見出し画像

【1000字】狂おしい口もと目は正気

 薄々気づいてはいたが、この町の住民は気が狂っているらしい。

 今朝、公園の広場で猫の死体が見つかった。その数、十体以上。どの死体も腹を裂かれ、綺麗に内蔵をくり抜かれていた。昔読んだ、猫の心臓を食べる怪人が登場する小説を僕は思い出す。
「知ってる。村上春樹でしょ」
 そう話す彼女の口もとは血にまみれている。彼女だけではない。レストランの客の全員が同じような姿だ。みんなで猫の臓物を食べたのだ。いまさらそんなことでは驚かない。この町の住民はみんなおかしいのだから。
「猫を殺すなんてひどいよね」彼女は赤い口をへの字にして言う。「きっと、頭のおかしい人がやったんだよ」
 どういうわけか、僕だけがこの町で正気を保っているらしい。しかし、それを知られればどんな目に遭うかわからないので、僕は必死に気狂いのふりをする。口の周りをケチャップで塗りたくってみたりする。「なにしてるの?」と彼女が心底不気味そうに訊く。

 僕は彼女とともに帰宅し、ベッドでささやかな一戦を交えた。彼女と結婚したいと僕は思う。狂っていない彼女と幸せな日々を送りたいと願う。でも、それは叶わない夢。正気の彼女はもういない。
 キスをすると、乾いた血が口の中で臭った。
 せめて僕も一緒に狂っていれば、どれだけ幸せだっただろう?

 彼女が眠ったあと、僕はベッドを抜け出し、ゴルフクラブを握った。
 新しい野良猫を探しに行くのだ。
 霧がかった夜の彼方で鳴き声が響く。僕は狩人さながらに獲物との距離を詰め、足許に飛び込んだ黒猫めがけて思いきりクラブを振り下ろす。
 そうして僕は猫の死体を公園に並べていく。
 本当はこんなことしたくない。でも、屠畜と同じで、誰かがやらなければいけない仕事なのだ。そうしなければ、人々が次になにを食べ始めるか知れない。次は犬かもしれないし、人間かもしれない。この町の住民はみんな狂っているのだから。

「そこでなにをしている」
 ライトに照らされ、僕は警官に組み伏せられる。署に連行されると、そこにいる警官たちはみな口を血で汚していた。まだ新しい猫の血だった。
「なぜ猫を殺した。狂っているのか、お前は」
 僕はそのとてつもなく不当な言葉に唖然としてしまう。
 やがて連絡を受けた彼女が署にやってくる。
「どうしてあんなひどいことをしたの。あなたはまともな人だと思っていたのに」
 そう言って涙を流す彼女の口もとも、新しい血で染まっている 。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?