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訪問看護ステーション作りました


どうもです。

よぞら訪問看護ステーションという訪問看護ステーションをつくりました。

昨今非常に多くの訪問看護ステーションが乱立し、そして消滅していってます。
そんな中でいち看護師が訪看の立ち上げ?と思われる方も多いかと思います。

いろんな意見もあると思いますが、大田区、蒲田という町で訪問看護をやりたいと数年前から決意してここまで経験を積んできました。ようやくここまできたので、「レッドオーシャンだから」とかいう理由で諦めるのではなく、訪問看護ステーションを通して実現したいものを形にしていきたいなぁと思う所存です。

さて、

今回はステーション名「よぞら」に込めた思いを書き残そうと思います。
まぁ、名前なんてさして重要ではないと思われることもあるかもですが、どんな思いで自分でステーションを作ったのかとか、そういうものを少しでも感じてもらえたらなぁとおもいます。

理由はいくつかあって、綺麗にまとめられないのでいくつか列挙していきます。

イメージは夜と星、月明かり

病院で、訪問看護ステーションで、まだまだ少ない経験年数ですが、たくさんの方たちと関わらせていただいてきました。患者さん、ご家族、看護師、他職種。僕らの働く現場にはサービスの対象かどうかに関わらず多くの人が関わっています。

患者さんとそのご家族についてだけでも、同じ疾患、病気、処置や治療内容はあっても、同じひとは1人もいない。同じ家族は1つとして存在しないのだと強く思うようになりました。病気や疾患は、医療者にとっては数ある患者のうちの1人かもしれないが、本人にとっては一度きりの人生の大きなライフイベントになり得て、生き方や暮らしがそれ次第で大きく変わってしまうほど影響のあるものです。
ひとりひとりの患者さん、利用者さんにはそれぞれの暮らしがある。それを大事にしたい。
そんな思いから、
それぞれの人が持つ暮らしや人生の尊さ・選択の自由さを、空に光る星々とかさねました。
ひとつとして同じ星はないよなと。

夜は不安を象徴している

子どもの頃から夜が怖かったです。
明確な理由は覚えてないですが、暗く、孤独で、一人ぼっちな印象のある夜。誰かがそばにいてくれるだけで1人じゃないと安心できる夜。
そんな、夜に対する不安や心細いという感情を、病気を抱えながら町で暮らす人たち、その家族も感じているのではないか。その不安や心細さを僕たち訪問看護を利用することで和らげることができないか。真っ暗で何も見えない夜を照らす月明かりや星明かりのように、その人にとって光明のきっかけになれたら。そんな思いから夜という言葉を使おうと考えました。

もちろん、僕たち訪問看護ステーションは社会保障という制度によって位置付けられた医療機関です。尊敬する先輩の言葉を借りるならば、より多くの人に医療が届くことが役割であると僕も思います。そのため、医療の専門性を度外視したサービスを提供していくつもりは毛頭ありません。
専門的なサービスに思いを添える。
いつだって忘れてはならないと思っています。

訪問看護といえばひかりとか太陽なイメージ

ひかり、太陽のようにあたたかな言葉を紡ぐ訪問看護ステーションが多いなと思っていました。
僕も今まで立ち上げに関わらせてもらったステーションでも例外なくそのようなワードを名前や理念に選んできました。
僕自身、太陽のようなあかるさとか、あたたかさとか、えがおという言葉がとてもすきです。専門的なサービスでありつつ、僕たちと関わることで関わってくれた人たちのえがおが少しでも増えたらいいな。そんな思いは今も変わっていません。

しかし、同じような名前が本当に多い。
夜が名前に入るステーションって聞いたことなくないか?なんとなく暗いイメージだし割と敬遠されてるのでは?と思っていたのも事実です。

不安な夜を一緒に乗り越えてあたたかな朝を迎える

そんな思いも込めました。

ひらがなで"よぞら"

漢字でもカタカナでもローマ字でもなく、ひらがなでよぞらにしました。
画数を見たらひらがなが1番良かったです。

というのもあるのですが、
理由はもう一つあって。
みんなが読みやすい、呼びやすいということを大事にしています。(発音として声に出しやすいかは分かりませんが。)
大前提としてステーションの名前なんて決まりはないし、好きなように名付ければ良いと思います。ただ僕たちは、サービスの対象者や関わる方達が読みやすい覚えやすい名前であることを大事にしたいと思いました。

名は体を表す

ではないですが、あくまでもサービスの受け手を中心に物事を考える。という点から、自分たち主導の奢った医療を届けないための戒めにもしています。

サービスを届ける側にもそれぞれの暮らしがある

今までは
基本的に患者さん、ご家族を向いて思いを馳せてきました。社会に位置付けられた制度の一部であり、もちろんサービスの中身も対象者を向いているのが当たり前と僕は思っています。
と同時に、サービスを届ける側の医療者にも、それぞれが大切にしている暮らしや人生があるかと思います。
僕たちはそんな暮らしも大事にしたい。

自らをすり減らしてサービス(ケア)を届けるだけではなく、訪問看護という形でサービスを届ける・ケアを届けることを通じて、少しでも働く医療者の暮らしが彩りあるものになってほしいと思っています。生活のための対価や時間、社会的な役割或いは居場所など、働く場所というのは沢山のものを働き手に届けることができると思います。
よぞらで働くことを通して、サービスの担い手として関わる人たちの暮らしや人生を大事にしていきたいです。

最後に

考えていたことを色々と書きましたが、名前や見た目ロゴやHPなど綺麗な見た目を取り揃えるだけではなく、重要なのは届けるサービスの内容だと思っています。
なので、しのごの言わずにやるべきことを届けるべき人に届けるべき量提供していくことにつきると思っています。
一方で、理念や方針などと呼ばれるものはぶらさない。金儲けのためとか、地位や名誉のためではなく。
情熱を持ってやっていきたいなと思っています。

きれいごとを並べすぎました。自嘲します。

拙い文章で非常に読みにくかったと思いますが、最後までお読みいただきありがとうございました。

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