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【1000字】ホワイトアウト

 息が詰まりそうな駅の雑踏で、わたしは顔も知らない友人を待っている。手には彼女から届いた手紙。わたしの退院を祝う言葉と食事の約束が書かれている。その青い便箋が、二人が出会うための目印だ。
 彼女はわたしと同じ心の病気を抱えている。
 わたしたちが文通を始めたのも、医師による勧めがきっかけだった。顔も知らない誰かと手紙を交換することが、治療の一環になるという。実際、わたしはこれまで彼女とのなにげないやり取りに大いに救われたものだ。だから今日、勇気を振り絞って人混みに立っているのである。
 しかし、約束の時間を過ぎても彼女は現れなかった。
 腕時計を覗くたび、わたしは胸が苦しく痩せていくのを感じた。あぁ、またこの兆候だ……。立っていられなくなり、その場にうずくまる。視界が白く濁り始めていく。それでも彼女は現れない。「どうされましたか」と駅員に訊ねられたが、わたしは返事が出来ず、黙ってその場から逃げ出した。

「わたしたちは似ているね」と彼女は手紙に書いていた。
 いまではその言葉が嘘だったのだとわかる。
 だって、本当に似ているというのなら、わたしが約束をすっぽかされてどんな気持ちになるか、彼女にもわかるはずだ。わたしが今日、どれほどの勇気を振り絞ってここに来たのか、わかってくれているはずだった。
 また、わたしは人に裏切られたのだ。

 家に戻り、ガスコンロで手紙を焼いたあと、わたしは洗面台を覗いてみた。ひどい顔がそこにあった。息をするのもやっと、という感じで、目は暗くこちらを見つめている。
 いっそ死んでしまおうか、と思ったとき、鏡の中の女が微笑んだ。
「ごめんなさい、遅れちゃって」
 わたしは言葉に詰まって凝視した。彼女はバツが悪そうに首を傾げる。
「あなた、お手紙の人よね? 目印はある?」
 慌ててコンロに戻るが、あるのは燃えカスばかりで、あの綺麗な青色は跡形もなかった。わたしは泣きながらそう説明し、彼女を疑ったことを心から詫びた。
 鏡の中の彼女も、泣き笑いのような表情を浮かべていた。
「心配しないで。目印なんてなくてもちゃんとわかるよ。だってわたしたち、本当にそっくりだもの」
 胸に溢れるこの気持ちを言葉にしたかったのに、息を吐くたび鏡面は白く曇って、彼女の姿を曖昧にした。何度こすっても曇りはまるで雪煙のように広がり、わたしを再び吹雪の真っ只中に遭難させる。
「また会えるわよ」と誰かがわたしの口を借りて言った。




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