それぞれの正しさ【しほ】

正しさとはなんだろう。
そんな漠然としたことを考えることが最近増えた理由の一つを書こうと思う。

彼ら夫婦とは同僚であり友人であり戦友でもあり、彼らの結婚式でわたしは証人も務めた。
夫はいまだにわたしと同じ会社で、妻の方は退社して違う会社で働いているが、SNSなどで連絡を取りあったり、贈り物を送り合う仲だった。
そう、「だった。」先日までは。
壊したのは妻の方で、ダブル不倫の末2人は離婚。幼い子供2人は不倫した妻が引き取る形で。
わたしはそれを夫である同僚から聞かされるわけでも、妻である友人から聞かされるわけでもなく、わたしの上司から聞かされた。
上司は部下である夫の方から報告を受け、わたしには妻の方から話すだろうからと言われていたらしいが、理由が理由だけに自分から言っては来ないだろう、でも知らないのもいけない、という上司判断で教えてくださったようだ。
ただただ夫である同僚が不憫でならない。
夫婦なら、その当人同士にしかわからない、日々のさまざまなすれ違いや、思い違い、いろいろあるのはわかる。
だけど、周りの人の幸せをぜんぶ踏み躙って裏切って自分の欲望を押し通すのは、やっぱりいい正しくないと、わたしは思う。
それぞれの立ち位置や立場で、正しさの定義や形が違う場合があることもよくわかるけど、なんにも罪がない子供や親を傷つけることは、やっぱり正しくないと、わたしは思う。

そして、妻である友人よ。
つまらんことをすなよ。
きみはもう、わたしの知る貴方ではないのだと思う。
きみはもう、わたしの知らない貴方であって、申し訳ないけれど、友人ではない。
さようなら。
わたしの正しい友人。

もしも直接言ってくれれば、ばかくそと言ってやれたのに、それすらできない。
しれっと旧姓に変えられたSNSのアカウント名を見つけた時の虚しさよ。

正しさとはなんだろう。
難しいし答えは一つじゃないけれど、それでもわたしは正しく生きたい。
罪なき人を傷付けて生きたくはない。

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