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イエス・キリストの生涯

イエスの挑発とユダの幻滅

5時間半ほどのドキュメンタリードラマ。
全8章だれることなく視聴できた。
各章キャラ別に深く掘り下げて考察・解説されていて、
個人的には、ユダについての第5章が印象深い。
新約聖書最大の謎の1つとされる「ユダの裏切り」も、
そこに至るにはそれ相応の理由があったとする考察。
【以下ネタバレ有リマス】
十二使徒の一人であるユダはイエス一行の会計係を務めていた。
信用第一の会計を任されるということは、イエスから特に
人柄を認められ大きな信頼を得ていた弟子という証になる。
ある日一行の一人がイエスの足に高価な香油を塗った。
それを会計係のユダが咎める。
「香油は売るべきでは? 貧しい人々に施せる」
するとイエスは叱責する。
「するままにさせておけ。私によいことをしてくれた」
「売れば貧しい人々に施しができます」
「貧しい人々はいつもあなた方と一緒にいる。しかし私は違う」
「…………」
(貧乏人は我らと一緒? 私は違う? 何が違うのか。意味不明。
 私は特別だから高価な香油を塗ってもよいとでも?)
この遣り取りがユダの初めての対立となり忠誠心の揺らぎとなる。
第4から5章ではイエス・キリストのイメージも大きく変わった。
それまでの冷静で温厚な無抵抗主義者イエスではなく、
扇動的で急進的な革命家としてのイエスが強調されていた。
ユダヤ教指導者に対して随分と挑発的な行動をしていて、
自分こそが王であり救世主であると衆人の前で誇示したり、
神殿で大暴れしてそこで商売する者たちを乱暴に追い払ったり、

拳を振り上げるイエス・キリスト(ヨハネによる福音書 2:13)
鞭を振るって暴行を加えるイエス・キリスト
逃げ惑う人々を追いかけ回すイエス・キリスト
次から次へと人々を叩きのめすイエス・キリスト
相手が老人であろうが襲いかかるイエス・キリスト
鵞鳥を庇う女性を鞭打つイエス・キリスト
情け容赦なく滅多打ちにするイエス・キリスト
無表情で暴力を振るうイエス・キリスト
老婆にまで乱暴を働くイエス・キリスト

ほかにも、
治癒能力の奇跡をひけらかすかのように振る舞ったり、
自分の教えを広めるのに性急すぎるきらいがあった。
そのような過激なイエス・キリストを映像として観るのは初めてで
(こんなやり方では磔にされて殺されても仕方ないな)と思った。
挙げ句の果てには実際に磔にされ
「我が神、我が神、なぜ私をお見捨てになったのですか」
と嘆くことになるわけだが、そりゃあ見捨てられるだろう、
なまじ超能力など得てしまったことで尊大になり増長しすぎた。
人の心を読んで「一人が私を裏切る、ここに居る者だ、しようと
していることを今すぐしなさい」などとユダを挑発さえしてるし。
言わば、やれるものならやってみろ、というわけだ。
従順だったユダもそんなイエスの振る舞いに幻滅し不信の徒となり
思いあまってイエスの身柄を銀貨30枚と引き換えに売るという
軽はずみで下劣な裏切り行動に出てしまったのでは?とする、
ユダに対してある種同情的な解説者たちの考察であった。
そしてその後ユダは自分の過ちに気づいて後悔し、自害したと。
一般的な認識である、裏切り者の代名詞ユダを単一的な悪人として
描かず、ダークな風貌でありながら同時に誠実さも併せ持つ役者に
演じさせ、善と悪の狹間に揺れ動いた末に闇に堕ちた憐れな人
としてユダを描いている。
ある種冒涜的ともいえる斬新なドキュメンタリードラマだが、
もっともこれは、番組制作者たちの立てた1つの臆説であり、
新約聖書最大の謎の1つである「ユダの裏切り」の真相が
謎のままであることに変わりはないわけだが。。。

製作 : エヴァン・ラーナー
監督 : アシュリー・ピアース / エイドリアン・マクドウォール
イエス : グレッグ・バーネット
ユダ : アブヒン・ガレヤ
インタビュー : ロバート・カーギル / ジョナサン・モリス神父 /
       ガブリエル・サルゲロ牧師 / スーザン・スパークス牧師


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