他人の幸せを心から願う
昨日から試しにやっていることがある。
それは、他人の幸せを心から祈るということ。
…急にスピリチュアルくさくなったけれど、私は本気で、切実に、とある他人の幸せを祈っている。
その人はよく遊ぶ相手でもないし、ましてや付き合ってる人でもない。
でも、会うたびに私の偏屈なところも認めてくれて、興味を持って話してくれるから、感謝の代わりに「幸せになりますように」と心を込めて祈っている。
広義的に見ると、たしかにちょっと宗教っぽいかもしれない。
でも、最近読んだ、鈴木祐さんの「最高の体調」によると、何かしらの祈りや信仰心は、わたしにもいい影響があるという。
事実 、信仰心のメリットをあきらかにした研究には事欠きません 。約 7万 5千人を 1 0年にわたって調べたハ ーバ ード大学の調査では 、週に 1回のペ ースで礼拝に参加した女性は 、まったく教会に行かない女性にくらべて 、その後 1 6年間の死亡率が 3 3 %減少する傾向がありました 。ほかにも 、信仰心が高い者ほど自殺率が下がる現象が確認されていたり 、特定の宗派やスピリチュアルを信じる者ほど癌患者の予後が向上していたりと 、もはや宗教のメリットは疑いようがありません 。(出典:鈴木祐「最高の体調」クロスメディア・パブリッシング)
信仰心は、その人に「安心感」を与えてくれることもわかっている。
だから、祈りが相手に届く…というスピリチュアルな感じもあるのかは分からないけれど
祈りをすることで自分の精神が安定して心に余裕ができることで、その相手を含む周りの人に良い影響を与えるのではないかと思う。
むしろそこにちょっと期待している。
よくわからないけれど、他人の幸せを願うだけなのに、わたし自身が満たされた気持ちになることはたしかだ。
冷静な言葉でいうと、自己満なのだろう。
でも、たったこれだけで自分がちょっとだけ幸せで落ち着いた心を手に入れられるのなら、やらない手はない。
他人にも優しくなれるかもしれない。
仕事が忙しくなって心身ともにやさぐれてくると、こんな心の余裕などなくなる可能性はあるけれど…今はそんなゆるやかな気持ち。
誰かの幸せを祈ることで、何か心の変化があるのかどうか。
実験感覚で、続けてみようと思う。
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