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#1 これまでの9年と、これからの1年のために

はじめまして。
本日37歳の誕生日を迎えた、株式会社NOMAL代表取締役の松本祥太郎と申します。

2015年7月10日に創業したNOMALも本日、おかげさまで創立9周年を迎えることができました。お世話になっているクライアントのみなさま、NOMALで働くメンバーのみんな、いつもありがとうございます。

これまでの9年間を振り返ると、会社や自分について発信する機会を積極的に設けてこなかったのですが、そろそろそういったことを書き記す場があってもいいのではないかなあ…と思っていましましたが、腰が重く。

昨晩も1歳の息子を寝かしつけながら寝落ちしてしまい、いつもとなにも変わらない朝を迎えてしまいましたが、「せっかく誕生日だし!」ということで、今日からnoteでの発信をしていこうと決心しました。

今日からちょうど1年後の7月10日、NOMALの10周年に向けての過程や思考を発信できればと思います。

今まで自分は何を経験して、そこから何を学んできたのか。
自分は今後どう生きていくのか。

NOMALとはなにか。
NOMALの変わるもの、変わらないものはなにか。

これらを改めて考えてみたい。
それを10周年にどう活かしていくのかを、ここに記録として書き残したい。

僕の棚卸しと頭の整理を兼ねて発信していこうと思いますので、どうぞよろしくお願いします!(毎月2本発信を目標に頑張ります…!🔥)


松本祥太郎について

第1回目ということで、まずは僕自身と会社の紹介をさせてください。

1987年7月10日 青森県八戸市生まれ。
法政大学経済学部を卒業後、株式会社毎日コミュニケーションズ(現 株式会社マイナビ)に入社。新卒採用事業部にて法人営業を担当し、新人賞をはじめ、全国新規契約者数第1位、 プレーヤー賞金賞など多数受賞。大手企業から中小企業まで、のべ150社以上の法人向け採用コンサルティングで実績を残す。

2015年7月、株式会社NOMALを設立し、代表取締役に就任。採用コンサルティング 事業の責任者として、中小企業を中心に多くの企業を採用成功に導く。2018年7月、プロ野球独立リーグチーム堺シュライクスを立ち上げて球団オーナーに就任。

以上が、会社のウェブサイトをはじめいろんな場所に掲載している僕のプロフィールです。ここに載っていない情報で追加すると、妻と1歳7ヶ月の息子がおり、毎日息子の成長を楽しみに過ごしています。

1987年7月10日に青森県八戸市で生まれた僕は、18歳まで八戸市で過ごします。(地元の人のために書いておくと、青潮小学校→八戸東中学校→八戸北高校です)

1歳頃の写真。両親の好きな写真みたい。

八戸市という田舎で育った僕は、意外と勉強もそこそこできた方で、野球部に所属してなんやかんやキャプテンを任せていただいたりと、全部そこそこな生活を送ることができていました。

でも、全部「そこそこ」だったんです。
常になーんか物足りなさというか、生活のしにくさみたいなのは漠然と感じていました。

地方育ちの人はわかってくれると思いますが、常に誰かの目を気にしたり、誰かの噂話を気にしたり、学校内でのヒエラルキーを維持することに全力を使う必要があったり、就職先は絶対銀行か公務員がいいから、そこに就職するために勉強するんだ!みたいな雰囲気だったり。

これは東京で過ごさないとわからないことばっかりだったのですが、だいぶ偏った価値観の中で生活をしていたように思います。

価値観が変わったタイミングは東京に出てから。

上京をして、学生時代に創業メンバーの平山と出会ってNOMALを創業しているのですが…これらの地元で感じていた窮屈さと、上京してから経験が今の人生に大いに影響を与えているのは間違いありません。

今書くと大変なボリュームになるので、今後noteに書こうと思っている内容のメモを残しておきたいと思います。

人生に影響を与えた生い立ちや過去できごと

  • 父とハマった『信長の野望』、母の負けず嫌いな性格

  • 八戸のじいちゃんは下宿を経営し、弘前のじいちゃんは銀行マンだった

  • 小学校前半は絶好調で、後半は引きこもりだった

  • 中学生は引きこもりの印象を消すのに必死だった

  • 高校生はマジでつまらんかった

  • 大学生は東京ライフ(八王子笑)を満喫した

  • マイナビ時代に、一生懸命働いて良かった

このあたりかなー今の自分を作っている生い立ちやできごとは。
もっと出てくるかもしれませんが、次回以降noteを書くときに思い出しながら丁寧に振り返っていこうと思います。

NOMALについて

NOMALは、大学時代の友人である平山美聡と一緒に創業して、9年間ここまでなんとか生き残ってきました。

大学時代に出会って16年、一緒に起業して9年経ちました
こちらが16年前―インターンでの打ち上げの写真(平山顔変えた?)

