くのが「民間の資産」の正確なイメージです。

お金を借りていた企業が銀行にお金を返すと、その企業の預金がその分消えて、銀行の持っていた貸付債権が消滅します。同様に、徴税によって国が国債のお金を返すと、納税者の預金がその分消えて、銀行部門の持っていた国債が消滅します。どちらも、世の中に出回っていた預金というお金がその分消えることになります。

世に出回るお金が増えるかぎり、お金のバックの企業への貸付と国債の合計は増える

さてそうすると、もし経済が成長し続けるならば、それにあわせて世の中に出回るお金も増えなければなりませんので、その裏で、銀行部門の持つ、企業への貸付債権か国債が増えなければならないことになります。
もし全く経済が成長していなくても、世の中には人々の意識から漏れて眠ってしまう預金が必ず発生します。それに、外注が進んだりして世の中の分業が深化していきますので、経済全体での最終生産が不変でも、その各段階の生産のための取引の金額は時間とともに増えていきます。それゆえ、やはり世の中に出回るお金は増え続けなければなりません。
その裏で、銀行部門の持つ、企業への貸付債権か国債が増えなければならないことになります。

さらに言えば、家計や企業が資産の溜め込みを図って国債を買った場合、それは究極には銀行から買うことになりますので、その時点で預金が減ります。なので世の中をまわすのに必要なお金を維持しようとしたら、やはり、企業への貸付債権か国債が増えなければならないことになります。

だから、「趨勢としては債務が増え続ける」ことはどうしても必要な、当たり前のことなのです。

国債が増えすぎるとよくないのは、お金が増えすぎるとよくないから

問題は、経済全体の生産能力を超えて世の中に出回っているお金が増えすぎてしまうと、需要超過インフレがひどくなることをはじめ、いろいろ不都合が起こってしまうことです。そうなると、国債発行で世の中に出回る預金通貨を増やす分よりも、徴税で銀行や日銀の持つ国債を消して世の中の預金通貨を減らす分のほうが多いようにして、経済全体の購買力を減らさなければならなくなります。
あわせて、民間企業への貸付で新たな購買力が作られることも、抑えなければなりません。

なので、この点の調整がスムーズに行われるような、信頼性の高い仕組みを作ることが重要になります。ご評論の中で好意的に検討いただいている私の提案は、その点にかかわるものですが、のちの投稿で言及いたします。

国債の利払いの財政負担問題

ご論評

・松尾氏等は、利払いをほとんど無視されるが「国債費」(利払い)は相当な金額になっていることも批判せざるを得ない。

おこたえ

利払費は減っていたしGDP比は低い
まず、国の会計に載っている利払費は、1990年代の10兆円余がピークで、今はそこまで多くないという事実があります。利払費のGDPに対する比率は先進国の中でも低い部類です。
しかも、2015年度から2021年度までは利払費が毎年減っていました(財務省資料では2022年度は前年度より増えているが、この年度だけ予算額である)。

日銀への利払いは戻ってくる
そのうえで、国債の半分以上は日銀が持っています。政府は日銀に国債の利払いをしますが、日銀はもうかったお金は「国庫納付金」として政府に納める決まりになっていますので、結局「いってこい」で、払っていないのと同じです。例えば日銀の2021年度の決算では、1兆1200億円余の利払いを政府から受ける一方で、1兆2600億円弱の国庫納付金を納めています。納める方が多くなっています。国の会計に載っている利払いは、この分差し引いて見るべきです。

国債の利息は期限がくるまで一定
この利払いが、今後、市場金利が上昇したときに財政を圧迫することを心配する声があるようですが、まず、すでに世の中に出ている国債の利息は一定額です。今後市場金利が上がっても増えることはありません。

しばらくは市場金利が上がっても借り換えでの利払いは減る
期限がきた国債を借り換えしたら、そのときの市場金利に合わせて利払いも増えることになりますが、今述べた通り、日銀の持っている国債については「いってこい」ですから関係ありません。
では、民間の持っている国債が期限がきて借り換えした場合ですが、実は、日銀は期限の短い国債を優先して買っていますので、民間には、昔の、まだ金利が高かった頃に発行された期限の長い国債が偏って残っています。ですので、今後金融緩和の出口に入って、多少今よりも金利が上がっても、昔のすごく高かった時代の金利に追いつくまでにはまだまだありますので、しばらくは借り換えによってかえって利払いが減ることになります。

利子課税を利払い原資にする策
そもそも論としては、不況でインフレが足りない間は、また国債を発行して利払いにあててもいいわけです。
インフレを抑えなければならない時期になったら、そんなことをしたらインフレを加熱させるのでだめですが、それほどまで好景気のときには、税収が増えて利払いが容易になっているはずです。
それでも税収が足りないのが心配なら、利息一般に累進的な課税をする仕組みを作っておけば、国債以外の利子総額のほうが国債の利子総額よりもはるかに多いに決まってますから、どんなに金利が上がっても国債利払いの原資は生まれます。もともと金利を上げるのは借入コストを上げて景気を冷やすのが目的ですから、このような税制を導入すればその機能がますます高まるのでいいのです。