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肯定する

 今夜、埼玉スタジアムでサッカーW杯アジア最終予選が行われます。ホームゲームなのでテレビ地上波でも生中継されることになっていますね。とても楽しみにその時を待っています。

 放送開始時刻を確認しておこうと思い、今朝の新聞の番組欄を見ておりました。そこに書かれてある内容を読んでいたところ、ある予期せぬ感想が頭をよぎりました。相も変わらずこのフレーズを使っているんだなといった思いを禁じ得なかったのです。「絶対に負けられない・・」です。

 その昔の最終予選時に、私は「絶対に負けられない戦いがそこにある」と、胸部にプリントされたTシャツを着て、日本代表チームに声援を送っていたことがあります。敗戦が決まった瞬間には思わず大阪ことばで声を荒げてしまったことを思い出します。「絶対に負けられない戦いやのに、負けてしもとるやないかーい。」その日の夜に襲ってきた落胆は甚だ凄まじいものがありました。

 私がまだ生徒だった頃、英語の先生がこう言って教えてくれました。「二重否定は強い肯定を表します。」私は「なるほどな。ほんまやほんまや。」などと口にしながら、妙に納得した感じがしていました。負けるという否定語をないと否定することで、勝つことへの印象を強めてくれる負けないという表現。二重否定は人をより感情的にしてくれる表現方法であることを知った瞬間だったのかもしれません。強く印象に残っているという事実は、今こうして書いていることがなによりの証しになっているように思っています。

 ふと、思い出していました。私は高校時代の部活で監督から二重否定を用いた語句で指示されたことがあっただろうかと考えていたのですが、思い当たる節がないことに気づきました。

 「この回はきっちり3人で抑えてこい。」「ヒット打ってランナー返してこい。」こんな感じでしたので、肯定的なイメージを浮かべやすかったのです。自分が果たさなければならないことが、どこにも引っ掛かることなくスムーズに理解できていたのです。

 「この回はランナーを出すな。」「残塁させたら許さんぞ。」上の段にある2つの例を言い換えればこんな感じになりますが、随分印象が違っていることに気づかれるのではないかと思っています。否定語を否定する二重否定で言われると、やるべきことを理解するためには一瞬の間が必要になってしまうのです。ひと手間かかってしまうわけなのです。

 二重否定はスポーツには馴染まない。否定語を使うことすら憚られるのです。

 「止まるな」と言われるよりも「動け」です。「打たれるな」と言われるよりも「抑えろ」です。だとすれば、今夜のサッカー男子日本代表チームに送る声援は、「負けるな」ではないことは火を見るよりも明らかです。

 それは「勝て」。たった二文字のこの言葉であるはずなのです。

 今夜のゲーム、「負けるな。」と声を出して応援することで、皆さんが負けることをイメージしてしまう必要はありません。是非「ゴールして勝て。」と声援してください。他者に肯定的な結果を求めるのであれば、シンプルに肯定語を使おうではありませんか。

 

 余談になりますが、今までここで書いてきたことは、決してスポーツに限られる話ではなく、他の分野でも当てはまることなのかもしれません。他者に助言するような場面では、最後の最後は肯定するところで終えることが必要であると考えています。

 いつの間にか私はシンプルな肯定語を肯定するようになりました。

  

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