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養老孟子の「バカの壁」が子育てのバイブル

「バカの壁」がなぜ育児をするうえで私に必要なのか

2003年に出版され、人に行っちゃいけないとされている「バカ」でいきなり始まる題名や、当時の常識をザクッと切る内容で大きな話題になった「バカの壁」。私にとってこの本は子育てのバイブル、育児書です。

そもそもはじめは育児書として読んだわけではありません。読んだ後に「ここに書かれていることを基準に人を育てたらきっと大丈夫だ」と思ったのです。

いろんなことを言っているこの本から、自分の都合よく得た育児の指針は「個性は心(内面)ではなく身体に宿る」ということ。そして「心は個性を追求するよりも共通の認識を持つことの方が大事で、世の中の共通了解(いわゆる常識的なこと)を教えることが親の役目」ということでした。

脳は共通性を追及する。一方体は親子ですら完璧に異なる個性を持つ

私たちが学生だった頃、「個性」というものがそれまでよりも求められるようになりました。皆と同じじゃだめだ、他の人にはない個性が社会に求められている、まして国際社会においては尚更だ、といった具合です。

養老孟子さんは解剖学者です。たくさんの解剖を行ってきた著者は「個性は内面ではなく身体に宿る」と言います。体は絶対的な個性を持っているので、親と皮膚の移植すらすることができません。

一方で心(内面)をつかさどる脳は、理解しあい、共通の認識を持つということを求めています。そしてその認識が社会や文化に反映されています。

本来、意識というのは共通性を徹底的に追及するものなのです。その共通性を徹底的に確保するために、言語の論理と文化、伝統がある。

宇多田ヒカルはある意味個性的ではない

私が最も多感だった頃、驚きと尊敬、憧れをもってほぼ100%のティーンエイジャーに受け入れられたのが宇多田ヒカルさんでした。宇多田ヒカルさんを知って海外に興味を持った人や、インターナショナルスクールの存在を知った人もたくさんいました。私もその一人です。

当時、宇多田ヒカルさんの境遇、紡ぐ歌詞、アメリカの香りがする音楽のすべてが「個性」なのだと理解していました。

そもそも個性とは何なのでしょうか?デジタル大辞泉によると以下のように定義づけられています。

個人または個体・個物に備わった、そのもの特有の性質。個人性。パーソナリティー。「個性の尊重」「仕事に個性を生かす」「個性が強い打撃フォーム」

宇多田ヒカルさんの場合、育った環境が他の日本人と大きく異なりました。でもそれは彼女特有の性質ではありません。むしろ彼女の歌詞にこれほど多くの人々が共感するのは、彼女が普遍的な「共通了解」を極めて高いレベルで持っているからだと思います。

宇多田ヒカルさんはきっと、多くの人の気持ちに共感し、それらを多くの人が共通して持っている論理に翻訳し作品にすることができる、類まれな人なのだと思います。

世の中の見方や物事への対応、それぞれのキャパシティには個性が宿る。でもそれは共通の認識があって初めて発揮されるもの

世の中で起こる事象に対する反応や、キャパシティは人によって様々です。経験してきたことを内面に反映し、それをまたアウトプットする際はやはり個性として表現されます。

でもこの個性は、共通了解があって初めて発揮されるものです。

現在私が住む香港でのデモ活動がかなり激しくなっており、家から出られないという人も増えています。でもデモ隊が去った翌日の朝、ゴミの山を清掃をするおじさん、おばさん。昨日までバトルフィールドだった場所に転がるがれきの山を飛び越えながら、急ぎ足で通勤していく人々がいます。

私には、彼らが香港の人々が持つ共通認識に自信を持っているように見えます。「デモ隊は激しくなっているけれども、一般の人をわざわざ巻き込むような事や、デモの混乱を利用して悪事を働くようなことはしない」というゆるぎない信頼がそこにあるのです。これは香港において共通了解がいきわたっている証拠だと思います。

人に対して親切な判断をし、良い社会を作る子供を育てたい

私にとって子育てで一番大切なことは、人に対して親切な判断をし、良い社会を作っていける子供を育てることです。「バカの壁」では良い社会について以下のように語っています。

複数の解を認める社会が私が考える住みよい社会です。……人生でぶつかる問題に、そもそも正解なんてない、とりあえずの答えがあるだけです。

人が目標に向かう道は一つではありません。多くの人が通り舗装された道を通ることでは、自分の目標にたどり着けないことがほとんどです。道のない道を行く勇気と決断が、自分の人生を切り開いていきます。

そんな道の途中でぶつかる問題に、正解はありません。そして他の人が行く道なき道にも正解はありません。私の子供を含め、子供たちには他の人が行く別の道に理解を示せる人になってほしい。なぜなら、他の人に共感することができてこそ、本来その子たちが持つ個性を発揮する場を社会の中で発見することができるのだと思うからです。

最後にアドラーという心理学者が定義した幸せとは「他の人を幸せにする」ということでした。他の人を幸せにするには、他の人を理解しようとすることが大切です。つまり、自分が幸せになるためには養老孟子さんの言うように、共通の了解が必要だと思うのです。

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