創業ストーリーみたいなものは、既に彼女のnoteでも語られていますが、後日改めて、自分もじっくりと振り返りながら書いていこうと思います。

NOMALは「わたしたちの組織が、誰かの人生を、少し前に進めるきっかけに。」とのミッションを掲げ、チャレンジする人を応援し、その背中を押す事業を創り続けることを使命としています。

アーティストの活躍の場を増やすためのアート事業

具体的な事業としては、企業の個性を反映した、世界で1つのウォールアートを描く「NOMAL ART COMPANY」事業。

アートは敷居が高いものだと思われがちな日本において、「カジュアルにアートを楽しむ」文化を作ることを目的としたアート雑貨通販サイト「WASABI」事業。

ウォールアート事業は今日で7周年、アート通販事業は8周年を迎えることができました👏(7月10日が記念日なもの多い笑)

アート事業はこの2つの事業を展開しています。

この2つは平山の原体験から立ち上げた事業で、今や「NOMALと言えばアートの会社」と思っている人が多いのではないでしょうか。

平山の原体験は、こちらの平山noteから読めますのでどうぞ。
(先に書いてくれててとっても助かるので、どんどん平山noteに飛ばしていきます笑)

今や日経新聞にも取り上げていただき、NOMALで最も勢いのある事業です。

平山個人の思いが、こんなに社会に広がって、喜んでくれる人がたくさんいる瞬間をずっと隣で見ていて、とっても嬉しい気持ちと、誇らしさみたいな気持ちがあります。

「アートと言えばNOMAL」というポジションまで持っていきたい!という気持ちが、今の自分の強いモチベーションになっていることは間違いありません。

ブレイク前のお笑い芸人を応援するお笑い事業

また、ブレイク前のお笑い芸人のライブ配信が見れる「出囃子 -DEBAYASHI-」もNOMALが手掛けています。

これは、「芸人がアルバイトをしなくても、夢を実現する仕組みを作りたい」と思って2年前に立ち上げた事業です。

「週に7回アルバイトをしています!」みたいなお笑い芸人がとっても多くて。しかも、お笑いライブに出るために「2,000円のエントリーフィーを払って出ています!」と言ってるお笑い芸人がたくさんいることを知って、結構衝撃を受けました…(昔からそういう文化らしいが)

週に7回アルバイトしてたら、1年のほとんどをアルバイトで時間を費やすことになってしまって、「M-1優勝したい!」という夢を叶えたいなら、すごく遠回りじゃないか。だったらせめて、週3くらいにアルバイトを減らしても大丈夫な仕組みを作りたい!と模索中。この事業は2年以内に黒字化を目指します。

これらに加えて、僕の本職でもある採用コンサルティング事業があり、合計4事業をコツコツと育ててここまできました。

プロ野球独立リーグ「堺シュライクス」運営事業

加えて、さわかみ関西独立リーグに所属するプロ野球チーム「堺シュラクス」の立ち上げも経験しました。
(2018年7月10日に創業した堺シュライクスも、今日で6歳に👏)

立ち上げ当時は多くのメディアに取り上げていただいたので、松本祥太郎を「独立リーグのオーナー」として知ってくれている方が多いかもしれません。現在はチームの運営権を後任に渡し、株主・スポンサーとしてお手伝いしています。

「野球選手が夢を実現する場所と、夢を諦められる場所を創る」

これがシュライクスをつくるときに掲げたビジョンです。

夢を実現することも、諦めることも、一生懸命やらないとできない。

シュライクスに来てくれる選手にはそういう時間を過ごしてほしいと思って、今も強く選手に伝えているメッセージです。

今思えば、当時NOMALの売上が1億円もない状態で良く球団なんて作ろうと思ったな…と、振り返るとゾッとする。

というか、絶対しんどいはずなのに、どうやって立ち上げたかすら忘れているので、後日じっくりと振り返ります…。


NOMALの誕生から9年ーー

僕たちとしては「挑戦」「チャレンジ」をキーワードに事業を手掛けてきたという自負があるものの、はたから見ると事業に一貫性がない印象もあるようで…苦笑

このnoteを通じて僕のいろいろをお伝えできれば、そうした印象を拭えるかもしれないな…という期待も抱いています。

それでは、今日からNOMAL10周年に向けてお付き合いください!

フォローしていただけると、とてもモチベーションあがりますので、ぜひよろしくお願いします。

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