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超短編小説 「薄暮の後に」

   僕の教室からゴルフ場のクラブハウスの白い三角屋根が見える。白色は山の中腹にポッと浮き出ている。ここから見ればおもちゃみたいでちっちゃいけれど、ゴルフ場は限りなく広い。
 僕の名前は田淵慎之介。あだ名はぶっち。山に囲まれたニュータウンの夢ノ台小学校六年一組だ。同じ団地の幼なじみ、秋山拓也ことたっくんと、鈴木清志郎ことキヨと僕の三人は学校から帰るとまず宿題を済ませることにしている。まず宿題を済ませるのは三人の約束事だった。
 梅雨明けを祝うように蝉が一斉に鳴き始めると、埋め込まれた棒の「アタリ」をいち早く見たい一心でアイスキャンディを食べ急ぐみたいに、夏休みを待ち望んだ。
 宿題を終えて、父のキャディバッグから五番、七番、パターの三本を抜いて、金属音を立てないようヘッドをずらしてしっかりと手に握った。ボールはゴルフ場にたくさん転がっているので必要ない。目的地は白い屋根のゴルフ場だ。
 ゴルフ場の北側に回って、一人ずつ金網をよじ登った。最初にキヨが猿のように金網を登り、下から三人分のクラブを受取る。たっくんは、雨に打たれた仔犬のように体を震わしながら金網に掛ける足を確かめながら登った。僕もよじ登り敷地内に着地した。ここは十五番ホールだ。
 薄暮の客が上がった後の静かなコースには、客の流した汗がグリーンに染み付いているようで足元の芝がねっとりとスニーカーに纏わり付いた。絵具の白と黄と青を少しずつたらしてトーンを変えた緑色が目前に広がる。薄紫色の広大な空は緑との境界線が滲んで見えた。
 「よし、始めよう」キヨが第一打を飛ばした。
 こうして僕らの毎日は、父のクラブを持ち出し、ゴルフ場にしのび込む、という遊びに夢中だった。

 ある日、たっくんが言った。
 「いつも同じホールじゃつまらないから、今日は違うホールに行こうよ」
それもそうだ、と皆で二番ホールに向かうことにした。二番ホールはクラブハウスの正面近くになるので、ゴルフ場の人に見つからないよう、用心しないといけない。 
  キヨがティーにボールを乗せたときだった。どこかで「うーん」と唸るような音がした。あたりを見渡すが三人以外、誰もいない。
「おーい、助けてくれぇ」人の声だった。背中を氷でなぞられたみたいに緊張が走った。
 普段から怖がりで、金網を震えながら登るたっくんが自ら進んで声の方に駆けていった。芝に顏を近づけたと思ったら「ひぃっ」とクラブを放り投げ、尻もちをついたのだった。キヨと僕も恐る恐る近づいた。暗い穴の中から何かがこちらを見上げている。目が合った。それが男の人だとわかると、心臓の脈拍が時計の秒針の倍速で稼働し始めた。
 「どうする」頬を震わせながらキヨが言った。
 「大人を呼ぶしかないよ」と僕。
 「ダメだよ。叱られちゃうよ」とたっくん。ためしに三人でおじさんの手を掴んで引き上げてみたが無駄だった。事態は深刻である。
 「叱られてもいいや」と僕は追われるようにクラブハウスに転がり込んだ。ドアの向こうには、眼鏡をかけたゴリラのようなおじさんがじっと僕を見ていた。  
 「ぶっち」とキヨが追い駆けて来た。
 「ん? 何だ、君たちは」珍しい小動物を眺めるように額を突出し、眼鏡と眉毛の間から僕らを睨むように覗いた。
 「マンホールに、男の人が、人が落ちてる。助けてください」あっち、あっちです、とキヨが腕を振り回した。
 「小学生か、何年生だ、どこの学校だ、どこの子だ、どうしてここにいる、名前は」
 ゴリラのおびただしい唾が顏面に飛んでくるがそれどころではない。
 「だから、マンホールだって。お願いします。死んじゃうよぉ」説明ももどかしく僕は涙が滲んできた。仕舞いにはおいおい泣いてしまった。
 ゴリラは訳がよくわからないが涙を流してまで訴える少年を不憫に思ったのか、目についた男性スタッフ数人を引き連れてマンホールへ向かった。
 十分後、マンホールのおじさんはゴリラとスタッフによって救出された。
救出されたおじさんは僕らに言った。
 「君たちが居てくれて本当に良かった。助かった。どうもありがとう」
 僕はとっさにゴリラを見た。ゴリラは僕を見ながらふんふん唸っている。
 一時間後、両親と担任が駆けつけて、社長のゴリラに向かって深々と頭を下げた。
 僕らは不法侵入で厳重注意となった。
 翌日、一学期の終業式である。本来なら心弾む行事のはずが、目の前に学校推薦図書を十冊くらい積み上げられた気分だった。
 式が終わって体育館から出ると蝉の競演があたりを覆っていて、山には目に馴染んだ白い屋根が見えた。
 「なんだか、ちっちゃいなぁ」と僕は呟いた。
 「あのさ、今度は大人になったらお金を払って堂々と入場しようよ!」
 蝉の鳴き声に負けないくらいの声でキヨが言った。
 「さんせーい。約束だよ」とたっくんが両手をあげて飛び跳ねた。
 僕は、白い屋根を見るたびにこの夏の出来事を思い出して大人になるんだな、と思った。
                               (了)

#創作大賞2022

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