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セッション

スパルタ教育による才能の育て方

原題は『Whiplash』ウィップラッシュ。
ジャズの有名な曲のタイトルで、和訳なら鞭打ち。
ムチ打ちはドラマーの職業病でもあり、
この映画のテーマでもあるスパルタ教育にもかかっている。

アメリカの名門音大のカリスマ鬼教授フレッチャーが
新入生ニーマンを狂気のスパルタ指導で鍛え上げる物語。
【以下あらすじとネタバレ】

ニーマンが独り懸命にドラムの自主練をしていると、
突然その教室にフレッチャーが入ってくる。で、すぐに出て行く。

ニーマンが下級クラスの授業を受けていると、
突然フレッチャーが教室に現れ、
自分が指導する上級特別クラスに来るように言う。

突然の大抜擢に浮かれるニーマン。
翌日の指導ではニーマンの叩くドラムの
ほんのわずかなテンポの違いに
椅子を投げつけ(ギリギリよける)さらにビンタを連発、
泣き出すまで怒号と罵詈雑言を浴びせかけ追い込むフレッチャー。

それでもニーマンはめげることなく、
スティックを持つ手から血が滲むまで自主練を頑張り腕を上げる。

フレッチャーはニーマンを追い込んで追い込んで
さらなる向上のため、
わざとレベルの低い者らを当て馬としてぶつけ、
大会のドラム主奏者の座を競わせる。

ニーマンは恋人を捨て、全ての時間をドラミングに捧げ、
血だらけの手を氷水で冷やしながら涙の自主練に没頭し、
フレッチャーの怒号罵詈雑言の狂気の要求に応え、
大会のドラム主奏者の座を勝ち取る。

そして大会当日、
ニーマンの乗る会場行きのバスのタイヤがパンクする。
ニーマンはレンタカーで会場に滑り込みで到着するが、
遅刻だとしてフレッチャーにドラム主奏者の座を降ろされる。
しかもレンタカー会社にスティックを置き忘れるミス。
ニーマンは食い下がるがフレッチャーは許さない。
自分のスティックでないとドラムを叩かせないと言う。
ニーマンは急いでスティックを取りにレンタカー会社に戻って
またレンタカーで会場に戻る途中トラックと大事故を起こす。
横転したレンタカーから血だらけで這い出て、会場まで走る。
バンドはすでにステージにセッティングされ、
ニーマンはその演奏時間直前に到着。
血だらけのまま補欠ドラマーをどかせドラム椅子に座る。
唖然とする指揮者フレッチャー、だがすでに時間、演奏を開始。
負傷した左手はスティックを握れない。床に落とす。半泣き。
フレッチャーは演奏を中止させニーマンに静かに告げる、
「ニーマン……終わったな」そして観客に謝罪する。その時、
正気を失ったニーマンがフレッチャーに飛びかかり
「お前なんか殺してやる!ぶっ殺してやる!」と殴りつける。

退学処分の通知が届く。

それを聞きつけた弁護士がニーマンに会いに来る。
フレッチャーのせいで鬱病を発症し自殺した生徒の弁護士で、
スパルタ指導の証言を匿名でいいからと頼む。
最初は拒むニーマンだったが父親にも説得され、応じる。

時が過ぎ、抜け殻のような日々を送るニーマン。
ある日、ふと通りがかったライブハウスの看板の中に、
特別ゲスト・フレッチャーの名前を見つける。
フレッチャーが音大を解雇されたのは知っていた。

フレッチャーはピアノを弾いていた。
うっとりとそれを聴くニーマン。
曲が終わり、そこでフレッチャーと目が合う。
ニーマンは逃げるが後ろから呼び止められ、二人は語り合う。
フレッチャーはスパルタ教育の意義を語った。
悔しさをバネにしてこそ上達があると。
本物の才能なら何があろうと挫折しないと。
そして
教え子の才能を開花させられなかった心残りを。
そして別れ際、
今度開催されるジャズフェスティバルで
自分が指揮するバンドのドラムスを担当して欲しいと頼む。
曲は今まで練習してきたスタンダードだから心配ない、と。
【以下、重要なネタバレ】

