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【1000字】鷹の羽根

 幼い兄妹が森を駆け、一心不乱に町を目指している。たったいま、大嫌いな継母のスープに毒薬を盛ったばかりだ。継母がそれに口をつけたところは見届けていない。兄と妹、どちらが先に怖気づいたのかわからないが、どちらかが先に恐怖し、もう一方も伝染して恐怖したという顛末だった。
 町に着くと、二人はすっかり途方に暮れてしまった。継母の死をあれほど願っていたはずなのに、いまでは継母が無事であることを祈っている。どこに逃げても、結局はあの我が家へ帰る運命にあるのは、幼い二人にとっても自明のことだった。
「お腹は空いていないかい」
 路地で座り込んでいると、一人の男が話しかけてきた。物腰の穏やかな、いかにも優しそうな紳士だ。兄妹は顔を見合わせ、首がもげそうな勢いで頷いた。
 男は兄妹を店に招き入れると、給仕に命じて豪勢な料理を持ってこさせた。こんな御馳走は見たこともない。二人は犬のようにがっつき、料理をひとつ残らず平らげた。
 さて、兄妹が食事を終えると、男はそれまでの態度を一変した。二人に金を払えというのだ。「俺は腹が空いていないかと訊ねただけで、奢るとは言っていない」というのが男の言い分だった。店と男はグルのようだった。
 当然、子供の兄妹に持ち合わせなどあるはずもない。「払えないのなら代わりのもので払ってもらうしかないな」と男は凄んだ。怯えて泣き出した妹の腕を、男の仲間が乱暴に掴む。兄は大声を上げて突進したが、大人の男たちに腕力で敵うはずもなかった。
 そのとき、店の窓を破り、大きな鷹が弾丸のように飛び込んだ。
 仲間たちが叫ぶ間もなく、鷹は妹の腕を掴んでいた男の目を嘴で貫いた。そのまま天井の辺りで翼を翻し、今度は爪で別の男の目をえぐる。悲鳴が響き渡る。男たちは銃を取り出し、飛び回る鷹に向けてめくらめっぽうに引金を引く。
 兄は我に返ると、腰を抜かした妹を立たせて店を飛び出した。男たちは追ってこず、銃声と鷹の鋭い声が聞こえるだけだった。
 二人は町を脱し、森の中の家へと帰る。我が家の安穏とした佇まいに変化はないが、継母の姿はどこにもない。食卓には兄妹と継母のスープが湯気を立てたまま、まだ手つかずの状態で残されていた。
 妹が、床に落ちていた見事な模様の鳥の羽根を拾い上げる。二人はぎょっと顔を見合わせ、あの鷹の力強い翼を思い出す。それから、生まれて初めて自分たちの行いを悔いながら、窓辺に張り付いて継母の帰りを待ち続けた。
 
 


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