ニーマンは決意を新たにステージにあがる。
カーネギーホール、スカウトマンも注目のフェスである。
ドラム椅子に座り、慣れ親しんだ楽譜のチェック。
万事整えたニーマンの前にフレッチャーが立つ。
「私をナメるなよ。密告はお前だろ」「え?」
そして観客に挨拶、
「今日の曲はスタンダードですが、まずは新曲を」。
ニーマンは愕然、自分の楽譜は周囲の奏者たちの楽譜と違う。
曲が始まる。ニーマンは何も出来ない。デタラメを叩く。
周囲の奏者は「何やってんだ!ちゃんとやれ!」と怒鳴る。
ほくそ笑むフレッチャー。
曲が終わり、ていをなさない演奏に拍手もまばら。
フレッチャーは言う「お前は無能だ」。
観客の冷たい視線、ステージから逃げ出すニーマン。
舞台袖で父親がニーマンを抱きしめる「さあ、帰ろう」。
その言葉にニーマンの中の何かが変わる。そして引き返す。
ドラム椅子に座り、勝手に演奏を始める。
他の奏者に曲タイトルを告げる「キャラバンだ!」。
そのスタンダード曲にみんなは合わせる。
憎しみと復讐のドラミングは場を完全に支配し、
舞台の中央で独り取り残された形にさせられ狼狽するフレッチャー。
ニーマンに小声でこう言う「目玉をくりぬいてやる」。
観客たちの手前、この演奏は自分の指揮によるものだと言わんばかりに
リズムを刻んで取り繕うフレッチャー。
曲はクライマックスを迎え、フィニッシュの合図を送るフレッチャー。
それを無視してドラムソロを叩き続けるニーマン。長い長いドラムソロ。
「なんのマネだ!」「合図する」その言葉に、得心するフレッチャー。
フレッチャーに散々仕込まれた超倍速テンポのドラミング。
吹っ飛びそうになったシンバルをフレッチャーが整える。
全身から汗を噴き出させ、フレッチャーの指揮に合わせ
超倍テン、気が遠くなるような超倍テン、血が噴き出す超倍テン、
怒りも憎しみも復讐も因縁も純粋な音楽へと昇華され、
フレッチャーとニーマン、目を合わせ、微笑む。
フレッチャーの合図に従いフィニッシュ!

 *  *  *  *  *  *  *

悔し涙は人を育て、怒りや憎しみはバネになる。
スパルタによって開花する才能もあるだろうし、
つぶされ壊され殺される人格もある。
スパルタを肯定する気は無いけれど、否定も出来ない。そんな感想。

映画のラスト、ふたりが目を合わせ微笑み合ったので、
一見するとそこで和解成立の感動的な大団円
と解釈する向きもあるのでしょうけど、
楽譜の件でフレッチャーはニーマンを陥れてるわけだから、
僕の個人的な見解では、信用できかねる笑顔だぞフレッチャー、
というのが正直な印象。
そもそもスパルタ指導なんかする時点で性格悪いに決まってるし。

そういう意味で何かモヤモヤ感の残るラストでした、正直。
まあ、フィニッシュでパツッと切って、
その後のエピローグを描かずじまいなので、
あとはおのおの想像してねということなのだと思います、監督の意図は。

この作品はデイミアン・チャゼル監督の自伝的物語だそうだから
(高校時代に厳しい指導者のもとでジャズドラマーとして活躍)、
相当な思い入れのある作品で、フレッチャーは実在の人物なのでしょう。
僕自身、自伝的小説『邪宗まんが道』を書いた経験から言うと、
事実は描ける部分もあるし描けない部分もある。
なので、「何かモヤモヤ感の残るラスト」としてあるのは
そこら辺に理由があるのかなと想像しました。
そういう意味で必見の映画です。
なにせ自伝的物語ですから、面白いに決まってます。

で、「人は何ゆえ自伝や私小説を描くのか」ってことですが、

それは、あまりにも醜すぎて、
ふつうでは言えないこと、言いにくいこと、
聞いてもらえないこと、理解してもらえないと思えること、
復讐だったり懺悔だったり、そんなクソ感情を吐露するため、
吐露することが本人の心の救済になるため、
自伝や私小説というジャンルが存在するのだと思います。
醜悪こそが真実なのです。
いや、美でそれを綺麗にくるんでいてもいいですけどね、
分かる人には分かりますから。

 *  *  *  *  *  *  *

2014年 米国 ドラマ映画
監督/脚本 : デイミアン・チャゼル
出演 : マイルズ・テラー / J・K・シモンズ
音楽 : ジャスティン・ハーウィッツ

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